第6話 王命<アインスside>




 疲れを理由に早々に席を立ったアヤをアインスは視線だけで見送った。


 『ちょっと変わっているが、とても優しい人だと思う』


 アヤをそう称したのは、王子であるキルヒアイズだ。何事にもどこか冷めていて、全てのことを俯瞰しているような彼が珍しく感傷的なことを口にする。

 半年の間、キルヒアイズが足繁く聖女の所に通っているのは聞いていた。だがそれは王子の務めだからだとアインスは思っていた。だが、もしかしたら違うのかもしれない。義務として気を遣っている以上のことがあるのではないかとアインスは感じた。

 一月ほど前、呼び出された時のことをアインスは思い出す。





 王子の呼び出しはいつも突然だ。

 やれやれと思いながら、アインスは王宮に向かう。いつものようにたいした用事ではないと、勝手に思っていた。

 キルヒアイズは気軽にアインスを呼びつける。

 王族と公爵家で身分に隔たりはあるが、二人は従兄弟同士だ。気安さがある。アインスの母は前国王の娘で、現国王の姉になる。国王は昔から姉であるアインスの母に弱かった。そんな叔父には小さな頃から可愛がってもらっている。子供の頃から、アインスは母に連れられてよく王宮に遊びに行った。未だに、王宮にはほぼ顔パスで入れる。


 キルヒアイズに呼ばれたことを門番に告げると、侍女が現われて案内された。

 王子の私室ではなく、温室に通される。


(珍しい場所で会うんだな)


 そう思ったが、深く気にしなかった。

 どこか飄々としてつかみ所がない従兄弟は、幼馴染で親しくしているアインスにさえ心が読めない。考えるだけ無駄だ。

 だがそういうところが時期国王に相応しいとも思う。

 キルヒアイズには弟が二人いるが、周りは時期王はキルヒアイズ以外に考えられないと思っていた。それは長男だからということだけが理由ではない。キルヒアイズは思慮深く聡明で、策略を巡らせられる冷酷さも持ち合わせていた。王に相応しい性格をしている。それは帝王学を学んでさらに開花していた。

 同い年だが、自分よりずっと大人だとアインスはキルヒアイズのことを評価していた。


「やあ、アインス。よく来てくれたね」


 アインスの姿を見て、キルヒアイズは微笑んだ。歓迎する。

 温室の中には薔薇が咲き乱れていた。

 真ん中辺りに椅子とテーブルがある。

 テーブルの上にはすでにお茶の用意ができていた。カップに紅茶を注げば終わり状態になっていて、アインスが椅子に座るとさっと紅茶のカップが目の前に出てくる。


「どうぞ」


 キルヒアイズはお茶を勧めた。その優しげな笑顔には裏があるように見える。アインスは警戒した。

 案内してくれた侍女もお茶を淹れていた侍女も居なくなっていることに気付く。人払いがされていた。

 聞かれて不味い話というのは、たいていはよくない話だ。

 アインスは顔をしかめる。


「そんな表情をするな。せっかくの綺麗な顔が台無しだろう?」


 からかうように、キルヒアイズはそんなことを言った。王子がそんな軽口を叩くのは珍しい。それだけ、アインスに心を許していた。

 二人とも整った顔立ちをしているが、どちらかというと男性的な顔立ちのキルヒアイズに比べてアインスは中性的で静かで知的な印象がある。美人タイプだ。


「そんな話をしたくて呼んだのなら、帰るぞ。生憎、暇ではない」


 アインスは素っ気なく言う。

 だがそこには従兄弟同士の気安さがあった。言葉とは裏腹に、アインスもまた従兄弟である王子に親しみを持っている。


「ちょっと場を和ませようとしただけだろう? 怒るなよ」


 キルヒアイズは笑った。


「これから、言いにくいことを言わなければならないのだから。少しくらいの軽口は許してくれ」


 自分もお茶を一口、飲む。


(来た)


