第7話 聖女<王子side> 前編




 キルヒアイズは教会から戻って、自分の執務室にいた。

 側近のサイモンと共に政務に勤しんでいる。


「そろそろお茶の時間ですが、休憩されますか?」


 サイモンは問いかけた。疲れた顔の主を気遣う。

 サイモンは王子やアインスほどではないが整った顔立ちの青年だ。王子達より3つ年上の22歳で、年齢より落ち着いた感じがある。いかにも仕事ができそうなちょっと冷たい感じの容貌を裏切らず、本当に仕事ができる優秀な側近だ。宰相の子息で、王子が生まれた時から側近になることが決まっている。そのため、王子に準ずる帝王学を学んでいた。今のように主従関係が落ち着く前は、王子やアインスにとっては幼馴染のお兄ちゃんという立ち位置にいた。落ち着いた茶色の髪とダークブルーの瞳が王子たちのキラキラについていけない女性陣からの支持が高く、何気に一番モテる。だが本人はそのことを全く気にしていなかった。王子より先に結婚することはできないと、婚約者さえ決めていない。仕事が恋人という典型的なワーカーホリックだ。


「ああ、そうだな。そうしよう」


 キルヒアイズは頷く。席を移動した。

 お茶の用意が調うのを待つ。王宮の侍女は有能で、二、三人でぱぱっと用意を終える。薫りの高い紅茶のカップがキルヒアイズとサイモンの前に置かれた。


「今頃、アヤもお茶を飲んで一息吐いている頃だろうか?」


 ふと、キルヒアイズが呟く。遠い目をした。


「殿下。人様の妻になった女性のことを気に掛けるのはおやめください」


 当然の注意をサイモンはする。だが、キルヒアイズはそれを聞き流した。


「あのドレスはやはり地味だったな。もう少し華やかなモノでも良かったと思わないか? わたしの時はもっと綺麗にアヤを着飾ってあげよう」


 楽しげに、今日結婚したばかりの女性の再婚話をする。


「殿下」


 サイモンはとても渋い顔をした。失礼にもほどがあるし、そんな話、誰かの耳に入ったら大変だ。だがそんなことくらい、キルヒアイズが考えない訳がない。この場にいるメイドは王子付きの信頼できるものばかりだ。それがわかっているから、王子は本音を口にする。


「本気で、アヤ様を聖女だと信じているのですか?」


 サイモンは問う。


「ああ。信じているよ」


 キルヒアイズは頷いた。


「アヤは聖女だ。いつか、聖女としての癒やしの力を発現するだろう。そしてその時、私はアヤを娶るよ」


 宣言する。


「……」


 サイモンはため息を吐いた。


「そんなに好きなら、アインスとの結婚なんて勧めないで、自分の愛妾として囲ってしまえば良かったのに」


 もっともなことを言う。側近としての立場では無く、幼馴染のお兄ちゃんとして意見した。


「私はアヤを愛人にしたいわけじゃない。妃にしたいんだ」


 キルヒアイズは反論する。こちらも主としての言葉と言うよりは幼馴染の弟としての言葉だ。拗ねた顔をする。


「愛人を王妃にした例が無いわけではないですよ」


 サイモンは現実的なことを言った。そういう事例があるのだから、問題はない。


「それではダメだったんだ。私ではなく、アヤが」


 キルヒアイズは苦く笑う。

 アヤに結婚を勧める時、冗談のように自分の愛人になるという手もあると選択肢を提示した。

 だがその時にアヤが返した反応は嫌悪に近い。一夫一妻制の国に暮らしていたから、貴族が当たり前のように愛人を囲ったりするのは倫理的に馴染めないと眉をしかめた。

 アヤを愛人にするという案はその時、無くなる。

 本人が望まないのに愛人にするわけにはいかない。なんだかんだいって、キルヒアイズはアヤに嫌われたくなかった。

 そして、妻を亡くしたばかりで暫く再婚する気になんてなれない従兄弟のことを思い出す。

 アインスなら、白い結婚という形でアヤの身を預かってくれると思った。アインスは意外と融通が利かない堅物だから、王命はきちんと守るだろう。

 アヤがアインスの容姿を気に入っていたことも知っていた。王宮の中でたまたま見かけ、凄く綺麗な人がいたと侍女たちと盛り上がっていたことは耳に入っている。

 それが恋愛感情では無い事もわかっていた。だから、丁度いいと思う。

 嫌いな相手でなければアヤも納得するだろうとも思った。

 もっとも、アヤは自分の結婚相手が、一度見た事がある綺麗な人だとは結婚式の当日に顔を合わせるまで気付いていなかったようだ。もしかしたら、見かけたことさえ忘れているのかもしれない。

