第11話 初めての夜 後編
連れて行かれたのは書斎だった。
書斎といっても、わたしの感覚からしたらかなり広い。壁一面に本棚があって本が並び、どっしりとした大きな机と椅子があった。それとは別にソファとテーブルがある。来客の対応も出来るようだ。
そのローテーブルの上にはウィスキー的な酒の瓶と、水差し、氷の入ったアイスペールがある。
つまみのカナッペが並んだ皿もあった。
1人で飲んでいたらしい。
(別に初夜だと言うつもりはないけれど、全くその気がなかった事実を目の前に突きつけられるのはそれはそれでちょっとくるな)
無駄にしか年を取っていないわたしはちょっと凹んだ。だが、自分にもその気は無いのに、相手にその気がないことを責めるのは違うだろう。
(今後のために、ちゃんと取り決めを作っておくのは必要では?)
改めて、そう思った。
今を逃したら、アインスと2人で話をする機会なんてもう無いかもしれない。確認したいことはこの場で全てするべきだと思った。
「どうぞ」
勧められて、ソファに座る。
アインスは向かい側に座った。
「ずっとここに居たのですか?」
わたしは問う。
「ええ」
アインスは頷いた。
「どうして、わたしが廊下にいたことがわかったんですか?」
不思議に思って聞く。
「夜中に不審な行動を取る人物は防犯システムに引っかかるようになっているのです。夜中に1人で廊下をうろうろするのは不審な行動ですからね、誰なのか確かめに行ったのです」
アインスは説明した。確認に行って、わたしだと気付いたらしい。
「勝手に部屋を出てはいけないんですね」
わたしは反省した。これだけの屋敷だ。防犯システムはあって然るべきだろう。それに引っかかる行動をした自分の方が悪いと思う。
声を掛けられた経緯が判明したので、わたしはスッキリした。
「疑問が解けました。ありがとうございます。ところで……」
紙とペンを貸して欲しいと頼む。
「何のためにです?」
アインスは首を傾げた。
「いろいろ確認したいことがあるのですが、忘れてしまうと困るので。書き留めておこうと思います」
わたしはにっこりと微笑む。
「……そうですか」
少し釈然としない顔をしながらも、アインスは紙とペンを持ってきてくれた。書斎なので直ぐそこにある。
わたしは礼を言って、それらを受け取った。紙を目の前のテーブルに置いて、ペンにインクをつける。
「では、いろいろ聞いてもいいですか?」
確認した。
「……どうぞ」
返事をしながらも、やはりアインスはどこか戸惑っているように見える。
だがそれを気にしていたら話が進まない。気付かないふりをして、スルーした。
「では一つ目。この結婚はいわゆる『白い結婚』だと理解しているのですが、それはメイド達使用人に打ち明けてもいいものなのでしょうか?」
ちらりとアインスを見る。
「その『白い結婚』の話は誰から聞いたのですか?」
答える前に、アインスは確認した。
「えっ……」
そんな質問が返ってくるとは思わなかったので、驚く。
「わたしがいた世界でも、その言葉があったんです。だからキルヒアイズ様に結婚にはいろいろな形があるという話を聞いた時、同じ呼び方をするんだなと思ったので覚えていました」
答えると、アインスは納得していた。
(いや、質問に答えて欲しいのはわたしの方)
心の中で突っ込む。
「それで、質問の答えを頂きたいのですが……」
アインスを急かした。
「逆に聞きたいのですが、何故、そのことをメイド達に打ち明けてはいけないかもしれないと思ったのですか?」
聞き返される。
(だから答えて欲しいのはこっちだって言ってるのに……)
心の中でイラッとしたが、相手はわたしの半分の年齢の青年だ。ここで怒るのはあまりに大人げないだろう。
「貴族というのは何よりプライドを大切にするのでしょう? わたしが事実を打ち明けた事により、アインス様やカッシーニ家の体面が傷つくのは不味いと思ったんです。だから、余計な事は何も口にしませんでした。でもそのせいで、初夜だとやたらとメイド達が張り切ってしまったんです。それがなんだか申し訳なくて。頑張っても意味がないことが心苦しくて。打ち明けても問題がないなら、話してしまいたいのです」
一つ息を吐いて、答えた。
「なるほど。まだ子供なのにいろいろと考えているのですね」
アインスは感心する。
「……子供?」
わたしは嫌な予感を覚えた。
「あの……。わたしの年齢、聞いていませんか?」
控え目に問う。
「ええ、まあ。女性の年を聞くのは失礼ですからね」
アインスは紳士な態度で頷いた。
(またこのやりとりをするのか)
内心、とても気が重くなる。失礼なんて言わずに、王子に聞いておいて欲しかった。また気まずい思いで説明しなければならない。しかも、だいぶサバを読んだ嘘の年齢を。
(だって、本当の年を言ったらどん引きされる。25歳でもかなり引かれているのに。どん引かれて平気なほど、強心臓ではないのよ、わたし。むしろ、小心者なの)
心の中で喚く。