 アインスは心の中でそう思った。


「言いにくいことってなんだ?」


 問いながら、だから温室などという変わった場所なのかと、一人で納得する。部屋で密談していたと取られると不味いのだと思った。


「二週間後、結婚してくれない?」


 キルヒアイズは唐突に切り出す。


「はあ?」


 思わず、間の抜けた返事をアインスはした。それはまったく予想していない言葉だった。


「……」

「……」


 不自然な沈黙がその場に流れる。

 それが性質の悪い冗談ではないことは、キルヒアイズの様子を見てアインスは理解した。


「私は半年前に妻を亡くしたばかりだ。暫く、再婚する気はない」


 真面目に答える。


「わかっているよ」


 キルヒアイズは頷いた。

 アインスの妻が半年前、難産の末に亡くなったことはもちろん知っている。妻であるレティアとはキルヒアイズも親しくしていた。幼馴染だと言えなくもない。


「わかっていて、言っている。これはお願いでは無く、王命なんだ」


 冷めた表情、淡々とした口調でそう続けた。


「王命で結婚だなんて……。相手は誰なんだ?」


 アインスは顔をしかめる。


「召喚者のアヤだ」


 キルヒアイズは答えた。


「聖女様か? しかし、聖女様なら……」


 アインスは従兄弟の顔を見る。

 聖女は王族と婚姻を結ぶのが慣例になっていた。それは聖女の力を王家が独占するためだ。わかりやすい策略だが、それに異を唱える事ができるものなど国にはいない。


「次期国王である私が聖女の夫には相応しく、私もそのつもりでいた。だが、ちょっと厄介な状況になっていてね。近々、アヤは聖女ではないという烙印を押される事になった」


 キルヒアイズは淡々と事実を告げた。そのことに対して彼自身がどう思っているのかはまったく読み取る事ができない。


「何故、そんなことに?」


 アインスは渋い顔をした。


「アヤが聖女としての力を発現できないのが主な理由だが、本音は再び召喚の儀を行いたいからアヤが邪魔なんだよ」


 聖女かもしれないアヤがいては、召喚の許可が下りない。召喚というのは容易く行えるものではなかった。事前の準備と多額の費用が必要になる。

 聖女がいない時もしくは死期が近いと本人が判断した場合のみ、召喚は許されていた。それ以外の場合は禁止されている。

 つまり現状、アヤが死ぬか聖女ではないという烙印を押されない限り、召喚は行えなかった。

 聖女はこの国の精神的主柱だ。聖女がいることによって、人々は安心する。現人神的存在になっていた。

 冷静に考えて、たった一人の聖女が全ての病人の病気をなおせるはずがない。聖女がいても、その恩恵に預かるのはごく一部の王族や上級貴族だ。だがそれでも、聖女がいるというだけで国民は安心する。

 聖女とは政治的にも必要な存在になっていた。いないと困る。だが力を発現できないのなら、召喚者は邪魔なだけだ。さっさと消えていなくなって欲しいと考える過激な思想の人間は少数だが確かにいる。

 事実、アヤの周りで不審なことが起っていた。

 このままだと命に関わると判断し、国王はアヤに聖女ではないという烙印を押すことにする。


 キルヒアイズの説明をアインスは黙って聞いていた。


「なるほど。状況は理解しました。でもどうしてそれが結婚するということになるんです?」


 首を傾げる。唐突すぎると思った。


「聖女ではないアヤを王宮に置くことはできない。だが、アヤには戻れる実家もない。女性が一人で自活して生きていくのはこの国ではとても難しい。アヤには召喚者として、一代限りの爵位が授けられているがそれはほとんど名前だけの名誉職だ。アヤにはこの国で暮らすすべがない」


 アヤの置かれた現状をキルヒアイズは話す。


「だったら、愛妾にでもすればいい。正妃にするのは難しいが、愛妾として側に置くことは可能だろう?」


 アインスの言葉をキルヒアイズは鼻で笑った。それを考えなかったと思うのかという顔をする。


「聖女ではないという烙印を押したからって、アヤの身の安全が保障されたわけではない。王宮は広い分、人の出入りも多い。そんな場所でアヤを守るのは困難だ。公爵家の方がどう考えても安全だろう?」


 真顔でアインスに問うた。


「何故、私なんです?」


 アインスは眉をしかめる。辛い顔をした。相手ならいくらでもいるだろう。よりによって何故自分がと思わないではいられなかった。


「レティアの件で、アヤを恨んでいるのか?」


 キルヒアイズはずはり聞く。言葉を濁しても意味がないと思った。


「恨んでいないと言えば、嘘になる。だが、彼女が悪いわけでは無い事もわかっているつもりだ」


 アインスは正直に答える。聡い従兄弟には隠し事は無駄だと知っていた。


「そうか」


 キルヒアイズはただ頷く。


「アヤがお前を見初めたんだ。たまたま、王宮に来ていたのを見かけたらしい。とてもキラキラした美しい人がいたとはしゃいでいたそうだよ」


 何故と聞いたアインスの質問に答えた。

 それは事実だったが、アヤに何の意図もないことはキルヒアイズにもわかっていた。綺麗なものを見て、単純に喜んだだけなのだろう。だが、彼女が何かに対して嬉しそうな顔をすることは本当に少なかった。アインスはアヤの琴線に触れたようだ。せめて、アヤが気に入る相手との結婚を勧めようとキルヒアイズは思う。


