第10話 初めての夜 前編





 お茶の後、わたしは部屋に戻ってひと休みした。メイドを下がらせ、一眠りする。


(無駄に緊張した~。顔がいい人って妙に迫力あるのよね)


 心の中でぼやいた。たぶんそれは、わたしがあの顔に弱いからもあるだろう。


(腹立つくらい好み)


 嫌いになれないので困った。

 たが、そう会うことはないだろうとも思う。

 一緒にお茶を飲む事になったのは、たぶんイレギュラーなことだ。用事がなければ、こんなことはあるまい。夫婦として暮らすつもりはないと言われたのだから、これからはお茶も食事も別だろう。

 それでいいと思った。夕食くらい気楽に食べたい。あの顔を見ながら、気まずい雰囲気で食べるのはとても気が重かった。






 しかし、案内された夕食の席にはアインスもいる。


(一緒なのか)


 複雑な気持ちになった。食堂の中は不自然すぎるほど静まりかえっている。

 一緒のテーブルにはついているが、距離は遠い。縦長のテーブルの端と端で向かい合っていた。


(これって、話し掛けても声が届くのかな?)


 そんなことを考える。こんなに離れているなら、一緒に食べる必要なんて無い気がした。だが、離れているのは幸いだとも思う。綺麗な顔に無駄なドキドキすることがない。


(もしかして、食事とかお茶を別々にとるのは形だけの夫婦だとしても不味いのだろうか?)


 貴族の夫婦関係については知らないので、何が正解かわからなかった。一緒でなくていいのにと思う。


(わたしはもっと、基礎的な部分からこの国のことを知るべきなのね)


 そんなことに今さら気付く。

 この世界にやってきてから、わたしには必要な教育が施された。でもそれは聖女として必要な知識だ。一般教養は後回しにされる。マナーは習ったが、それ以外の一般常識は欠けていることを自覚していた。


(これでは、とても1人では暮らしていけない)


 自分を反省する。

 料理も、材料とかをいろいろと知っていた方が後で役に立つのではないかと思った。

 わたしはちらりと横を見る。

 サーブするために執事服を来た若い青年がついてくれていた。アインスの方にるもう1人の若い執事服の青年がついている。

 料理が運ばれてくると、無言のままかちゃかちゃとナイフやフォークが食器に当たる音だけが聞こえた。

 わたしは意を決して口を開く。


「ねえ、お兄さん。この料理は何という名前の料理で、どんな材料をどのように調理しているの?」


 青年に問いかけた。


「オニイサンとは私のことですか?」


 青年は戸惑った顔をする。

 困惑されるのは当然だ。この国で男性にお兄さんなんて呼びかけることはない。

 自分がテンパっている事にわたしは気付いた。


「ごめんなさい。なんて呼べばいいのかわからなくて」


 苦笑する。


「ケインとお呼びください」


 青年は穏やかに名乗った。

 わたしの無礼は水に流してくれるらしい。最初に名前を聞けば良かったのだと、わたしは反省した。


「ケイン。料理について教えてくれる?」


 改めて問う。


「かしこまりました」


 ケインは説明してくれた。料理人ではないので無理かもしれないと思ったが、ちゃんと説明できている。


(さすが公爵家。使用人教育もきちんとしているのね)


 わたしは感心した。

 使用人には今のところ意地悪もされていない。

 王命で嫁いできた聖女もどきなんて、気に入られなくて当然だ。わたしが使用人なら、何様?って思うだろう。聖女ではないから結婚しますというのはなんだか狡い気がした。意地悪されることもあるかもしれないと覚悟する。何もなくて、実はちょっと拍子抜けしていた。

 普通にみんな良さそうな人で、安心するより驚く。

 穿った見方をしていたわたしが性格悪いのかもしれない。

 もっとも、接した使用人はごく一部だ。これから意地悪な人が現われる可能性はある。それなりに長く生きてきたわたしは世の中にはいい人ばかりではないことはよく知っていた。

 ケインは次から次に、運ばれてきた料理の説明をしてくれる。

 材料はわたしが知っているようなものもあるが、呼び名は違った。

 だが、料理は自分でも出来そうだなと思う。

 ケインがいろいろ教えてくれたので、食事の時間は退屈しないで終わった。

 遠くに座っているアインスのこともあまり気にしないですむ。


(なんとなーく睨まれた気がするけど、気のせいだということにしよう)