 そのことに、キルヒアイズは少しほっとしていた。

 アヤが本当にアインスのことを好きになったら、困る。


「何故そこまで、アヤ様に肩入れするのですか? 確かに、異世界から勝手に召喚して、迷惑をかけたことは否めませんが……」


 サイモンは首を傾げた。

 キルヒアイズを小さな頃から知っている。昔から、どこか冷めた子供だった。自分の立場を理解し、だがその立場を嵩ににきることもない。王子である自分は他者よりが多くのものを求められていることも知っていて、十二分にそれに応えてきた。

 なんとも窮屈な生き方をしていると、幼馴染の兄貴分としては気の毒にも思う。

 だが、自分がキルヒアイズにしてやれることなんて何もなかった。彼を王子という立場から救い出すことなど、誰にもできない。何より、そんなことを本人が望んでいなかった。彼はああ見えて、国や民を愛している。自分が国王になり国を守ることに使命感を持っていた。


 聖女に関することも、使命感でやっているのだとサイモンは勝手に思う。

 もともと、前任の聖女ともキルヒアイズは仲良くしていた。

 聖女は王族と婚姻を結ぶ。その力を王家のために存分に発揮するためだ。

 前任の聖女は高齢だ。召喚されたのは60年以上も前の事だと聞いている。当時の国王はそのときにはすでに妻がいたので、その弟が彼女を娶った。金髪の美しい女性で、男性と負けないくらい背が高く体躯もがっちりしていた。夫との関係はあまり上手くいかず、子には恵まれなかったが、聖女として王家には大事にされた。王宮に住み、国のため、王家のために力を尽くす。

 そんな聖女をキルヒアイズは妙に慕っていた。小さな頃から彼女の暮らす離宮に顔を出し、いろんな話を聞く。

 自分を慕う小さな子供は愛らしいようで、聖女の方もキルヒアイズに特別良くしていた。自分の寿命が尽きる前に、早急に次の聖女を召喚するべきだと彼女が進言したのは、キルヒアイズのためだろう。

 この国の聖女は人々の精神的主柱である。聖女がいるというただそれだけで、民の心は安定した。

 キルヒアイズが国を継いで王となる時、聖女がいないと困る。

 十分に時間をかけて次の聖女を育て上げてから、彼女は天寿を全うするつもりでいた。


 しかし、その目論見は大きく狂った。

 召喚は一年に一度しか行うチャンスがない。しかも成功するとは限らなかった。

 何回も失敗が続き、十分に余裕があったはずの時間はどんどん無くなる。

 結局、アヤを召喚するまでに10年もかかってしまった。

 しかも成功する半年前に、前任の聖女はなくなってしまう。

 全てが崖っぷちで、ぎりぎりだ。

 その上、召喚された聖女は今までの聖女とかなり違う。

 今までの聖女は全て、金髪に白い肌の、自分たちと同じ人種だった。

 しかし、アヤは黒髪で身体も小さい。肌の色も少し違った。サイモンには西洋東洋などという違いはわからないが、人種が同じではないことは理解できる。

 アヤが聖女ではないのではないかという疑いは、実は召喚当初からあった。それはアヤが聖女としての力を発現できないことによって、日々、強くなっていく。

 国王やキルヒアイズはその意見に真っ向から対立したが、不容認派はどんどん語調を強めていく。

 次の召喚を進めるべきだと、強行に主張した。

 一年に一度しか召喚のチャンスはない。判断ミスは許されないのだという不容認派の意見に、中立派の貴族達も揺らいだ。決断を遅らせれば遅らせるほど、取り返しが付かなくなる。

 結局、国王は召喚を行うことにした。

 それが妥当な判断だと、サイモンも思う。

 アヤには申し訳ないが、それが政治というものだ。

 振り回したアヤに後ろめたい気持ちはサイモンにだってある。だがそれは迷惑を掛けた事に対してであり、アヤを聖女だと思っているかと聞かれたら、微妙な所だ。

 召喚者だから特別ではあるが、聖女とは限らない気がしている。


「肩入れもなにも、アヤは聖女だよ」


 キルヒアイズは断言した。


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