「見えないかもしれませんが、25歳です。かなり年上です。ごめんなさい」
息継ぎもせず、一気に話した。途中で止めたら心が折れてしまう気がする。
「えっ……」
感情を顔に出さないよう教育されている貴族が、驚いた顔をした。
(そうですよね~。6つも年上だと、引きますよね。当然です。でも本当は19も上なんです。あなたの倍、生きているんです)
心の中で懺悔する。胃がキリキリ痛むのは気のせいではないだろう。申し訳なさ過ぎて、今すぐ土下座したい。
東洋人は西洋人から見るとかなり幼く見える。その上、わたしは日本人の中でも童顔の方だ。海外に旅行に行ったら30歳をとうに過ぎていたのに成人していると信じてもらえなくてお酒を売ってもらえなかったり、最近あった遠縁の葬儀では初めて会った親戚に、家の娘より若いから24くらい?とか年を確認された。あまりの誤解に本当の年が言えなくなり、笑って誤魔化したのは記憶に新しい。同じ日本人にも幼く見られるのだから、東洋人を見慣れていないこの国の人が誤解するのは仕方ないのかもしれない。
「そういうわけで、子供ではありません。なので、いろいろ気を遣われていたのなら、不用です。大人なので、大丈夫です」
もしかしてお茶や食事を一緒にとったのは、子供だと気遣われていたからなのかもしれない。そう気付いたので、断わっておいた。
「そうですか……」
アインスはそう呟くと、考え込む。
わたしは黙って、アインスが口を開くのを待った。
「では白い結婚だと打ち明けるのは、少々、不味いかもしれませんね」
独り言のように言う。
「ですよね」
わたしは頷いた。
(というか、わたしが子供だと思っていたので、白い結婚だと周りに知れても問題はないと思っていたのかな?)
長考していたのを見ると、そう感じられる。
(重ね重ね申し訳ない)
さっさと職を見つけて出て行こうと、心に固く決めた。
「では、メイド達にも事実は隠す方向でいこうと思います。万が一、バレてしまったらごめんなさい。出来るだけ、ばれないように努めます」
わたしは約束して、それを紙に書く。白い結婚であることは秘密と、簡潔な文にした。
「では、今後もお食事やお茶はご一緒するのでしょうか?」
普通の結婚のふりをするならそうなるだろうなと思って、聞く。
「何か問題でも?」
アインスは確認した。たぶん、この質問は善意の質問なのだろう。話してみて、アインスは悪い人ではないということは確信していた。結婚式前のあの言葉も、少しばかりナーバスになっていたわたしには悪意にしか聞こえなかったが、子供に向けてのエッチなことはしないから大丈夫だよ発言だとしたら、理解できなくもない。言い方はあれだが、時間が無い中、簡潔に気持ちを伝えてくれただけなのかもしれない。
だからきっとこれも、困った事があるのかと心配されているのだろう。
(だから、面倒くさいなんて思っちゃダメ)
自分で自分に言い聞かせた。話が進まないから、質問の答えだけ欲しいなんて思ってはいけないと自分を叱咤する。
ここは会社ではない。効率を求めるべき場所ではないのだ。
「いえ、別に。話題がなくてちょっと気まずいかな?とか、思っただけです」
遠回しに本音を伝えてみた。
「そのわりに、夕食の席では楽しそうでしたよ」
アインスに突っ込まれる。
内心、ギクッとした。
「サーブしてくれる相手から話を聞くことは不味い行為ですか?」
わたしは確認する。
「いいえ。料理の話題でしたしね。問題ないと思います」
返ってきた答えにほっとした。
「ただ、そういう話題は彼ではなく私に聞くのが適切でしょうね」
アインスは微笑む。その目は笑っていなかった。
(でも料理のことなんて、知りませんよね?)
突っ込みは心の中でだけにしておく。わたしにもアインスが何を言いたいのかはわかっていた。わたしがアインスに聞き、アインスが彼に問う。そして彼がわたしに答える。そういう形が大切なのだろう。
「でもあの距離で、アインス様まで届くほどの声を出すのはマナー違反になるのではないかと」
ちょっと反論した。
食事中、大声を出さないのはどこの世界でも共通のマナーだろう。
「そうですね。では、席を変えましょう」
アインスは頷いた。
「はい?」
わたしは首を傾げる。
「私の斜め横なら、問題ないでしょう」
アインスは決めた。
(墓穴を掘った)
わたしは心の中で呟く。もう余計な事は聞かない方がいい気がしてきた。
「では、今日のところはこんな感じで」
わたしは話を切り上げる事にする。
「お水だけ、いただいていいですか?」
水差しを指さした。当初の目的は忘れていない。
使用していないグラスもあった。
「どうぞ」
アインスは頷く。
「いただきます」
わたしは水を一杯もらう。ほっと息を吐き、立ち上がった。
「では、これで。おやすみなさい」
お辞儀をして、逃げるように歩き出す。
「おやすみ」
思いかげないほど優しい声音で挨拶が返ってきて、ちょっと戸惑った。
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