第4話 リコカツ。
アインスにお茶の件を確認するためにアンナは立ち去った。
わたしは一人になる。
(久しぶりに一人になれた)
開放感に、んーっと伸びをした。
この世界に来てから、わたしは一人になる時間をなかなか持てていない。
聖女もどきだった時代は、専属の侍女が何人もいた。ローテーションで常に誰かが側にいる。
一人になりたいと訴えても、聖女様を放っておくことはできませんと言われた。
逃げるのを心配されたのか、それとも死を選ぶと思われていたのか。どちらにしろ一人にするのは不安視されていたようだ。
聖女でなくなってからも、王宮では扱いはあまり変わらない。いきなり手のひらを返すのもあれだったのだろう。半年の間に使用人達とはわりと親しくしていたので、情が湧いたというのもあるようだ。
情けは人のためならずという言葉をまさかの異世界で実感する。
だが庶民のわたしにとって、四六時中、誰かが側にいる生活というのはかなり気詰まりだった。一人でだらだらしたいし、なんならどこかに引きこもりたい。
「疲れた……」
ぼやきがこぼれた。
結婚式の時間は準備を含めてもそう長い時間ではなかった。なのに、どっと疲れを覚える。
それなりに緊張していたようだ。
(結婚式なんて、することないと思っていたからな~)
無駄に緊張した。お一人様人生を選んだわたしに結婚式の経験はない。自分に結婚は向かないと自覚してから十数年。結婚式は関係のないものだった。
望まれて結婚するわけでもないのに、それなりに気を張っていたらしい。終わったら気が抜けた。
「えーいっ」
ベッドが目に入り、そのままダイブする。スプリングがぼわんぼわんと跳ね返ってきた。
一人だから、こんなことしても咎める人は誰もいない。
久しぶりに、自由を感じた。
実は聖女教育はかなりタイトなスケジュールだった。
本来は5年ほどかけて、前任の聖女から少しずつ引き継ぎをしたり、聖女としての教育を受ける予定だったらしい。
だが、すでに前任の聖女は亡くなっていた。
わたしは早急に聖女になる必要があり、聖女教育も詰め込めるだけ詰め込むというスパルタ方式だった。
酷い時には分刻みのスケジュールが組んであり、この世界にはコンプライアンスはないのかと恨めしく思った。
聖女ではないと烙印を押されて何が良かったって、そんな聖女教育から解放されたことだろう。結婚が決まってその準備で再び忙しくなるまでの数日、この世界に来てから初めてのんびりとした時間を過ごした。
わたしはベッドの上で大きく伸びをする。
仰向けになると、天蓋が目に入った。王宮のベッドもそうだったが、この部屋のベッドも天蓋付きだ。キングサイズで、幅も広い。
一人で寝るのが勿体ない気がするわたしは根っからの庶民なのだろう。王宮で王族のような暮らしをしていたって、38年間に身についたものはそう変わらない。
だが、高級そうなこのベッドのことは気に入った。人生の四分の一は睡眠時間なのだから、寝具は大事だと思う。
せめて、いい夢くらいは見たい。
目が覚めたら元の世界の自分の部屋のベッドの中にいました……なんていう夢物語は、何度期待しても叶わなかったけれど。
寝心地が良くてうとうとしていたら、そのまま眠ってしまったらしい。
アンナに揺り起こされた。
「アヤ様。アヤ様」
呼ばれて、目を開ける。
ほっとしたように息を吐いたアンナが見えた。どうやら、心配させたらしい。
「疲れたので、休んでいただけよ」
わたしは言い訳した。ゆっくりと身を起こし、ベッドから下りる。
「お休みになるのでしたら、用意いたしましたのに」
気遣われて、苦笑が漏れた。
「大丈夫、気を遣わないで。一人でたいていの事はできるから」
できるなら放っておいて欲しいと、伝えた。
侍女の世話なんて、わたしには必要ない。たいていのことは一人でできた。だが手伝いを断わると侍女に哀しそうな顔をされる。そんな顔をさせてまで断わる理由はないので、王宮では世話して貰っていた。ここでも同じだろうと、半ば、覚悟はしている。
「わかりました。では、呼ばれない限りお邪魔しないようにします」
予想外の返事が返ってきた。無理を承知で言ってみただけなのに、通ってしまう。
「いいの?」
あっさりと承諾されて、逆に不安になった。思わず確認してしまう。
「アインス様から、できるだけアヤ様の意向に沿うようにと申しつかっております」
アンナは答えた。
(ありがとう、アインス)
心の中で、感謝する。
思ったより、いい人のようだ。
もしかしたら結婚式前のあの言葉も、嫌味とかではなく事実をただ淡々と告げただけなのかもしれない。
恨まれている可能性がかなり高いのに、それでも追い出さないと言われたことをわたしは喜ぶべきだったようだ。
かなり上から目線の言葉だが、お偉い公爵様はああいう物言いがマストだという可能性もある。
わたしが勝手に被害妄想を膨らませていただけかもしれないと反省した。
結婚式前で、わたしも神経が過敏になっていたのだろう。無駄に長く生きてきたのに、大人になりきれていなかったようだ。
(自由に過ごせて、夫婦としての務めを果たす必要がないなんて、もしかしたら最高なんじゃない?)
