80 北街道の蜘蛛女
「よし、じゃあ、行ってきます!」
「行ってきます。後のことはよろしくお願いしますね」
俺がアオに、サーシャがフローに乗り、旅立ちの朝を迎えた。
サーシャの実家はハロンズよりかなり北のケルボという漁村だそうだ。その隣街がそこよりは少し大きいフォーレという街。ここの教会でサーシャは5年間修行をしたという。
ケルボに向かうには、海沿いを通る大街道とは違う北街道という道を通る。北街道はハロンズの隣にあるロキャット湖沿いに北上してから山間を通り、いくつもの川を渡りながら北の大都市タグフォに向かう。
今まで通ったことのない街を通るから、俺の移動魔法も引き出しが増えていくし、いろんな名物に出会えるかもしれないから楽しみだ。
宿に泊まるときはクロとテンテンを一度身綺麗にしてから収納して、部屋に入ったら出す。サイモンさん方式。
俺がこの世界に来たばかりだった頃、サーシャとふたりだけのパーティーだったのを思い出す。あの時はクエリーさんの護衛の人たちもいたからふたりきりじゃなかったけど、知り合いがサーシャだけというのは俺には新鮮だ。
泊まる街以外は馬を引いて歩いて通る。何か気になる物があったらお店を覗く。
3日目に通った街では綺麗な陶器の皿が売っていたので、レベッカさんへのお土産として多めに買った。聞けば、近くに陶器の生産で有名な街があるらしい。
絵付けしたお皿も上品でよかったけど、真っ白なお皿はケーキ屋さんをやるときに役に立ちそうだ。
「……で魔物が」
「街道に近いじゃないか。影響は……」
皿を見ていたとき、商人同士が交わしている言葉が俺の注意を引いた。
「私、話を聞いてきますね」
サーシャがすっと商人たちに近寄っていき、星5冒険者の身分証を見せて話しかけていた。
なんか、警察っぽい! 俺の彼女格好いい!
「冒険者をしているものです。魔物という言葉が聞こえたのですが、何かお困りでしたらお力になれると思います。お話を伺えませんか?」
「星5冒険者か! それは頼りになるな。いや、この先の村でな、アラクネという女の姿をした蜘蛛の魔物が出たそうなんだよ。被害が出たかどうかまではまだ情報が流れてきてないんだが、アラクネは知恵も働く魔物だから放っては置けないと思ってな。このままだと街道が使い物にならなくなる危惧もある……」
冒険者にしては丁寧な言葉遣い、そして
噂の元はここから街道を1日ほど行った更に先にある、ワクシーという山間の小さな村。街道からも徒歩で1日ほどかかる場所らしい。
以前からその一帯には大蜘蛛の化け物が出ると話が伝わっていたらしい。そして、商人が苦い顔で言うには、昔は生け贄を求められ、村は仕方なくそれに応じていたらしいということも。
生け贄は何故かいつの間にか止んで、村は百年以上もの間蜘蛛に脅かされずにいたらしい。
それが、ここになってアラクネが出た。
大蜘蛛も力の強い魔物だけど、討伐推奨は星3以上。アラクネは下手なドラゴンより頭がいいので「最低星4以上のパーティー」とギルドから規定が出ている。もちろんこれは「推奨」であって、緊急時にはやむを得ないという措置もある。依頼として受託するには、という話だ。
俺とサーシャは星5のパーティーだ。討伐推奨はクリアしている。ふたりだけど、相手が1体だけなら後れを取ることはないだろう。
「行くんだよね」
「はい、放っては置けませんから」
お互いの意志が通じ合って、俺たちは顔を見合わせて小さく笑い合った。
戦うことは好きじゃないけども、こういう時にサーシャと意見が一致するのは嬉しい。
俺は、俺の彼女が「困った人を見捨てておけない」人であることが誇らしい。
そこからは、馬を飛ばしての強行軍になった。宿場町も素通りで、馬の速度を落とさず走り抜ける。
一晩休むことは必要だったから、できるだけ村に近づいた宿場町で宿を取った。クロとテンテンは悪いけど魔法収納空間へ。アオとフローは厩で飼い葉と水をもらう。
その街では、やはりアラクネの噂が既に回っていた。
冒険者ギルドの支部に依頼すると時間が掛かるから、腕に覚えがある男たちを募って退治に行こうという話も上がっていると聞いて、俺とサーシャは顔を見合わせると無言で馬を飛ばした。
危険な魔物に、知識もなく向かっていくのは愚策。
俺の場合はサーシャやレヴィさんという経験のある人たちが身近にいたからよかったけど、事前の「キックが強い」という情報なしで
馬車は一応通れるけど……というガタガタの道を通り、山をぐるりと迂回するように登っていく。その道程の中でも、峠の辺りに集落らしきものがあるのは見えた。
「あそこですね」
「そうだね、このまま走れば昼前に着きそう」
「はい。アオ、フロー、よろしくね」
フローの首筋を撫でてサーシャが労う。フローはブルルン、と一声鳴いてそれに応じた。馬は本当に賢い。
俺とサーシャがワクシー村に到着したとき、村の雰囲気は異様だった。
静まり返っているのだ。
普通だったら子供の遊ぶ声とか、畑で働く人たちの話し声がするんだろうけど、そういうものがない。
