81 生け贄の少女

 馬に乗って移動することしばらく、遠くから悲鳴が聞こえた!

 けれどそれは男性のものでなく少女と覚しきものだ。

 キールがそちらだというので、俺とサーシャは目的地を定めた。


 近づくにつれて少女の泣き叫ぶ声と共に、男性の怒号や悲鳴が混じってくる。村の男性は間違いなくこの先にいる。

 ――そして俺たちが見たものは、白い糸でグルグル巻きにされた数人の男性と、武器を手にした十数人の男性。それも怯えた人から、激怒している人までそれぞれだ。


「星5冒険者です! 街道で噂を聞いて来ました!」


 サーシャよりは強そうに見える俺が叫ぶと、男たちの中からおおおお! という声が上がった。その中にひとりあからさまに顔を背けた人がいるのを俺は偶然見てしまった。

 なんだ? 冒険者が来たら都合が悪いことがあるのか?


「いやぁーっ! 来ないで!! 来たらグルグル巻きにして動けなくするからぁー!」


 甲高い少女の叫び声が響く。完全に泣き声交じりで、声だけ聞いたらこの場で一番怯えてるのは彼女だろう。


「あっ、あそこ! 蜘蛛のねーちゃん!」


 キールが木の上を指さす。

 地面ではなく木の枝の上、黒い蜘蛛の丸い腹部と8本足に、少女の上半身が生えた魔物がいた。

 当たり前のようだが上半身には何も身につけておらず、少女は必死に足とは別の人間の腕でその胸を隠していた。


「キールくん、前にも彼女にあったことがあるんですね?」

「うん、ここからちょっと下の場所で会った。崖から落ちかけた弟を糸で助けてくれたんだ。――だから、俺と兄ちゃんと弟は、蜘蛛のねーちゃんは悪い人じゃないって言ったんだけど信じてもらえなくて」

「泣き叫んでるのは演技かと思ったけど、もしかして本気でこちらに怯えてる? キール、その時にあのアラクネと何か喋った?」

「ううん、何か言いたそうにしてたけど、俺たちもびっくりして、お互い何も言わないうちにねーちゃんが逃げてっちゃった。だから俺たちも村に帰っても何も言わなかった。そうしたら、何日かして蜘蛛のねーちゃんが村に現れて……。村長がなんかめちゃくちゃ叫びながら斧を振り回したから、悲鳴を上げてまた逃げてっちゃったんだよ」

「ということは、今の段階ではあのアラクネは特に人に危害は加えていないんですね。――だけど、危険な魔物だから被害が出る前に討伐をと考えるのはおかしくないことです。……だけど、だけどあの姿はあまりにも……」


 サーシャが語尾を掠れさせる。

 俺たちはここに来るまで「危険な魔物を退治し、勇み足で乗り込んだ男性たちを救助する」つもりでいた。

 けれど、実際目にした光景はもっと複雑だ。

 アラクネは頭がいいという。人間レベルだとしたら確かに危険ではある。

 逆に、人間と同じように思考し、心があるとなると俺としては戦いにくい。気持ち的には物凄くやりにくい。

 

「村長さん、いらっしゃいますか! 私は女神テトゥーコの聖女、サーシャと申します。北の実家へ里帰りの途中噂を聞いて駆けつけました。どうか一度落ち着いてください。こちらには移動魔法が使える空間魔法使いもいますから、もし怪我した方などがいましたらすぐに村に帰ることができます」


 サーシャの呼び掛けに反応したのは、さっき俺が声を掛けたときにあからさまに顔を背けた初老の男性だ。あれが村長か……。


「冒険者などに依頼はしていない! これは村の問題だ! 俺たちで片付ける!」

「アラクネは大変危険な魔物と言われているんですよ! 冒険者でも星4以上が討伐推奨レベルです。私は古代竜をひとりで倒す力があり、こちらのジョーさんは古代竜を封じる力があります。無駄な犠牲を出さないためにも、どうか私たちに任せてください」

「だったら今すぐ村に戻ってよぉー! あたし、もう村に行かないって約束するよ! ずっと山の中にいるから殺さないで……お願い……もう、もう死ぬのはやだぁ」

 

 サーシャの言葉に一番反応したのはアラクネだった。ゆっくり近づいて見上げれば、その顔は涙でぐしゃぐしゃで、とても敵意があるようには見えない。

 これは演技か? それとも――。


 村の男たちの間に動揺が広がる。このまま村に帰りたいという人と、まだ頭に血が上っている人。そして蜘蛛の糸らしきものに縛られている人は、クロに頼んで《火球ファイアーボール》を軽くぶつけて解放してもらった。


 ところが、それがよくなかった。武器を持った男たちを俺が解放したのを見て、アラクネはまたパニック気味の悲鳴を上げ、別の木に糸をくっつけて飛んで逃げようとしたのだ。

 彼女を今逃がすわけにはいかなかった。今逃げたら、二度と俺たちの前には出てこないと確信が持てる。


「待って! ちゃんと話を付けなくていいの!? 今ここで逃げたらずっと村の人に追われるよ!?」


 俺の言葉に、アラクネの動きの中に僅かにためらいが見えた。

 ――やはり、根本的に彼女を突き動かしているのは「怯え」だ。


「テンテン、ころーん!」


 俺の一声で、クロの背中に乗っていたテンテンがぽてりと落ちてゆらゆらころりんと転がった。

 山間に甲高い声と野太い声の絶叫が起きる。効果は抜群だ!

