第9話 聖女<王子side> 後編
黒髪で肌の色が違うアヤを聖女とは認めない一派があった。
だがたいしたことはできないと、キルヒアイズは油断する。
アヤが召喚者であることは間違いなかった。
聖女であることは覆るはずがない。
しかし彼らはアヤが半年経っても聖女の力を発現できないことに難癖をつけた。聖女の力は召喚されて直ぐに発現できるものではないと説明しても、聞く耳を持たない。
前任の聖女が召喚されたのはもう60年以上も前の話で、当時のことを知るものはほとんどいなかった。
聖女の不在を不安に思う人々の間に、呼ばれたのは聖女ではないから力が発現できないのだという噂が流れる。
それはもちろん、根拠のない嘘だ。
だが、不安な人の心の隙間にその噂はするすると浸透する。あっという間に広まった。
市井にまで伝わり、簡単には押さえられなくなる。
重臣達が集まり、協議が繰り返された。
そして結局、もう一度、聖女を召喚することが決まる。
キルヒアイズはふざけるなと思った。
召喚された人間は元の世界の生活を全て失う。それがどういうことなのか理解しようともせず、自分たちの利益のためにまた異世界から人を呼ぶなんてなんと身勝手な話だろう。
しかも、そのためにアヤに聖女ではないという烙印を押すという。
だがそれを止める力がキルヒアイズにはなかった。
自分の無力さを嘆く。しかし父である国王でさえ、重臣達を押さえられなかった。
聖女の不在というのはそれほど影響が大きい。貴族も市民も不安に思っていた。聖女の存在が早急に必要なことは事実だろう。
だが呼んでも失敗することがキルヒアイズにはわかっていた。
烙印を押そうがどうしようが、アヤが聖女であることは間違いないだろう。
聖女がいるから次の聖女は呼べない。
だがそれを説明したら、アヤの命は狙われる。
アヤが死ねば、次の聖女が呼べるということになる。
キルヒアイズは余計な事は何も言わず、アヤに聖女ではないという烙印を押すことに賛成した。
キルヒアイズは苦々しい思いで離宮を訪れた。
アヤに全てを話す。包み隠さず説明した。
アヤは黙って、話を聞く。
正直、怒ると思った。
キルヒアイズでさえ、勝手な話だと思う。
勝手に呼んで、勝手に失望して、聖女ではないと烙印を押す。
アヤには怒る資格があると思った。
しかし、意外にもアヤは安堵の表情を浮かべる。聖女として期待されるのは重荷だったと寂しく笑った。
聖女ではないと烙印を押された方が楽だと、むしろ喜ぶ。
アヤの気が軽くなるというなら、この状況も悪くないとキルヒアイズは思った。
だが、聖女でなくなったアヤは離宮に住み続けることはできない。身の振り方を考えなければならなくなった。
キルヒアイズはアヤを手放したくない。
愛妾として自分の側に置くことを考えた。聖女でなければ、王子の妻になるのは身分的に難しい。
だが、愛妾としてなら面倒を見るのは簡単だ。
しかし冗談のように誘っても、アヤは嫌がる。
倫理的に無理だと渋い顔をした。
今さら、もともと自分と結婚する予定だったこともキルヒアイズは持ち出せない。こんなことなら、最初から打ち明ければ良かったと後悔した。
だか今さら、どんなに悔いても遅い。
仕方なく、キルヒアイズは次善の策を考えた。
妻を亡くしたばかり従兄弟に白羽の矢を立てる。
華やかな容姿を裏切って、アインスは意外と堅実で真面目な男だ。
白い結婚を持ち出せば、納得するだろう。
アインスは亡くした妻のことを吹っ切れていなかった。
再婚する気になんてなれない。誰かを愛する心の余裕が無かった。
だがこのままでは自分がそう遠くない未来、無理矢理再婚させられることをアインスは知っている。いつまでも独り身で許される立場ではなかった。
貴族には案外、夫婦同伴の催し物が多い。屋敷にも女主人が必要だ。
彼の両親には温情があったとしても、一族にはないだろう。彼には嫡男として、一族を守る使命があった。
その使命を真面目なアインスは捨てられない。
形だけの妻がいれば、助かるのは彼も同様だ。
王命という形で通達すれば、一族は反対できない。
アヤだけではなく従兄弟も救うという目的で、キルヒアイズはアインスにアヤとの再婚を持ちかけた。
もっともその時点で、王命が出ることは決定していた。元からアインスに拒否権はない。
アインスは乗り気ではなかった。
だが、王命なら仕方ないと受け入れる。
乗り気ではないアインスは結婚の準備に何一つ顔を出さなかった。
仕事が忙しいのも事実だが、無理はしなくていいとキルヒアイズが言ったのも理由の一つだろう。王命として押しつける分、諸々の負担はこちらがすると申し出た。
キルヒアイズはアヤのウェディングドレス選びを楽しむ。
それが自分との結婚ではないことは残念で仕方ないが、アヤが聖女としての力を発現した際は自分の妻として娶ると決めていた。
自分の時はこんなドレスもいいな、あんなドレスもいいなと考えるのは楽しい。
必要以上に、アヤにはいろんなウェディングドレスを着せた。
アクセサリーもキルヒアイズが選ぶ。
そもそも、ドレスもアクセサリーもキルヒアイズはアヤに沢山プレゼントしていた。アヤの持ち物はほぼ自分からのプレゼントであることを自負している。それらを持って、アヤは嫁に行く。
嫁いだ先でも、アヤが身につけるのは自分が贈ったドレスと宝石だ。それを脱がせる権利は自分にしかない。
それがとても歪んだ感情だと理解しているが、自分の愛する女性が他の男と形だけとはいえ結婚するのだ。そんな風にでも考えないと、やりきれない。
教会で愛を誓うアヤを見て、キルヒアイズは予想以上に凹んでいた。
「週末にでも、アインスの所に遊びに行こうかな。アヤが元気でやっているのか様子が見たい」
独り言のようにキルヒアイズは呟いた。飲みかけの紅茶を飲み干す。
「本気で言っているのですか?」
サイモンは呆れた。
「新婚家庭の邪魔をするなんて、無粋ですよ」
渋い顔をする。
「別に、本当に結婚したわけじゃない」
キルヒアイズは憮然とした。
「実際にはそれがどんな形であれ、結婚そのものは有効です」
サイモンは反論する。それが正しいのはキルヒアイズもわかっていた。何も言い返せない。
「だが、アヤに会いたい」
拗ねた子供のように呟いた。
「どうしても欲しいものだったら、例え一時でも誰かに預けたりしてはダメなのですよ」
子供に諭すように、サイモンは囁く。
「だったら、どうすれば良かったんだ?」
キルヒアイズは問うた。
「それは……」
サイモンは言葉に詰まる。
「何が正解なのかは私にもわかりません。でも少なくとも、王子は自分の気持ちをきちんとアヤ様に話して、その上で相談するべきでした。そうすれば、アヤ様が選ぶ答えも変わったかもしれません」
言いにくそうに答えた。
「……」
キルヒアイズは黙り込む。
その顔は痛みを堪えているように見えた。
「今日はもう、仕事は終わりにしますか?」
サイモンは尋ねる。ゆっくり休めばいいと思った。急ぎの仕事はない。
「いや……」
キルヒアイズは首を横に振った。
「忙しい方がいい。仕事をしていた方が気が紛れる」
苦く笑う。
「そうですか。では、忙しくて何も考えられないくらい仕事を入れましょう。疲れて、夜も寝てしまえるように」
サイモンはニッと悪戯っ子のような笑みを浮かべた。
「そこまでは望んでいない」
キルヒアイズは苦く笑う。だが、幼馴染の優しさがありがたかった。
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