72 戦い終わって、日常へ
翌朝、多分いつもよりも少し遅い時間に俺は目を覚ました。
ベッドの寝心地はかなり良かった。疲れがすっかり抜けた気がする。
というか、昨日はほとんど気疲れが主だったからなあ……。それもソニアが大部分引き受けてくれたようなものだったし。
クロは俺が起きるのを待ちかねていたみたいで、起き上がった俺を見て体を低くして尻尾を盛大に振って喜んでいる。
ここの部屋のドア、大工さんに頼んでペットドアを付けてもらうか……。昨夜はクロが出入りできるように開けっぱなしで寝ていたけど、後々大人数で住むようになったら問題になるかもしれない。
俺が着替えている間にクロには食事として焼いた肉を出した。小さく切っておいたから、凄い勢いでガフガフとクロは肉に鼻を埋めるようにして食べている。
後でテンテンにもご飯をあげないと。テンテンはサーシャの部屋にいるんだよな。――サーシャと一緒に寝ているテンテンも羨ましいけど、テンテンと一緒に寝ているサーシャのことも羨ましいんだよな。
仔パンダ、抱いて寝てみたいな……。
足元にクロをまとわりつかせながら1階へ降り、洗面所で顔を洗うと、外から歌声が聞こえてきた。
高めの澄んだ綺麗な歌声に釣られて外に出ると、昨日取り替えたシーツなどのリネン類をサーシャが庭に張ったロープに吊しているところだった。
「おはよう、サーシャ」
「おはようございます、ジョーさん」
「手伝うよ。もうこんなに洗濯したんだね」
「ありがとうございます。昨日は凄く疲れた気がしたんですが、体自体はそんなに疲れてなかったみたいで。思ったより早く目が覚めてしまったので、天気も良いしお洗濯をしてしまおうと思ったんですよ」
サーシャは教会に5年いただけあって働き者だなあ。
俺は彼女と協力して、洗い上がっていたものを全て干していった。夏だし、乾くのも早いだろう。
なんか、いいな。
凄く「家」って感じがする。俺たちの、家。
持ち歩いている家も家ではあるんだけど、家庭という意味合いがない。
いや、この家だってこれからいろんな人と共同生活をするんだし、「家庭」ではないんだけども。
それでも、朝の光の中で金髪をきらめかせて、楽しげに歌いながら家事をするサーシャが眩しくて。
何か喋っては彼女と笑い合ったりするのはとても満ち足りた時間で、俺は「生きてて良かった」と幸せを噛みしめていた。
リア充、最高だ……。
起きてきたレヴィさんと3人で、食堂の大きなテーブルで特製麦粥の朝食を食べる。
そういえば昨日の夕食の時に気付いたんだけど、「食べ放題」という概念がこちらにはない。俺が「夕食は食べ放題ですよ」と言ったら、それは「いくら注文してもいいよ」という意味だったんだけども、だいたいみんな「食べ……放題?」って初めて聞いた言葉みたいな反応だった。
やり方によっては、サイモンさんのところのお店を立て直すヒントになるかもしれない。
ああいうものは損が出ているようでちゃんと利益になるようになっていると、テレビでも見たし。
システムを考えるところに関しては商人が本職の人たちに任せて、俺はアイディアの提供だけしてみよう。
食後は厨房のシンクで食器を洗いながら、水道の恩恵にあずかった。
麦粥の何がいいかって、椀とスプーンだけでいいって事だよな。ここには鍋とかの調理器具も揃っているから作っても良かったけど、火を熾すのが面倒だし、まだレベッカさんの店で買った特製麦粥が残っていたからそれを食べている。
ネージュもそうだったんだけど、ハロンズも上下水道が通っていて、さすが大都市だなとしみじみ思う。日本みたいに水道水をそのまま飲めるわけじゃないけど、いちいち井戸に汲みに行かなきゃいけないのよりは天と地ほどの違いがある。
蛇口もあるんだよな。俺はこっちで見たとき驚いたけど、うちの父が「蛇口はローマ時代からあるんだぞ」と風呂で話していたことを思い出して納得した。
本当に唐突に思い出が蘇ることってあるからびっくりだ。一緒に風呂に入ってた頃だから、小学校低学年くらいの記憶のはずなのに。
「服が仕上がるのは明日の午後だから、今日は急ぎでやることはないですよね。少しはゆっくりできますかね?」
手早く食器を洗って戻り、レヴィさんに尋ねてみる。俺の予想とは違い、レヴィさんは無言で首を横に振った後、少し間を置いてからいかにも気乗りしない様子で説明をしてくれた。
「テトゥーコ神殿に行って、サーシャの訪問の日取りを決めなければ。聖女の表敬訪問だから、それなりに神殿側の準備も大掛かりになるはずだ。ギルド長を間に挟んだ方が話が早いかもしれない」
「そ、そんなことになるんですか……」
レヴィさんの言葉に思わず俺は顔を引き攣らせた。
服を買いに行くための服といい、表敬訪問のための日程調整といい、前段階が必要になることが多すぎるように感じる。サーシャは元々プリーストなんだから、ちょろっと行ってお祈りするついでに偉い人に挨拶する程度じゃ駄目なのか?