 

「きゃっ!? か、可愛いーっ!」


 逃げることよりもテンテンを見ることに優先順位がシフトしてしまったアラクネは、顔を真っ赤にして頬を両手で押さえて身悶えている。

 可愛いは強いな!

 あと、胸は腕でしっかりガードされていた。



「慈愛と知識の女神テトゥーコの名において、無駄な殺戮はしないと誓います。だから、あなたとお話をさせてください。あなたは、とても怯えていますね。何故? 村に自分から行ったのはあなたでは?」


 サーシャが優しく話しかけると、テンテンを必死にモフっていたアラクネが涙の筋を付けた顔を上げた。


「あ……女神、テトゥーコ様……そう、慈愛の女神。あたし、覚えてる」

「覚えてる?」

「魔物などと話をするなっ! 今すぐそいつを殺せ! それで全て終わるんだ!」


 顔に青筋を立てて村長が怒鳴る。他の人はクールダウンしたのにこの人だけが強行に「そいつを殺せば終わる」と言い立てていて、はっきり言って鬱陶しい。

 なので俺は、村長を魔法収納空間へポイっとしまってしまった。


「村長が消えた!?」

「無事です。空間魔法の魔法収納空間へ一度入っていただいただけで。ちょっと話は順番に聞きたいので」


 村人の俺を見る目に恐怖が混じったけど、仕方ない。これが一番穏便なんだ。

 

 アラクネはパンダ吸いをしながら、パニックを起こしていたときよりは格段に落ち着いた様子で――それでも、とても悲しそうな顔でサーシャに訴えるように今までのことを話した。


「あたしの名前……名前、レナ。レナだよ、まだ忘れてない。――昔、この山には大蜘蛛が出た。何でも食べちゃう怖い魔物だったの。奴が暴れれば家も壊れたし、何人も村の人が死んだ。それが村に来て、5年に一度生け贄を出せって命令してきてた」

「レナさんは、もしかして生け贄に?」

「うん。生け贄にされるのはいつも女の子。男の子は働き手として手放したくないから、女の子がいつも大蜘蛛に食い殺されてた。あたしも――あたしも、あ、ああっ!!」


 大蜘蛛に生け贄にされたときのことが蘇ったのか、アラクネ――レナが限界まで目を見開き、自分を抱きしめてカタカタと震える。何も捕らえてはいないだろう目を虚空に向けて、レナは嗚咽しながら自分の爪が食い込んで血を流すほどに腕を握りしめていた。


「聞いたことがあるぞ! 俺の爺さんが生きてた頃、何度も言ってたんだ。爺さんの姉さんが生け贄にされたって。大蜘蛛討伐を冒険者に頼もうって話もあったのに、5年にひとりの犠牲で済むならって村長がずっと討伐を頼まなかったって!」


 ひげ面の男性が大声を出す。その大声にレナはビクリとしていた。

 そして男性の話は現在の状況とも重なっていて、俺は村長を収納していて良かったと思った。きっと出ていたら、大声での反論が入ってこの人の話を最後まで聞けないかもしれない。


「それで、生け贄はくじ引きで決めてたけど一度も村長の家から出たことはなかったんだって! ずっとおかしいと思ってたんだ。村長の奴、冒険者に出す報酬を惜しんで、自分の身は切らずに村人に犠牲を強いてやがった! 同じなんだ、昔から!」

「そ、そうだ。冒険者に頼もうって言ってたのに頑なに拒んで俺たちを無理矢理連れてきて……」

「くじ引き――そう、あの日父さんが泣きながら帰ってきた。あたしは最後に蜂蜜をいっぱい掛けたパンケーキを食べさせてもらって……蜘蛛の牙が、お、お腹に刺さって……食われたの。生きたまま食われたの!」

「レナさん、落ち着いて。今ここには大蜘蛛はいませんよ。大蜘蛛が出たら私が倒してあげます」


 焦げ茶色のボサボサの髪を振り乱して泣き叫ぶレナの頭を、サーシャが胸に抱き寄せた。

 サーシャの手が優しくレナの頭を撫でる。レナは驚きを顔に張り付かせて、しばらくしてくたりと力を抜いた。


「ああ……せ、聖女様ぁ……助けて、あたしを、あたしたちを助けてください……」

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