第5話 お茶の時間。
アインスと一緒にお茶を飲むことになり、アンナはわたしに着替えを促した。
「このままではダメなの?」
わたしは問う。普通にドレスを着ていた。わざわざ着替える必要があるとは思えない。
「そちらは外出着です」
アンナは当然のように答える。
(知っていた。ここはそういう世界だって)
わたしは心の中でぼやいた。
ドレスは外出着、部屋着、お茶用と用途が細分化されている。
(みんな同じドレスじゃん)
そう思っていることは内緒だ。口に出すつもりはない。
わざわざなんのためにいちいち着替えるのかもわたしには謎だが、ここはこういう世界なのだと割り切った。
ちなみにわたしには違いがいまいちわからない。
アンナはそんなわたしに代わって、ドレスを選んでくれる。
「こちらかこちら。どちらになさいますか?」
黄色と緑の二つを手にとって、聞かれた。
どちらも王子からプレゼントされたドレスだ。というか、わたしの持っているドレスはほぼ全て、王子からのプレゼントになる。
王子はとてもマメで、ことあるごとにドレスや宝石をくれた。最初は貰ってばかりで心苦しく感じたが、途中で必要な物なのだと気付く。
ドレスも宝石も、身分にあった物を身につけなければいけない。しかも、数が必要だった。毎回、同じドレス、同じ宝石という訳にはいかない。
それがわかってからは、遠慮無く頂くことにした。
(他の男からプレゼントされたドレスを着て一緒にお茶をするのはマナー違反じゃ無いのかしら?)
そう思わない訳でもないが、他に持っていないのだから仕方ない。
そもそも、アインスから送られたドレスなんて一つもないのだから、王子からプレゼントされたドレスを着ていても文句を言われる筋合いはないと思った。
「では、緑のドレスで」
わたしは選ぶ。
アンナは他のメイドも呼び、着替えさせてくれた。
着替えが終わると、手伝いに来たメイド達は一礼して立ち去る。
「よくお似合いです」
アンナは褒めてくれた。
「ありがとう」
わたしは素直に礼を言う。
こういう時は下手に謙遜した方が気まずい空気になることは学習済みだ。
「どのドレスもセンスがよくて、アヤ様にお似合いの物ばかりですね」
アンナはふふっと笑う。
「ああ、それは……」
言いかけて、わたしは止めた。王子が選んでくれたからなんて、この場で口にするのは良くないことくらいは空気を読まなくてもわかる。
アインスへの忠誠心に溢れているアンナは気分を害するだろう。
(メイド長とは仲良くしたい)
今後の生活面の待遇を考えると、それは絶対条件だ。
アンナは情に厚そうなので、仲良くしていればたぶんとても良くしてくれるだろう。
「そういえば、アンナはこの屋敷で働いて長いの? 女性に年を聞くのは失礼だけど、いくつなのかしら?」
少々強引に話題を変えた。
「メイドの中では一番長いです。だからメイド長なんて、似合わない役職を頂いているのですが……。年は35歳です」
アンナは少し恥ずかしそうに答える。
(まさかの年下っ)
わたしは結構な衝撃を受けた。頼れる姉御肌で年上だと思っていたら、3つも下だった。つまり、この屋敷のメイドは全員、わたしより年下だろう。
この世界に来てから、自分がおばさんであることを感じる機会は意外と多い。
(社交とかの中心になっているのは20歳前後の若い世代なんだよね)
世代交代でさっさと息子に当主を継がせる貴族は多く、息子が成人(16歳)になったのを機に、親が楽隠居するのは慣例の用になっていた。唯一の例外が王族で、国王は亡くなるまで在位しているのが普通らしい。
今の国王は王子の父親で、40歳になったばかりとか聞いた。王位を継いだのは数年前で、高齢を理由に前国王が在命中に退位したらしい。その前国王はとても元気で、もうすぐ60歳の誕生日を迎えるはずだ。誕生日にはパーティを開くので、ぜひ来てくれと招待されている。王子の次にわたしを気にかけてくれた人で、ハードスケジュールにぐったりしているわたしを時々、強引に連れ出して休ませてくれた。
わたしにとってもお祖父さんみたいな存在になっている。
(パーティに連れ出されても、お茶会に呼ばれても。周りが二十歳前後だから、居心地が悪い)
異世界である以前に、ジェネレーションギャップを感じた。
「アヤ様より10歳も年上なので、わたしでお役に立てることがありましたら、いつでも頼ってください」
アンナの優しさが、心に痛い。
(本当はわたしの方が年上だけどね)
心の中でぼやいた。
どうせ召喚するなら、もっと若い子を召喚すればいいのにと思う。
中学生や高校生くらいの子なら、わたしが世界を救うくらいの使命感を持って聖女としての務めを頑張ろうと思えたかもしれない。
だがそれなりに酸いも甘いもかみ分けた38歳は、使命感なんてもので世界を救えるほど青くなかった。
自分が何故、この世界を救わなければならないのかわたしには理解できない。
王子も前国王もよくしてくれたが、それは異世界から掠ってきた相手への贖罪だろう。
二人とも、自分たちがどれほど勝手なことを頼んでいるのが理解しているようだ。
そしてたぶん、わたしに世界を救うつもりなんてないことを知っている。
聖女の力が発現する訳がないことを、最初からわかっていたように思えた。
(召喚って、適正のある人間を呼ぶって事ではないんだな)
たまたま、偶然。わたしの足元に魔法陣が出現しただけだ。
「ありがとう」
わたしはアンナに礼を言う。
この半年の間にわたしが身につけたスキルは、思っていることを顔に出さないというとても貴族的なものだった。
お茶の時間、応接室のような場所にわたしは案内された。
ローテーブルを挟んで、ソファが置かれている。
すでに先にアインスが来ていて、ソファで寛いでいた。
その横でメイドがお茶の用意をしている。
わたしはアインスに向かい合うように座った。正面から、顔を見る。
(顔だけなら、本当に好み)
アイドルとか俳優とか、そういう芸能人を見ている気分で目の前の夫を眺めた。
初対面はベール越しで、その後はほぼ横顔しか見ていなかったので、まじまじと観察してしまった。
キラキラした人は王子で慣れているつもりだったが、何故だか王子以上に王子様オーラを感じる。
(イケメン、狡いっ)
ただ座っているだけで、何でも許してしまいそうだ。
ただし、態度はやはり素っ気ない。
(一緒にお茶を飲むと言ったのは自分のくせに、しれっと目を合わせないように逸らすとかなんなの? 顔も見たくないなら、一緒にお茶を飲まなきゃいいんじゃないの?)
