第2話 お屋敷。
式は形だけの簡素なものだった。
わたしは俯かず、上を向く。教会の天井が高いなというのが結婚式の感想なんて、なんとも間抜けだと自分でも思った。
だがそれ以外の感慨がない。
ウェディングドレスは用意された物の中で一番シンプルなものを選んだ。レースとフリルに彩られたゴージャスなドレスなんて、アラフォーのわたしにはハードルが高すぎる。
ちなみにドレスを選ぶその場に夫となるアインスはいなかった。
代わりに、王子が同席してくれる。
王子はもっと華やかなドレスにした方がいいといろいろ勧めてくれた。それをわたしは断わる。
出来るだけ地味に、質素にした。
歓迎されていないのがわかっていて、大金を使わせるほどわたしも図々しくはない。
それで正解だったと、左手の薬指に嵌めて貰った指輪を見て思った。
結婚指輪はとてもシンプルなデザインだ。宝石の一つもついていない。銀色だが、素材がなんなのかはわからない。定番ならプラチナあたりだろう。この世界に、プラチナがあるかは知らないけれど。
たぶんこの指輪は公爵家には相応しくないのだろう。わたしの感覚ではシンプルなこの指輪は嫌いではないが、用意された指輪を見た司祭は表情を曇らせた。
この結婚を、アインスが望んでいないことを感じたのだろう。
披露宴なんてものはもちろん準備されていなかった。もっとも、披露宴という形式がそもそもない可能性もある。
式を終え、わたしは着替えて車に乗った。
ウエディングドレスを脱いでも、着るのは別のドレスだ。生活様式は中世ヨーロッパに準じている。
ドレスを着ているのに車に乗るのはなんとも奇妙に思えた。
だがこの世界で暮らしていると、そんな奇妙な感覚には度々出会う。科学が世界観の中に溶け込んでいた。
後部座席に、アインスと並んて座る。
ほぼ無言のアインスはまるで美しい人形のようだ。息をしているのか、確認したくなる。
(顔だけなら、すごく好み)
それが今は皮肉に思えた。
理由はわからないが、わたしはとても嫌われている。隣に座っていても、目も合わなかった。
アインスはただ、前を向いている。
車は空を飛ぶ方ではなく、地上を走る方のやつだった。カッシーニ家の屋敷へ向かう。それはたいした距離ではなかった。
教会も屋敷も王との真ん中の一等地にある。
カッシーニ家の屋敷は文字通り、お屋敷だった。学校か何かかな?と思う建物が敷地の中にどどんと建っている。
(でかいっ。そして広いっ)
敷地の広さにも驚いた。門を入ってから玄関まで普通に車で数分かかる。
結婚式は昼過ぎに行われたので、まだ日は高かった。
式は簡素だったので、直ぐに終わる。誓いの言葉を口にし、指輪の交換をしただけだ。
(そういえば、誓いのキスとかもなかったな)
今頃、そのことに気付く。
(互いに気まずい思いをしなくて、それはそれで良かったのかもしれない)
ただそう思った。寂しいと思うほどの気持ちもない。
アインスはわたしの中で、すでに他人以上に他人な存在になっていた。
好かれたいとか愛されたいとか、そういうプラスの感情は結婚式の前にかけられた言葉で消え失せる。
今のわたしにあるのは、いつかぎゃふんと言わせてやるという反骨精神だけだ。
それはそれでわたしの拠り所になっている。ある意味、ありがたかった。
(まず、この世界のことをもっと知ろう)
そう決める。自立し、離婚を突きつけるためにはこの世界のことをもっと知る必要がある。
この世界に来て半年。わたしが知っているのは王宮の中というとても狭い世界だ。
きっと、庶民の暮らしは全然違うだろう。
それを聞けるのは、この屋敷の使用人達しかいない。
(使用人達とは仲良くしたい)
そんな思いがあるので、これから対面することに緊張した。
玄関の前で、使用人達が並んで待っているのが車の中から見える。
車はすっと玄関の前で止まった。ドアを執事服を着た初老のおじいさんが開けてくれる。
「ありがとう」
礼を言いつつ、わたしは車から降りた。
反対側のドアを運転手が開け、アインスが車から出るのが見える。
