79 お土産作り
神殿訪問を終えて、俺たちのハロンズでの「やっておかなければならないこと」が一段落付いた。
ご近所への挨拶はレベッカさんが見事なデコレーションケーキを作り上げて、それを腰の低い様子で持っていって逆に凄く恐縮されたみたいだ。
生クリームですからお早めに召し上がってくださいねと付け加えたらしく、この近所ではケーキのお裾分けが行き交っただろう。それもレベッカさんの「作戦通り」って奴だ。怖い。
その後丁重なお返しの品と共に、どこでケーキを扱ってるかも聞かれていた。
ケーキで殴り込み作戦はまずは初手は成功らしい。
そして俺は、サーシャの実家に一緒に行くべく、手土産を用意していた。
正直、恋人の実家にご挨拶なんてどんな手土産を持っていったらいいかわからない。レヴィさんはこういうことでは頼りにならないし、ソニアは微妙な顔をして「相手によるんじゃない?」と暗い声で答えた。地雷を踏んでしまった。
聞く相手を間違えたと思ってレベッカさんに相談したら、レベッカさんは俺が作るクッキーなら必ず喜んでもらえるとお墨付きをくれたから、予定通りにクッキーを作ることにした。
美味しさも大事だけど、手土産を持っていこうという気持ちがまずは大事なのだと懇々と諭された……。
俺のクッキーは、ワンゲル部の何代前かわからない先輩がレシピを残していったもので、家で何度も作って「間違いなく美味しい」と確信を持っているものだ。
粉の半分をアーモンドプードルに置き換え、贅沢にバターを使うレシピなのだけど、それだけなのに格段に美味しい。
これだけだったら、計量が大事なお菓子作りの中でも目分量で作れる自信がある。そのくらいシンプル、なのに美味しい神レシピだ。
アーモンドプードルは市場では出回ってないので、サイモンさんに頼んで、アーモンドを挽いたものを用意してもらった。ついでに今後需要が出るからオールマン商会で粉にしたものを扱ってもらえるように頼んでおいた。蜜蜂亭か、今度出店するケーキ屋さんで置かれるだろう。
俺がクッキーを作るぞという日はみんなが暇だったらしく、厨房にはサーシャやレベッカさんだけでなくてコリンやソニアも見学に来ている。レヴィさんは外でクロやテンテンと遊ぶことを選んだらしい。それはそれで凄く助かる。
夏だからバターは柔らかくなりやすい。泡立て器を刺してみると手応えがありつつめり込んでいくので、俺はバターに砂糖を入れてかき混ぜながらギャラリーに解説した。
「卵は全卵ではなくて黄身だけ使います。余った白身はメレンゲにして焼いて食べましょう。サクサクで美味しいですよ。絞り出しの練習もできますし」
「えっ、いいことを聞いたわ! つまりこの材料で作るとクッキーと新しいお菓子との2種類が出来上がるのね!?」
「あっ、はい、そうですね」
レベッカさんの目が爛々としている。俺は口を滑らせたかなとは思ったけど、言ってしまったことは仕方ない。焼きメレンゲは美味しい。
「砂糖とバターを混ぜてバターがクリーム状になったら、卵黄を入れます。バターに卵を混ぜるときは少しずつやらないと分離してしまいますけど、バターに対して卵が圧倒的に少ないから一気に入れて平気です。……これで、アーモンドを挽いた粉を入れてよく混ぜて、小麦粉を入れてからはさっくり混ぜます」
「ジョーさんの言う『さっくり』が難しいです……」
先日シフォンケーキで散々な目に遭ったサーシャがぽつりとこぼす。確かに、さっくり、とか抽象的な言葉だよな。切るように混ぜるというのはわかりやすいけど、加減を間違えるとあれも混ぜすぎになる。
このレシピはバターが多いので、夏場は時間勝負になる。何せクーラーがなくて、冷房としては氷の柱を立てているくらいなのだ。ソニア曰く、夏は風魔法使いと水魔法使いの稼ぎ時らしい。そりゃ、いくらでも氷は売れるよな。
俺は簡単に説明しながら小麦粉を入れてへらでざっくりと混ぜ、大理石の板に生地を伸ばしてから氷の上に置いた。日本にいた時は冷蔵庫に入れて1時間ほど冷やしたのだ。生地を寝かせている間にバターがきっちり冷えて生地が固まらないと、うまく焼き上がらない。