「誰かいませんか! 星5冒険者です! 街道で噂を聞いて駆けつけました!」
俺は声を張って呼び掛けた。
すると、いくつかの家のドアがそっと開けられて、こちらを窺っている人たちがちらほらといた。
鎧を着て盾を背負った俺とサーシャが馬から降りると、「あ、ああ……」という女性の悲痛な声がして、俺たちは急いでそちらに向かう。
「アラクネの噂を聞きました。人がいないようですが、何があったんですか」
ドアのところで座り込んでしまっている中年の女性を助け起こすと、彼女は俺の腕をぎゅっと握ってきた。
はっきりとわかる怯え方。これは尋常ではない。
「アラクネが……この村を襲ってきたんだよ!」
「まさか、異様に静かなのはたくさんの人が襲われて?」
心配そうにサーシャが尋ねる。けれど女性はそれには首を横に振った。
「いや、子供が気付いて声を上げたら、山に戻っていったの。でもその姿は大勢が見ていて……あたしも見たんだよ、8本足の蜘蛛に女の上半身が付いた魔物の姿を!」
「今のところ被害は出ていないですか?」
「今朝から男たちが山へ入っていったよ。残ったのは戦えない男と女子供さ。もしかすると今頃は……あたしと旦那は止めたのさ、冒険者ギルドに依頼を出して来てもらおうって! でも、村長が無理矢理!」
女性は安堵が入ったせいか、大声を上げて泣き始めた。
どうも、冒険者ギルドへ冒険者の要請に行こうという人たちがいたのに、村長が村の男たちを率いて強硬に自分たちでの討伐を推したらしい。
怖いものが身近にいると思ったら、待っていられない。その気持ちは俺にもわかる。
でも、そこは冒険者ギルドに通報して欲しかった。
偶然俺たちが近くにいたからよかったものの。――いや、よくはない。まだ何もよくはない。
俺は女性に手を貸して、落ち着けるように椅子に座るよう促した。
「立てますか? 椅子まで手を貸します」
「ありがとう、ありがとうよ……」
「私たちはこれから、山へアラクネ退治に向かった人たちを追っていきます。もし案内できる人がいたら一緒に来ていただきたいんですが」
「案内……アームのところの息子たちが、最初に山でアラクネを見たらしいんだ。兄の方は男たちを案内するために一緒に山に入ったけど、弟なら家にいるはずだよ」
「情報ありがとうございます! そのアームさんの家はどの辺りでしょう」
「ちょっと待ってな。――ディディ!! ちょっと出てきとくれーっ! 冒険者が、それも星5の冒険者が来てくれたんだよ!!」
女性がドアの外に向かって大声で叫ぶ。すると、ドアを少し開けて様子を窺っていた人たちが一気に俺たちの元に集まってきた。
「冒険者? どうして? ギルドに依頼を出してないのに」
「たまたま北街道を北上している最中に噂を耳に挟んだんです。街道に影響が出るかもしれないし、アラクネは危険な魔物ですから放っては置けないとふたりで決めて来ました」
「冒険者には報酬を払わないといけないんだろう? うちの村は大した金は出せないよ?」
俺たちを見つめる視線は期待半分、不安半分というところだ。
サーシャは胸の前で手を組み、慈愛に満ちた微笑みを怯えた表情を浮かべる人たちに向けた。
「今回は通りすがりの勝手なお節介――依頼ではありません。それに、困っている人たちを見捨てておくのは、女神テトゥーコの聖女として決して許されることではありませんから」
「聖女!? あっ、行商人が言ってたよ! ネージュで聖女が現れて、今はハロンズにいるって! お嬢ちゃんがその聖女様なのかい!?」
聖女という名乗りに一斉に村人たちがざわついた。サーシャは聖女という肩書きを、村人からの信頼を得るために使うことにしたらしい。
凄いな、こんなところまでもう噂は広まっているんだ。確かに、ハロンズのテトゥーコ神殿は神殿訪問の前から「聖女は今ハロンズにいる」ってことを流していたようだけど。
その一方でネージュのテトゥーコ神殿は「聖女がネージュに現れた」ってことを大分前から喧伝しているから、考えてみたら不思議なことではないのかもしれない。
「はい。でも、聖女であっても聖女でなくても、私のやることは同じです。星5を戴く冒険者として、困っている方をお助けします! これから山に向かいますので、村の方が向かった先に心当たりがある方は案内をお願いします」
「あ、お、俺わかるよ! 俺たちが最初にあの蜘蛛のねーちゃんを見たところに兄ちゃんも案内してると思う。俺を連れてってよ!」
俺の前に転ぶように出てきたのは、小学6年生くらいに見える少年だった。
俺は大きく頷いてみせて、アオに跨がると少年を馬上へ引き上げた。
「ありがとう、兄ちゃん。俺はキール」
「俺はジョー。こっちの聖女はサーシャだよ。よろしく、キール。一緒にお父さんたちを助けに行こう」
「うん!」
キリッと顔を引き締めてキールが頷く。
フローに跨がったサーシャと共に、俺たちは山へと馬の首を向けた。
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