だけど、それも仕方のないことなのか、と納得する自分も心の片隅にはいる。
サーシャは今となっては本物の聖女で、そこいらの冒険者と扱いを同じにできる存在ではないのだから。
「お腹空いたわ……1日寝てようと思ったのに、起きちゃうものね」
そんな言葉と一緒にソニアが降りてきたのは、俺とレヴィさんとサーシャで今日のスケジュールについて相談していた時だった。
一日中寝る宣言をしてた割には寝方が甘いなと思ったんだけど、本人もそう思っているらしい。ソニアは渋い顔をしていた。
「ソニアさん、大丈夫ですか? 朝ご飯を食べたらまた寝ていてもいいですよ? 昨日は大変だったんですから」
「寝る前はそんな風に思ってたのよね……。私、以前に比べて格段に体力が付いたんだわ」
「……今更?」
つい呟いてしまった一言でソニアに睨まれた。
いや、でも本当に今更だろう。冒険者になってから2ヶ月なんだし、街中で依頼を受けていたときとは違うと気付いてるだろうと思っていたんだけど。
「ジョーやサーシャの体力と一緒にしないで! 私、箱入り娘で育った魔法職よ? ファーブまで歩いて行くことがあるなんて思ったこともなかったんだから」
「いや、俺だって3ヶ月前に冒険者になったばかりの魔法職なんだけど」
「ジョー、山に登り慣れてる人間と普通の人間の体力を一緒にするな」
レヴィさんに突っ込まれた!?
……なんということだ。今までずっと俺が他の人のことを「いろいろおかしい」と思う立場だったはずなのに……。
「そうですね、ジョーさんの体力は凄いですよね。私が冒険者になりたての頃は、ジョーさんみたいには歩けなかった記憶がありますよ」
「そうだな、サーシャは体が小さい分、努力はしていても体力に不安があった。……あの頃が懐かしいな」
「くっ……、15歳のサーシャを知ってるレヴィさんが羨ましい」
「サーシャはそれほど変わりはない。アーノルドがあの頃はもっと過保護で毎回サーシャに諫められてたくらいだ」
「その光景、目に見えるようです……」
デレッデレだったんだろうな、アーノルドさんは……。
そして手厳しく突っ込まれていたんだろうな、サーシャばかりかメリンダさんやレヴィさんにも。
「ソニアさん、もし動けるようなら少しゆっくりめでいいので買い物に行きませんか?」
俺が麦粥を椀に入れて出している間に、サーシャがソニアを買い物に誘っていた。
珍しいと思ったのは俺だけではないようで、誘われた当のソニアが目を丸くし、それから華やかな笑顔になった。
「行くわ! 部屋に置く小物とか見たいと思ってたのよ。珍しいわね、サーシャから誘ってくれるなんて。こういう時はジョーと行くものだと……」
「えっ? だって、ソニアさんの
「買い物ってそっち!? ジョー、あなたの恋人、ちょっと問題があると思うわ。戦闘脳って言うのかしら……」
「悪い、ソニア……。でもこれは俺にはどうにもならない……サーシャは元々こうだから。俺も出会って30分くらいで『じゃあ今から古代竜を狩ってきますね』って言われたから……」
「ジョーもなの……もうどうなってるの、この子……こんなに可愛いのに残念すぎるわ」
「ええっ!? 私何かいけないことをしてしまいました!?」
なんという悲劇だ……。そうだ、なめす前の状態の皮を一部取ってあったんだよな。確かにそれはソニアに革鎧を作るために狩った古代竜だから、ハロンズに着いたからには一日でも早く防具屋に持ち込んで、鎧に加工してもらわないといけないんだけども。
でも、買い物ってそういうことじゃないよな。
片手で顔を覆った俺の向かいで、麦粥にスプーンを突っ込んだ状態でソニアも顔を覆った。
レヴィさんはひたすら無言。サーシャだけが何もわかっていなくておろおろしている。
「サーシャ、女の子同士で『お買い物に行きましょう』って行く場所は、普通は防具屋じゃないのよ……」
ソニアの常識的な一言が、いやに悲しく響いた。
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