レベッカさんのワクワクとした視線の圧が強いので、俺はオーブンを予熱しながらメレンゲを泡立て、それにアーモンドプードルを混ぜて天板の上に絞り出した。
一口サイズのメレンゲがたくさんできる。これを低温でじっくり焼くとサクサクのメレンゲが大量にできて、なんだか得をした気分になれるのだ。
……まあ、食べるときはあっという間だけど。
「ジョーは器用よね。料理も得意だし。私はお菓子なんて作ったことはないわ。料理はそこそこできるけど」
「ソニア、料理できるんだ!?」
「えっ、ソニアって料理できるの!?」
「ジョーもコリンも失礼ね! 私はお料理できますー! 作って見せてないだけですー! だって、他にもっとうまく作れる人がいるんだもの、やる必要がないじゃない!」
俺はメレンゲを余熱のできたオーブンに入れながら驚きの声を上げてしまった。
イメージ先行でソニアは料理ができない気がしていたけど、できたんだ……。俺とコリンは思いっきり口を尖らせたソニアにぶーぶーと文句を言われてしまった。
「確かに、私たちが引っ越してきてから、ずっと料理は担当してるものね。そうよ、たまには他の人も料理を作るようにしましょ! その家ならではの料理とか出てきて楽しそうよね!」
レベッカさんは名案! って顔をして手を打ったんだけど、途端にサーシャが暗い顔になった。
「お料理……作らないと駄目でしょうか……お魚を丸ごと焼くのはそれなりにできるんです。でも、それ以外は苦手で」
「苦手なことを無理にしなくていいよ! サーシャは裁縫も掃除も上手なんだし、毎日洗濯してくれてるし!」
「そうね、サーシャの地元の料理には興味があるけど、料理は楽しく作った方がいいわ。ジョー、サーシャの実家に行ったらお料理をしっかり覚えてくるのよ!」
「えっ、俺ですか? 独特そうな料理があったらレベッカさんが直接行った方がいいですよ。一度行けば移動魔法で繋げられますし」
「そうよね!? 料理に聖魔法は必須だけど、空間魔法も使えたらよかったわ……。本当に、食材を貯蔵するだけでもお店にひとりいたら便利なのに……」
レベッカさんが空間魔法いいなモードに入ってしまった。サイモンさんのお母さんのアンナさんもだけど、結構みんな空間魔法好きだよな。
俺も好きだけど。実際便利だし。
そんな話から何魔法が欲しいかという雑談になり、メレンゲを焼いている時間は賑やかに過ぎた。氷の上に置いたクッキー生地もガンガンに冷えていて、良い感じだ。
「メレンゲを見てみますね……一度出してみないとわからないな……おおっ、うまく焼けてる」
焼けたメレンゲをひっくり返して底をコンコンとつついてみると、軽い手応えが返ってきた。半生みたいな時はこれが綺麗に返ってこない。
鉄板を振るうとメレンゲがはがれて揺れたので、どんどん摘まんでケーキクーラーの上に乗せる。そしてオーブンには薪を足して温度を上げておく。
「すぐ冷めるから食べられますよ」
「わあ、サクッとしてて、口の中で溶けちゃいますね!」
早速焼きメレンゲに手を伸ばしたサーシャは、いつものように幸せそうに頬に手を当てた。コリンとソニアは笑顔になり、レベッカさんは真顔で分析している。
「ほとんど卵白だけなのに、こんなお菓子ができるなんて……これはもっとアーモンドの比率を上げたらどうなるのかも試したいわね。ジョーがオールマン商会にアーモンド粉を注文しておいてくれてよかったわ」
「もっとアーモンド粉の比率を上げると、マジパンというものになります。形が作りやすいので、それで人形を作ったものがケーキの上に載ってたりしましたよ」
俺はクリスマスケーキの上に載ったサンタの人形を思い出しながらレベッカさんに答えた。あれ、小さい頃は兄とジャンケンで取り合いだったんだよな。凄く甘いから正直今となってはそれほど食べたいものではないけど、ケーキの見栄えとしては上がると思う。