心の中で愚痴りながら、夫婦はお茶を一緒にしないと不味い何かがあるのだろうかと考える。わたしが知らない慣習とか風習があるのかもしれない。
だが、自分がお茶に呼ばれた理由はほどなくわかった。
目の前に置かれたカップに手を伸ばし、ゆっくりと紅茶で喉を潤していると、今後のスケジュールを告げられる。
「明日から貴女には公爵夫人として恥ずかしくない教養を身につけて貰う」
決定事項として、伝えられた。
聖女教育から逃げられたと思ったら、今度は公爵夫人教育が始まるらしい。
(また勉強するのか)
正直、うんざりした。
学生時代は勉強は嫌いではなかった。それなりに成績は良かったし、暗記も得意だった気がする。だが学生でなくなって久しいこの年になって、今さら学ぶのはきつかった。脳が覚えることを拒否している。
興味もやる気もないから、なおさらだ。
「これが詳しいスケジュールだ」
アインスは一枚の紙をテーブルに置いた。わたしの方へ押して寄越す。
わたしはそれを受け取った。
一通り、目を通す。
聖女教育ほどではないが、なかなかタイトなスケジュールだ。一人でのんびりだらだらなんてする時間は全く無い。
(せっかく、部屋で一人になれると思ったのに)
わたしは軽くムカついた。自分でも大人げないと思うが、イラッとするのは仕方ない。
「この、国内の産業や特産についての学習は聖女教育ですでに学習済みなので、不要です。他にももしかしたら、すでに学習済みのものがあるかもしれません」
淡々とした口調で反論する。学習時間を減らそうとした。
「そのあたりは家庭教師と直接話しをするように」
アインスは自分は関係ないという顔をする。
「わかりました」
それにもまたイラッとしたが、それを顔には出さなかった。身についたスキルが発動する。
(こういう業務連絡はわざわざアインスの口から言わなくていいのに。執事あたりを通して伝えてくれれば十分だ)
それを口にするべきなのかどうか、迷った。口に出したら、喧嘩を売っていると思われるのは確実だろう。
実際、喧嘩を売りたい気分ではある。
(相手は自分の半分の年の子供よ。冷静になれ、わたし)
心の中で、自分を諭した。
結婚初日で、気まずくする必要はない。
何より、この場にいる使用人達は基本、アインスの味方だ。孤軍奮闘なんて、ばからしい。
(わたしは勝てる時しか喧嘩はしない主義なのよ)
胸の中のムカムカはぐっと押し殺した。
黙ってお茶を飲み、お菓子を食べる。
「ごちそうさまでした」
そう言って、軽く手を合わせた。
「それではわたし、部屋に戻りますね」
にっこり笑って、アインスに告げる。お茶を飲み終えたのだから、文句はあるまい。
「いや、待て」
だが予想外に引き留められた。
立つに立てず、わたしはアインスを見る。
人形のように整った顔が困ったように歪んでいた。涼しげな目尻が気のせいかちょっと赤い。
(なんだろう?)
待てと言われたので、とりあえず待った。
「さっき、何故、笑ったんだ?」
とても気まずそうに尋ねてくる。
「いつのことでしょう?」
わからなくて、聞き返した。心当たりがない。
「肖像画の前で……」
アインスは答える。
「ああ」
踊り場での話だと、わかった。
「お似合いの二人だと思ったんです」
微笑ましくて、笑えてきた。アインスの隣にはこういう人が相応しいと思う。
嫌味では無く、ただそう思った。
だがそれを口にしたら、嫌味にしか聞こえないだろう。
「そうか」
アインスはただ頷いた。
「お話しは終わりですか?」
わたしは問う。
「ああ」
アインスは返事をした。
「それでは、失礼します。部屋で少し休みたいので」
早々に立ち去る理由を口にする。
「引き留めて悪かった」
逆に謝られてしまった。
「いいえ」
わたしは静かに首を横に振る。
(悪い人ではないんだろうな、きっと)
そう思った。
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