78 天才にしかわからない天才は変人と変わらない
一連の儀式を終えて、俺たちはサーシャに宛がわれた控え室で休んでいた。
サーシャは口を薄く開いてソファに沈んだまま虚空を見つめていた。凄くシュールな絵面だ。
「死にそうでした……まさか女神像の横に立たされるなんて」
「サーシャ、お疲れ様」
「打ち合わせでは総大主教猊下の横に立つはずだったのに」
「サーシャ、お疲れ様」
「あんな高い場所から人を見下ろして……人も凄くたくさんいて、あり得ないです……あり得ない……」
「サーシャ、お疲れ様」
俺とソニアとレヴィさんは、魂が抜けているサーシャの延々と繰り返される愚痴に交互にお疲れ様と返していた。
「はぁぁぁぁ……」
肺の底からの深い深いため息。本当にサーシャはかなり参ったみたいだ。
「はちみつレモン水、飲む?」
「飲みます」
「炭酸割の方がいい?」
「いえ、普通のお水でお願いします」
心が疲れたときには肉か甘いものだよな。この場で肉と言うのはサーシャ的には酷だろうから、俺はレベッカさんの作ったはちみつレモンと水とジョッキを出して、がぶ飲みできる位の濃度ではちみつレモン水を作った。
それをサーシャが飲んでいる間に、俺たちはぼそぼそとさっきの儀式を振り返っていた。
「思ったよりも人が多かったですね」
「招待客というのかしら、プリーストと、おそらく今回の『聖女のお披露目』に立ち会える程度の貴族がいたみたいよね。プリーストという立場であの場にいたならそんなに派手な服は着ないでしょうっていう人が割といたわ」
「扉の外も人がみっしりといたしな……」
俺たちは「聖女万歳」を受け止める側だから、「サーシャ歓迎されてる、嬉しい!」なんて気楽にはなれなかった。むしろ聖女という肩書きの、その重さを感じている。
レベッカさんの言った通りだ。サーシャは迂闊な扱いができる存在ではなく、そのパーティーメンバーである俺たちも品位ある行動が求められるだろう。貴族のタウンハウスの中に住んでいても、文句を言われることはないはず。
神殿の人も、最初にここでサーシャがお化粧をされている間に住所について話したら「なかなか良いところに住まいを選ばれましたね」って笑顔でいたし、分不相応ってことはないみたいだ。
その時、ドアがノックされて、サーシャは慌ててジョッキをテーブルに置いてびしりと座り直した。
「テイオです。入ってもよろしいかな?」
「総大主教猊下! は、はい、どうぞ!」
まさかのまさかで、総大主教猊下がやってきた。
レヴィさんがドアを開けに行くと、白い服に身を包んだ初老の男性がゆっくりと部屋に入ってきた。その後ろには背の高い男性と、少年がいる。
「聖女に労いの言葉をと思いましてな。それと、紹介したい人物がいるのでお連れしました」
「ご足労いただきありがとうございます。つつがなくご挨拶を終え、寛がせていただいたところです」
サーシャは流れるような動作で立ち上がると、テイオ猊下に深くお辞儀をした。
うん、優雅で可憐だ。さすがサーシャ。
さっきの口が半開きになってたのはたまの愛嬌ということで。
「実に立派な立ち居振る舞いでしたぞ。ネージュで聖女が誕生したという話はもちろん届いていましたが、これでハロンズの民、いや、ヤフォーネ王国全ての民に聖女の存在を知らしめられたでしょう」
テトゥーコ神殿の実質的トップ、テイオ総大主教猊下は常ににこやかだ。多分内側まで真っ白って訳じゃないと思う。さっきも打ち合わせにないことでサーシャを慌てさせたし。
「未だ修行途中の未熟な身でございます。これからも総大主教猊下にはお導きを賜りますよう」
「ははは、聖女が未熟とは何を仰る。貴女は僅か15歳で上位聖魔法を習得した逸材と、フォーレ教会からも以前に報告が上がっていたのですよ」
「そ、そうなんですか」
裏返り気味の声のサーシャは相当動揺しているようだ。その時、テイオ猊下の後ろにいる黒い礼服を着た男性が、猊下の服をくいくいと引っ張ったのが見えた。
レヴィさんよりも少し背が高いだろうか。少し癖のある金髪を束ねた眼鏡の男性だ。
「猊下、僕を早く紹介してもらえませんか」
「教授、こういう時は少しくらい待てよ」
その男性を、連れらしき少年がなんとか抑えようとしている。
あれ、このやりとりはなんだか既視感があるぞ。
「ああ、申し訳ない。聖女サーシャ、こちらはリンゼイ・レッドモンド男爵とルイ・ウォルトン伯爵令息です。レッドモンド男爵は我が国最高の頭脳と称され、国立大学院で魔法学を研究していらっしゃいます。我が神殿の上位聖魔法を扱うプリーストにして、4属性魔法をも操るまさに国内最高の魔法使いですよ」
「よっ……!?」
俺たち4人はテイオ猊下の紹介に、同時に息を飲んだ。
4属性魔法に上位聖魔法!? そんなのありなのか!?