 深く考えないことにした。

 どうせあのまま無言でも、アインスからわたしに話し掛けてくることはなかっただろう。話し掛ける隙がないほどずっとケインと話をしていたことを責められる理由はない。


「ありがとう、ケイン。貴方のおかげで料理を美味しくいただけたわ」


 わたしは礼を言う。


「とんでもありません。アヤ様」


 奥様ではなく、名前で呼んでくれる。アンナに頼んだ事はすでに徹底されているようだ。


(本当に優秀ね)


 わたしは心の中で感心した。





 

 夕食後はお風呂に入った。

 1人で入れると言いたいところだが、それが無理なのはよく知っている。

 離宮でも、メイド達に身体を洗われていた。庶民のわたし的にはただの羞恥プレイだが、貴族や王族はこれが当たり前だというのだから仕方ない。

 ここでも同じように、メイド達に身を任せた。

 手足はもちろん、身体中をくまなく擦られる。丁寧すぎて、ちょっと引いた。


(人前に晒せるほどの裸体を持っていないアラフォーにこれはちょっとした拷問だわ)


 思わず、苦笑が漏れる。若く張りのある肌なんてアラフォーに期待しないで欲しい。


「お肌、すべすべで柔らかいですね」


 お世辞なのか、そんなことを言われてびっくりした。


(いや、たるんでいるだけです)


 心の中では言えても、口には出せない。


「ははは……」


 曖昧に笑うしかなかった。


「これなら旦那様も……」


 そこまで言って、メイドはあっという顔で口を噤む。他のメイドに睨まれた。

 離宮でもそうだったが、お風呂で世話をしてくれるメイドは1人ではない。最低でも3人はついていた。それはこの屋敷でも同じだ。


「アインス様がどうかして?」


 きょとんとした顔で問うと、メイドの方もきょとんとする。

 互いに、目をぱちくりと瞬いた。


「今日は、その……」


 メイドが言いにくそうに口ごもる。

 さすがにわたしも察した。


(初夜ってことか)


 苦笑いが洩れる。


「もしかして、やたらと丁寧なのはそのせいなのかしら?」


 わたしは聞いた。毎日こんなに時間がかるのは大変だなと思っていたので、今日が特別だというなら安心する。


「ええ、まあ」


 メイドは頷いた。


(白い結婚なので、初夜なんてないのですよ)


 喉までその言葉がこみ上げてきたが、口にしていいのか迷う。こういうことは堂々と言っていい内容なのかわたしにはわからない。

 万が一口にして、それがアインスの名誉を傷つけることになったら困る。

 何も言わないのが得策だと思った。


(一般常識がないって不便ね)


 わたしは心の中でぼやく。

 早急に常識を身につけようと決めた。







 初夜になるはずのその夜、わたしは早々にベッドに入った。

 高そうなベッドは寝心地がとても良い。

 横になったら、そのまま眠ってしまったようだ。

 真夜中、目が覚める。


(喉が乾いた)


 そう思ったが、ベッドサイドに水差しとかは置いていない。何も言わなかったのだから、用意されていないのは当然だろう。


(どうしよう)


 メイドを呼ぶべきか迷った。

 だが、呼んで1人で寝ているところを見られるのは不味いかもしれない。


(水くらいなら、自分で取りに行っても問題ないだろう)


 そう思って、そっと部屋を出た。

 公爵家は広い。だが、離宮の方がもっと広かった。

 厨房の場所はどの建物も似たようなところにあるようなのでたどり着けるだろう。

 ランプのような明かりを持って、階段を下りた。一階で右に行くか左に行くか迷う。食堂がある方だろうとあたりをつけて、そちらに向かった。

 だが、厨房にたどり着く前に見つかってしまう。


「こんなところで何をしているのです?」


 後ろから声を掛けられた。咎められる。

 口調で誰なのかわかってしまった。わたしにそういう言い方を出来るのは1人しかいない。

 わたしはゆっくりと振り返った。

 アインスがガウン姿で立っている。寛いだ格好が、どこかアンニュイな雰囲気を醸し出していた。

 それがなんとも気まずい。

 アインスから目を逸らした。


「すみません。水が飲みたくて」


 わたしは理由を説明する。


「そういう時はメイドを呼んでください」


 もっともなことを言われた。


「はい」


 わたしは素直に頷く。自分が悪いのは自覚しているので、反論はない。

 だが、気になっていることを聞くチャンスだとも思った。


「ついでにいくつか確認してもいいですか?」


 問いかける。


「なんですか?」


 アインスに聞き返された。


「わたしたちの結婚が『白い結婚』であることは使用人達に話していいことなのでしょうか?」


 わたしは尋ねる。

 アインスが息を飲むのがわかった。


「立ち話でする話でもないでしょう。こちらへ」


 アインスに促される。

 わたしは素直について行った。

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