第8話 聖女<王子side> 中編
キルヒアイズは前任の聖女に可愛がられて育った。
国王である祖父も皇太子である父も息子には愛情より期待を持っていた。その期待に応えなければいけないことをキルヒアイズは幼い頃から知っている。
そんな彼にとって、聖女だけが甘えられる存在だった。聖女もそんな王子を可愛がる。
10年前、自分の死期を予感した聖女が国王に次の聖女の召喚を進言したのは、可愛がっているキルヒアイズのことを考えたからかもしれない。聖女が不在になる期間、どうしても国の情勢は不安定になる。その期間は短い方が良いにこしたことはなかった。
聖女の召喚にはいくつかの不文律がある。
一年に一度しか召喚できないこと。
一つの時代に二人の聖女は存在できないこと。
つまり、次の聖女を呼べるのは、今の聖女が亡くなってからになる。
だが、聖女の力は召喚されて直ぐに発現できるものではない。
準備期間が必要なのだと、聖女は訴えた。
早めに召喚できるなら、その方がいい。
だが、聖女は一人だけというのは絶対のルールだったようだ。
召喚は成功するとは限らない魔法だが、9年続けて失敗するのは珍しい。聖女の寿命が尽きる方が早く、次の聖女が召喚される前に前任の聖女は亡くなってしまった。
その半年後、10年目にしてやっと召喚は成功する。
魔法陣の中に現われたのは黒髪で小柄な女性だ。
この国の人間には少女に見える。
彼女は問われてアヤと名乗った。困惑に顔を歪め、それでも黙って口を噤んでいる。
状況を必死で把握しようとしているのが見て取れた。
そんなアヤの様子を余所に、やっと成功した召喚にその場は大いに盛り上がる。
聖女としてアヤは歓迎された。
しかしその一方で、明らかに人種が違うアヤに戸惑う人は少なくない。
だが漂うお祝いムードに、それを口にすることは誰もできなかった。
前の聖女は白人系で金髪の女性だった。黒髪で肌の色も違う聖女がいるなんて、聞いたことは誰もない。
だがそもそも、その場にいた誰もが前任の聖女以外の聖女は見た事がなかった。聖女は普通より長命で、老いるのもゆっくりだ。前任の聖女は60年くらい聖女として働いていた。
彼らにとって、聖女とは彼女の事だ。イメージがそれで固まっている。
だが見た目が違っても、魔法陣の中に現われたのなら召喚されたことは間違いない。
なにより、アヤは見たこともない服を着ていた。
それは会社の制服だったのだが、そんなことは誰にもわからない。
ただ、異世界から来たことは確信できた。
アヤの面倒を見ることを、キルヒアイズは買って出る。見知らぬ場所に来て怯えるアヤに手を差し伸べた。
もともと、次の聖女が召喚されたらキルヒアイズが娶ることは決まっていた。そのために、王子でありながらキルヒアイズには婚約者がいない。
キルヒアイズがアヤの面倒を見ることに、反対する理由は何もなかった。
アヤはキルヒアイズの預かりとなった。
とりあえず、前任の聖女が暮らしていた離宮にキルヒアイズはアヤを連れて行く。
これからはここで暮らすことになるのだと説明しても、アヤの反応は鈍い。
聖女として召喚したことを話しても、返事はほとんどなかった。
それがこちらを警戒し、様子を窺っていたからだと気付いたのは翌日だ。
召喚は真夜中に行われる。遅い時間なので、その日はとりあえず寝てもらうことにした。
アヤは落ち着いているように見えた。
キルヒアイズは安心する。
だがそれは状況を受け入れられなかっただけだった。
翌日、離宮を訪れると大騒ぎになっていた。アヤが食事を取らず、部屋からも出てこないという。
鍵がかからないはずのドアは開かず、部屋の戸をいくら叩いても反応はなかった。
まる一日待っても、アヤは部屋から出て来ない。
結局、ドアを壊して中に押し入った。
明かりがついていない暗い部屋の中、アヤはベッドの上でただ膝を抱えて座っていた。恨めしげに侵入してきたキルヒアイズたちを見る。
「アヤ……」
キルヒアイズは声を掛けた。
「わたしは帰れないの?」
アヤは一言、ただそう聞く。
その顔は虚ろだが、涙はなかった。聞かなくてもわかっている答えを求めているのが伝わってくる。