上位聖魔法は修行さえすれば誰でもってサーシャが前に言ってた気がするけど、確か魔法の素質って先天的なものだよな。4属性魔法を持っていてさらに上位聖魔法を習得したなんて、本当に天才かただの魔法オタクかのどっちかだ。
「4属性魔法って、空間魔法よりも使い手は少ないと聞きましたが」
俺は驚きに目を見開いて、笑顔を浮かべているレッドモンド男爵を見つめた。
「僕は後天的な4属性魔法使いなんだ。元は水と風の2属性だったんだよ」
「後天的!? そんなことありなの!?」
ソニアが驚きのあまり大きい声を出し、「しまった」という顔で口を覆っている。
「うん。それはね、話すと長くなるんだけど、僕はまず自分の扱う水魔法と風魔法の魔法式というものを割り出したんだよ。それを解析し属性を反転させることで逆属性の魔法式を編み出しそれを使って火魔法と土魔法を発動することに成功した。その魔法式というものなんだけど……」
「待て、待てってば教授。誰も追いついてないだろ、見ろよ周囲を!」
息継ぎなしのマシンガントークを始めた「教授」を、伯爵令息と紹介された少年が止めている。
間違いない、聖女万歳の中で聞こえた「興味深い」と「黙ってろ」の声の主だ。
「あの、さっき俺の後ろにいませんでしたか?」
尋ねてみると、艶やかな黒髪の少年がああ、と頷く。
「そういえばあんた、変わった生き物抱えて立ってたな」
「そうだよ! あの生き物はなんだい? いまもこの部屋にいるのかな? どれどれ? おおおおお! いたよ、ルイくん! 面白い、僕が今まで図鑑の中でも見たことがない生き物だ! 小熊のような体型に白と黒の体毛……もしやこれは、女神テトゥーコの聖獣パンダでは!?」
ルイという少年の一言で、教授が暴走した。少年の制止の手も振り切って部屋を歩き回り、サーシャが座っていたソファの影でパンダ団子をもぐもぐしていたテンテンを見つけてはしゃぎ回っている。テンテンの方は驚いてビクリとしていた。
「おいぃ! そういうとこだぞ、教授! 少しはおとなしくできねえのかよ!」
「そういうルイくんだって言葉を直していないじゃないか」
「ああ言えばこうかよ! 悪かったな、育ちが悪いもんでよ!」
「……まあ、我が国最高の頭脳……ですよ。彼のたっての頼みで紹介したのだが」
すっかり状況に置いて行かれたテイオ猊下が苦笑いを浮かべている。
凄い。
レッドモンド教授という人の圧が凄い。
ひとつの神殿のトップを前にして全く気にしない肝の据わり方というか、なんというか。ルイという少年の言う通り周囲が見えていないだけなんだろうけど。
「はい、パンダです。よくご存じでいらっしゃいますね」
サーシャがやや引き気味に返事を返すと、その一言に教授の顔がパァァァ! と輝いた。
「そうか! やはりパンダか! 今食べているのはなんだい? 人間にも食べられる物なのかな? 僕も食べてみていいだろうか?」
「待て、待て、待て!」
テンテンの側に座り込んだ教授の襟首をルイが掴んだ。教授はジタバタともがいている。
うーん、男爵と伯爵令息って紹介されたけど、どういう関係性なんだろう。傍から見ていると、暴走科学者とそのストッパーにしか見えない。
「猊下、申し訳ありません。この調子ですので……」
ルイの年齢は俺より少し下だろうか。でも俺の100倍くらい苦労した顔をして、テイオ猊下に頭を下げている。それに対して猊下は鷹揚に手を振ってなんでもないと応えた。
「なあに、いつもの教授でしょう。それでは私は戻らせていただきます。我が姉妹サーシャ、今後は今日のように格式張った形ではなく、気軽に足を運ばれよ。私も時間のあるときには顔を出させていただこう」
「ご厚意ありがとうございます。テトゥーコ様のお姿を拝見しにまた伺います」
「教授、俺たちも帰るぞ!」
「ええっ!? まだ聖女から何も話を聞いてないよ!」
「その聖女様が今は疲れてるだろうが! 周りを見ろって言ってんだろ!! 今日は紹介だけって無理矢理猊下に頼んだんだ。また後日ってのもあるだろ!」
物凄い剣幕でルイが叱っているけども、教授はちょっと不満そうに唇を尖らせただけだった。きっとこれ、叱られ慣れてるんだ……。
なんだろう、凄くヤバい人物に遭遇した気がする。
そして、ほんの少ししか見ていないけど、ルイは本当にお疲れ様だと思う。周囲も見えてるし、サーシャが疲れているのも見抜いていた。その上で暴走しっぱなしの教授を必死に制御している。
「仕方ないなあ……じゃあ今日のところはこれでお暇しよう。次に会ったときにはどうやって聖女になったかとか、必ず聞かせて欲しい! よろしく!!」
「ひゃっ!?」
「ほら、帰るぞ! 邪魔したな、悪い!」
ルイにずるずると引きずられて教授が退室していった。
嵐が過ぎ去った部屋で、俺たちは彼らが消えたドアを呆然と見遣ることしかできない。
「どうやって聖女になったか……ううう……それは言いたくない……言いたくないです」
今日最大の精神的負荷を掛けられたらしいサーシャが、バタリとソファーに倒れ込んだ。
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