「ジョーに付いてきてよかったわ! やっぱりいろんなことが出てくるわね!」
「あ、あはは……そうですね」
俺はごまかすように苦笑いした。いざ教えろと言われると出てこないけど、話のついでに思い出すことってたくさんあるんだよな……。だからレベッカさんがハロンズにまで来たわけだけど。
クッキー生地を丸い型で抜き、余った生地はまたまとめて伸ばしておく。そして丸い生地は一度冷やした天板に並べてオーブンの中へ。
ヤバい、凄く緊張する。ここで焦がしたりしたら終わりだ。
俺は火の様子を見ながら、薪を左右に移動させて火が均一に回るように調節した。オーブンはこれが難しい。火が偏ったりしたら一方ばかり焦げてしまう。天板に直火は当てない。あくまでオーブンの庫内の温度を上げるのだ。
時々中を覗きながらの十数分。クッキーはゆっくりと、確実にキツネ色に焼き上がっていった。
「よし!」
会心の出来だ! 俺はミトンで天板を掴むと、ワークトップに置いた。
「ソニア、《
「わかったわ。《
ソニアが氷の柱越しに冷風を当ててくれた。涼しい風が厨房の熱気をかき混ぜながら天板ごとクッキーを冷ましてくれる。
本当はいきなり氷柱に載せてしまいたいくらいなんだけど、それをやると金属は傷むから。
オーブンペーパーがあればなあ……。俺もさすがにあれの原理は知らない。あれだけ薄くて綺麗な紙自体出回ってないし。
冷めたクッキーを慎重に持ち上げ、ケーキクーラに移す。この時に欠けてしまったものは試食用に回した。
第一弾で20枚ほどのクッキーが綺麗に焼き上げることができた。それを魔法収納空間へしまい、それぞれ手に1枚ずつのクッキーを持ってお待ちかねの試食タイム。
「いただきまーす!」
コリンやサーシャだけでなくレベッカさんまで浮き立った声を上げている。
クッキーを口に運ぶと、まずバターの香りがふわりと漂う。噛むとサクッと軽い歯応えで、ほろほろと口の中で溶けていく。
これがバターたっぷりクッキーの醍醐味だよ!
アーモンドの香りも香ばしく、小麦粉を減らしたことで歯応えは軽く仕上がっている。
限りなく、俺が日本で作っていたクッキーと同じもの。
感慨深すぎて涙が出そうだ。
「お、美味しいっ!」
「わああ、癖になりそうだよ、これっ!」
「何枚食べていいんでしたっけ!?」
「1枚よ、しっかりしてサーシャ! さっき型抜きした残りの生地も焼くのよね? みんなに食べさせてあげたいわ」
ケーキの時と同じくらいのどよめきが起きた。感無量!
「美味しいですっ! 絶対私の家族も喜ぶと思います!」
一口食べたクッキーを大事そうに持って、サーシャが満面の笑みを浮かべている。それに俺は自然と笑顔を返した。
「よかったぁ……。うまくできなかったらどうしようって心配だったんだよ。ケーキもいいけど、俺的にはこっちの方が好きだし、気軽に手にしてもらえそうだから」
「天板冷えたら第2段も焼いていいのよね? 私がやってもいいかしら」
前のめり気味にレベッカさんが割り込んでくる。俺はそれにお願いしますと答えて、冷えた生地と抜き型を彼女に渡した。
よかった……。とりあえずお土産は用意できた。20枚じゃ足りないだろうから、もっと焼かないといけないけども。
それに、ケーキもだけど俺の知識がこっちで新しいこととして求められるのは凄く嬉しい。
蜜蜂亭オープンに向けて準備をしていた蜜蜂亭スタッフも帰宅して試食をして、その日はみんな俺のクッキーを褒めてくれた。
「ありがとうございます、先輩」
名前も顔も知らない、レシピを残してくれた先輩にお礼を言い、俺は買っておいた綺麗な缶に大事なクッキーを詰めていった。
全部で60枚。サーシャは4人姉妹の末っ子らしいけど、これだけあれば足りないって事はないだろう。
今から凄くドキドキするな。サーシャの家族に喜んでもらえるといいんだけれど。
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