アヤはきっと、二度と元の世界には戻れないことを察しているのだろう。
それでも、確かめずにいられないようだ。
異世界から召喚するというのがどういうことなのか、その瞬間、キルヒアイズは本当の意味で理解する。
今まで、自分がよくわかっていなかったことに同時に気付いた。
半年前に亡くなった聖女の言葉を思い出す。
聖女の力が発現するまでには多くの時間が必要だと、彼女はキルヒアイズに打ち明けた。それが何故なのか、彼女は理由を口にしない。
後でわかるとだけ言われた。
その意味が今、わかる。
突然異世界に連れ去られて、その国の人を助けようなどと思えるわけがない。守りたいとか助けたいとかいう気持ちが無ければ、聖女の力は発現しないはずだ。
力の発現まで、時間がかかるのは当然のことだろう。
「すまない。本当にすまない」
キルヒアイズは謝った。
謝罪の言葉以外、出てこない。
アヤはそんなキルヒアイズをただ見ていた。
アヤが閉じこもって、自分のわがままを通したのはその一日だけだった。
翌日から始まった聖女教育には素直に応じる。
聖女は召喚されれば無条件で力を使える訳ではない。
魔法については習う必要があり、その他に聖女として必要な一般常識も学ぶ必要があった。
聖女は国にとってとても重要な存在だ。一刻も早く、アヤには聖女としての力を発現するよう求められる。
だが、それはそんなに簡単な事ではなかった。
しかし多くの人はそれを理解していない。
期待と重圧にアヤが押しつぶされるのを心配して、キルヒアイズは毎日のように聖女の離宮に顔を出すようになった。
召喚した責任をとても感じている。
だがそれは王子としての責務だった。そこに自分の感情はない。
だが毎日顔を合わせていると、情が湧く。
それはキルヒアイズもだが、アヤの方も同様だった。
黙ったまま顔を強張らせていたアヤの表情も少しずつ緩む。
話をしてくれるようになった。
半月も経つ頃には、微かに笑みを浮かべることもある。
アヤはいつも穏やかで、精神的に落ち着いていた。聖女に相応しい性格をしていることをキルヒアイズは知る。
そのことを指摘すると、アヤは苦く笑った。伊達に長く生きていないと気まずい顔をする。
その時初めて、キルヒアイズはアヤが少女ではないことを知った。
せいぜい15~6歳。もしかしたらもっと若いかもしれないと思っていた事を話したら、ひどく驚いた顔をされる。
きょとんとした後、笑い出した。
アヤが声を上げて笑うのを初めて見る。
そんなわけないと否定するので年を聞いたら、とても言いにくそうな顔をした。小声で、25歳だと答える。
その答えにはキルヒアイズの方が驚いた。
トウヨウケイは若く見えるんですよと説明されたが、キルヒアイズには何の話をしているのかわからない。
だがアヤが楽しそうだったので、深く追及しないことにした。
その日から、アヤとキルヒアイズの距離は縮まる。
義務として訪れていた離宮が、憩いの場に変わるのは早かった。
アヤと会うことを楽しいと思う。
どんな令嬢と会ってもそう感じたことはなかったので、キルヒアイズは少し戸惑いもした。
だが、聖女であるアヤはキルヒアイズと結婚することが決まっている。
好意を持っても問題はなかった。
キルヒアイズはアヤといろんな話をする。
誰にも言えない事もアヤになら話せた。そしてアヤはそれを誰にも言わずに秘密にしてくれる。
異世界の事も沢山話してくれた。
アヤとなら幸せに暮らせるだろうとキルヒアイズは思う。
だが、アヤには自分との結婚が決まっていることは話せなかった。話したら、何かが変わってしまう気がした。
今の気安い関係を壊したくない。
周りにも結婚の話は口止めした。聖女の力が発現するまで、余計な事は耳に入れないように頼む。
それはある意味、裏目に出た。
最初から、アヤに自分と結婚することが決まっていることを伝えたら、何かが変わったかもしれない。だがその時は、アヤに聖女ではないという烙印が押される事があるとは思わなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます