第2話 名前

愛花いとはなちゃんは、自分の名前に不満はないの?」

「不満?」

「だって、珍しい名前じゃない。愛花って書いていとはなって。嫌だなって思わなかった?」

 そう言って、ダイニングテーブルで晩酌をする質問の主――十六夜撫子いざよいなでこは、日本酒を一口飲む。

 撫子は、それこそ名前のように大和撫子を彷彿とさせる、美人なお姉さんと言った見た目だ。これで、重度のお酒好きとゲーマーでなければ完璧なのにな、と正直思ってしまう。

 「うーんと、私は特に不満はないわね。いちいち、あいかじゃなくていとはなです、って訂正するのは面倒だけど。撫子は自分の名前、嫌なの?」

「ええ、少し……」

 そう答えながら、私は淹れたてのコーヒーを片手に撫子の正面の椅子に座る。

 私の名前は、確かに変わっている。芥川愛花あくたがわいとはな。苗字は、偉大な文豪がいるから間違われないが、問題は下の名前だ。愛花と書いていとはなと読む人など、他に会ったことがない。

 撫子も撫子で確かに珍しい名前なのは事実だ。苗字の十六夜も中々珍しいのではないかと思う。上の名前も下の名前も創作物で見たことはあるが、実際に会ったことは撫子を除いてない。

「別に変わっている名前だからって、気にする必要はないんじゃないかしら? ただ、珍しいなーってだけでしょうに」

「私が、気にしているのは珍しいってことじゃないの。名前につきまとうイメージの方なのよ」

「イメージ?」

 ぐでーんと溶けるチーズみたいにテーブルに体をあずける撫子を見て、改めて考えてみる。

 十六夜撫子いざよいなでこ。十六夜はきれいな月を思い出させるし、撫子も清楚なイメージだ。

 そして、実際の撫子は、見た目こそ名前のイメージ通り。だが、中身はお酒とゲームが大好きで、悪ノリも結構な頻度でやる。どちらかと言うと、子供っぽいアラサー男性だ。

 ……確かにギャップはあるな。

「勝手に名前から、清楚だーとか、大和撫子っぽいなーとか、そんなイメージ持って。実際に会話とかした後に、引かれるのが嫌なのよ。自分で付けた名前じゃないんだし、ギャップがあってもいいでしょうに……」

 その言葉に少しグサッとくる。私も名前を聞いた時、大和撫子みたいな名前で中身もそうなのかも、と思ったのは事実だし。

「だからと言って、中身の方を寄せていくの? それは違うんじゃない?」

「そうなのよねぇ……」

 確かに、初対面の人には、名前と見た目のイメージと実際のギャップで、引いてしまう人もいるかもしれない。それは相手の勝手な感情ではあるが、撫子は気になるのだろう。なんだかんだ人の感情に敏感な子だから。

 かと言って、自分に噓はつきたくない。そんなところで、撫子はもやもやしているのだろう。

「ねぇ、撫子。やっぱり、そんなに気にする必要ないと思うわよ?」

「そうかしらねぇ……」

「だって、大切なのは、勝手に引いて去っていく人じゃなくて、ギャップがあっても大切にしてくれる人でしょう?」

 その言葉に、撫子がゆっくりと起き上がり、

「確かに、愛花ちゃんの言う通りね」

 そう言って、柔らかく微笑んだ。

 あくまでも私の意見だが、イメージとのギャップがあって去っていく人など、きれいな撫子とあわよくば恋仲になれればとか、友達だと自慢できそうなどと邪な考えを持つ人が多いだろう。

 そんな人達にいちいち気を使う必要がどこにあるのだろう?

 大切にしなければならないのは、見栄など張らなくても、ありのままを受け入れてくれる人だ。

 名は体を表す。確かに、そんな言葉はある。

 でも、名前に縛られる必要はないはずだ。

 名前は、両親がつけてくれた大切なものだろう。

 でも、名前のせいで生きにくくなってしまっては、誰も幸福にはならない。

 ……少なくとも、私はそう思う。

 すっかり気分が良くなったのか、撫子は上機嫌にお酒を飲む。

「ふふ、ありがとうね。愛花ちゃんのなんだかんだ優しいところ、私、好きだよ」

「なんだかんだって言うのが気になるけど、まぁありがとう」

「そうだ、もやもやを晴らしてくれたお礼に何かしてあげたいわね。何がいい?」

「なら、漫画のネタを一緒に考えてくれない?またダメだったのよ……」

「お安い御用よ。これまでにない斬新なのを考えて見せるわ」

 この後、わいわいと1時間近く漫画のネタをニ人で考えた。酔っぱらっていたのか、話があっちこっちに飛んでいったが、楽しい時間だった。

……これで、ネームが通れば最高だったが、なんともうまくいかない世界だ。

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