気付いて、浮かれた。
このままアインスの温情に縋って生きるのもそれはそれでアリかと思う。
だがその一方で、冷静なわたしが浮かれるわたしに待ったを掛けた。
アインスの温情に頼るということは、アインスの気が変わったらこの生活はなくなることもあるということだ。立場はかなり弱い。
それに今は妻を亡くしたばかりでそんな気にならないとしても、数年後、アインスに恋人ができる可能性だってある。
(あの見た目で、公爵様で。どう考えてもお金持ち。……モテない訳がない)
よりどりみどりで、美女が沢山寄ってくることは想像するに容易かった。
その場合、わたしは邪魔になる。離婚するより、さくっと殺した方が簡単だなんて思われたら、アウトだ。
(そんなことになる前に、自分から出て行って離婚して貰う方が正解よね)
改めて、そう思った。穏やかに、円満離婚を目指そうと決める。
(こういうの、リコカツとか言うんだよね)
結婚する気がなかったので離婚する予定も当然無かったが、異世界で結婚も離婚も経験することになるらしい。
ちょっと笑えた。
「そういえば、お茶の件はどうだったの?」
わたしはアンナに聞く。彼女はそれを確認に行ったはずだ。その報告はまだない。生活の面倒を見てくれるとは言ったが、夫婦として暮らすつもりはないとも言われたので、別だろうと思った。
わたしはそれで構わない。顔を合わせても互いに気まずいだけだろう。
「ご一緒されるそうです」
アンナは答えた。
「……え?」
予想外の返事に戸惑う。
「一緒に?」
聞き違いでは無いかと確認してしまった。
「はい。ご一緒にということでした」
アンナは頷く。嬉しそうな顔をした。主夫婦が仲良くすることを彼女は望んでいるらしい。
「そう……」
わたしは気が重くなった。一緒にお茶を飲んだところで、会話なんてない。気まずくなるのは目に見えているのに、アインスがどうして一緒にお茶を飲む気になったのか、わからなかった。
(どんな心境の変化だろう?)
違和感しか無い。結婚式が終わって車に乗った時も、一言も言葉はなかった。まったくわたしのことを気にしていなかったはずだ。淡々と、彼はただ義務を果たしていた。
「誰かお客様がいらっしゃるの?」
夫婦が揃っていないと不味い理由があるのかと勘ぐる。
「いえ。来客の予定はありません」
アンナは否定した。
「ではどうして、一緒にお茶を飲む気になったのかしら? アインス様は聖女もどきの顔なんて見たくないのではなくて?」
わたしは眉を寄せて考え込む。
「旦那様は旦那様なりに歩み寄ろうとしているのかもしれません」
アンナは答えた。
(いや、それはないでしょう)
わたしは心の中で突っ込む。それは希望的観測が過ぎると思った。今日のアインスの態度を思い返してみても、歩み寄る意思はちらりとも感じられない。
だがそれを口にするのは憚られた。
アンナは目をきらきらさせている。旦那様を敬愛しているようだ。
そういう人ではないだろうなんて言ったら、気を悪くするだろう。
「アンナはカッシーニ家で働いて長いの?」
わたしは別の疑問を口にした。さりげなく、話題を変える。
「はい。家は母もその前には祖母も、代々、カッシーニ家でメイドとして働かせていただいております」
アンナは誇らしげに答えた。
(つまり、アインスに忠誠があるってことね。アンナの前でアインスを悪く言うのは止めよう)
わたしは密かに心に決める。自分の主人を悪く言われて、喜ぶ使用人はいない。使用人の心証を悪くしたくないわたしは最低限、アインスに敬意を払うことにした。
そのあたりは、空気が読める日本人として上手くやれる自信がある。
円満離婚のために、リコカツを頑張ろうと思った。
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