屋敷の外にずらっと並んだ使用人はざっと数えても20人はくだらない。メイドが半分以上を占め、男性も何人かいた。執事服を着ているのはおじいさんと若い青年2人の3人だけだ。執事長とその部下という感じがする。
女性も男性も、わたしから見れば高身長だ。並んでいるだけで、威圧感がある。
「執事長のセオールとメイド長のアンナだ」
アインスが紹介してくれた。
正直、紹介なんてないと思っていたので驚く。
思わずアインスを見たが彼はちらりともこちらを見ていなかった。
「お世話になります」
わたしは2人に挨拶する。
セオールは車のドアを開けてくれた男性で、アンナは頼れる姉御という感じの女性だ。
2人とも少し戸惑う顔をする。主人が使用人にそんな言葉をかけるのは珍しいのだろう。
(わかってはいるけど、一般庶民のわたしに世話をして貰うのが当たり前という態度をとるのは無理)
心の中で苦笑した。
それに、わたしは彼らと仲良くしたい。長居するつもりはないが、短い期間でも仲良くした方が互いに気分良く過ごせるだろう。
早ければ半年、長くても1年。それくらいで仕事と住む場所を確保しようとわたしは決めていた。
「なんなりとお申し付けください」
アンナがわたしの言葉に返事をする。その後ろで他の使用人達も頭を下げるのが見えた。
どちらかといえば好意的な反応に、わたしはほっとする。
「ありがとう」
自然に笑みが出た。安堵が顔に浮かぶ。
そのままわたしはアンナに中へと案内された。
玄関を入るとホールがある。正面に階段があり、それは踊り場から左右に分かれていた。わたしはアンナについて階段を上る。踊り場のところには肖像画が飾ってあった。玄関から入って、真っ正面の一番目に付く場所にある。
それは夫婦の肖像画だった。
アインスととても綺麗な女性が描かれている。女性は静かに微笑んでいた。
立ち止まって眺めていると、隣に気配を感じる。
セオールを連れたアインスがわたしと同じように立ち止まっていた。
「綺麗な人ですね」
わたしは正直な感想を口にする。
こんな美しい妻を亡くして、僅か半年で再婚を強要されたら腹も立つだろう。それがわたしみたいなちんちくりんが相手ならなおさらだ。
そう思ったら、笑えてくる。
別に返事は期待していなかったので、言いたいことだけ言ってアインスに背を向けた。
わたしは向かって左手の階段を上ったが、アインスは右手の階段を上っていく。
どうやら、わたしたちの部屋はかなり離れているようだ。普通に生活していたら、顔を合わせる機会はそう無いのかもしれない。
(まあ、同じ部屋だとは思っていなかったよね)
部屋が別なのは予想していた。
貴族には形だけの、肉体関係を伴わない結婚があると聞いたことがある。確かそれは「白い結婚」とか呼ばれたはずだ。わたしとの結婚は「白い結婚」なのだろう。
(偽装結婚と言えば偽装結婚ですものね)
わたしは1人で納得した。
冷静に考えて、今日会ったばかりの結婚相手と普通に初夜を迎えなければならないのかかなりきつい。
そういう意味では、白い結婚なのは幸いだ。
(白い結婚、バンザイ)
心の中で、歓声を上げる。
階段を上ったアンナはずんずん進んでいった。一番突き当たりまで行く。
わたしは黙って後ろを付いていった。
「こちらです」
一番奥の部屋のドアを指し示される。
(建物の隅に追いやられたと考えるのは、穿った見方が過ぎるかしら?)
だが、そう感じられた。
「ありがとう」
あたしは礼を言って、ドアを開ける。
部屋の中にはすでにわたしの荷物が置いてあった。
わたしは一応、クローゼットなどを確認する。ドレスや宝石が王宮から運び込まれていた。着替えにはとりあえず困らないだろう。
それらは全て王子から頂いたものだ。
この世界に来たわたしは基本的に何も持っていない。ドレスや宝石を必要だからと王子は買い揃えてくれた。
(貰ってばかりだったな)
何も返せていないのを、心苦しくわたしは思う。
聖女として役に立たなかったことを申し訳なく思った。
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