「それに、これはアインスにも都合のいい話だ」


 キルヒアイズは真っ直ぐアインスの目を見た。


「どういうこと?」


 アインスは問いかける。


「若くて綺麗で有能な公爵様が、いつまでも独身でいられるわけがないだろう? 妻を亡くして半年。そろそろ見合いの話が届き始めているんじゃないか?」


 その言葉に、アインスはぎくりとした。実際、その通りだ。赤ん坊には母親が必要だと、再婚話が出始めている。あちこちから見合いの話が舞い込むようになった。それは今後、さらに増えるのは想像するに容易い。今はまだ断れる格下の家からの申し込みだが、その内、断わりにくいところから話が舞い込むのは目に見えていた。パーティとかでも、露骨に誘われることが増えている。

 みんな公爵夫人の座を狙っていた。


「再婚すれば、そういう面倒な話は全て無くなる。見合いの話も来なくなるし、パーティに出る度に物陰にひっぱり込まれそうになることもなくなるぞ」


 やけに具体的に知っている従兄弟に、アインスは苦笑するしか無い。


「確かに結婚したならそういう厄介な事からは解放されるだろう。だが結局、結婚しているんだから状況は変わらないじゃないか」


 文句を言った。子供みたいに頬を膨らませる。


「本当に夫婦になる必要はない」


 キルヒアイズはぼそっと呟いた。


「白い結婚という手があるだろう? 他の令嬢ならそんな話に納得しないだろうがアヤならおそらく納得する。形だけの夫婦なら、互いにそれほど負担にならないだろう」


 提案する。

 だがアインスはますます渋い顔をした。


「それが狙いか?」


 静かな声で問うた。


「私なら白い結婚に乗ることがわかっていて、結婚を勧めるのか?」


 結局、キルヒアイズにアヤを手放す気は無いのかもしれないと思った。


「……」


 キルヒアイズは答えない。


「……」

「……」


 沈黙が重苦しく部屋に満ちた。


「私はアヤは聖女だと思っている」


 まるで独り言のように、キルヒアイズは呟く。


「まだ、力が発現していないだけだ。前任の聖女様は召喚者に聖女の力が発現するのには時間がかかると言っていた。だから、引き継ぎは5年掛けてゆっくりと行うのだと。それを半年や1年で力が発現しないから聖女ではないなんて早計すぎるだろう? 本当は私も父上もアヤに聖女ではないという烙印を押すのは反対だ。今後、アヤが聖女の力を発現させる可能性は十分ある。だが、聖女の不在に民の心が揺れているのも確かだ。前任の聖女様が亡くなって1年。再び召喚の儀を行い、聖女を召喚したいという意見を頭ごなしに押さえつける事はできない。だから、これは苦肉の策なんだ。アヤが聖女の力を発現するまで、その身を預かって欲しい」


 頼んだ。誰よりアインスを信頼しているから、キルヒアイズはアヤの夫にアインスを選ぶ。


「聖女の力が発現したら、どうするつもりなんだ?」


 アインスは聞いた。


「もちろん、アヤは王家に返して貰う。そのために、白い結婚でなければならないんだ。離婚に関する様々な手続きはこちらでやるし、慰謝料も用意しよう。なんなら次のお前の再婚相手も用意できるぞ。でも……、それは望まないのだろう?」


 キルヒアイズは小さく笑う。


「余計なお世話だ」


 アインスはつんとそっぽを向いた。


「それより、この話を肝心のアヤは知っているのか?」


 尋ねると、珍しくキルヒアイズが表情を曇らせる。


「いや、知らない。言う気もない」


 ため息を一つ、吐いた。


「何故?」


 アインスは尋ねる。


「アヤは聖女教育に疲れ果てている。勝手に異世界に連れて来られて、勝手に期待されて、うんざりしているんだ。しばらくは聖女のことなんて忘れて、のびのびと暮らして欲しい。聖女の力が発現したら王宮に連れ戻されるなんて知ったら、アヤの力は永遠に発現しないかもしれない」


 キルヒアイズは自虐的に笑った。その顔はいつもより感傷的に見える。


「人はモノではない。こちらの思うとおりに動くとは限らないぞ」


 アインスは忠告した。


「わかっている。だから、苦肉の策だと言っただろう?」


 キルヒアイズはすっかり冷めた紅茶を飲み干す。苦い気がした。


「王命は明日出る。その前に、話しておきたかった」


 すでにそれは決定事項であることを伝える。


「そうか」


 アインスは頷いた。王命なら逆らえない。事前にキルヒアイズが話したのは、覚悟を決める時間をくれたのだろう。


 アインスはアヤと結婚することになった。






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