49 鈍すぎる彼女

 何故か拍手されたり聖女コールが起きたりもしたけども、俺たちはその場で駆けつけた衛兵に話を聞かれることになった。

 ソニアが捕まえたという犯人は、縛り上げられて別の衛兵が担いでいった。

 

 恐らく30代半ばくらいに見える衛兵は、背に穴の開いた俺の服と、その場に流れている血を見て厳しい顔をしている。

 

「先程の光は私も見たよ。そして、女神のお声も確かに聞いた。そしてこの血の量からすると、実際に君が死んでいたのはほぼ間違いないだろう」


 死んでたのは知ってる。女神の部屋で聞いたから。

 だけど……まあ、話がややこしくなるから、ここは黙っておこう。知ってましたなんて言ったら、「実は意識があった」と思われかねない。

 

「死んでいたわ。脈がなくなっていたのは私とサーシャが確認したもの。それに、何人もジョーが血を噴き出しながら倒れたのは見ているはずよ」

「ああ、そのようだ。優れた風魔法使いがいたようだね、逃亡しようとする犯人の足の腱を切ってくれたのは良い判断だった。これから応急処置のみを施して、詰め所で取り調べを行うことになる」


 俺は見た。優れた風魔法使いと言われてソニアが「んふっ」というにやけた顔をしたことを。

 ちゃんと魔法を狙ったところに当てたんだ……びっくりだな。

 この短時間でいろいろ衝撃的にも程がある。


 俺とサーシャが疲弊していたので、取り調べでわかったことがあったら伝えてもらうことになった。連絡先としていつも泊まっている宿屋の名前を告げようとし……さすがにこの格好で行ったら大騒ぎになると考え直して、俺はベーコン工房を建築中の場所を伝えた。


 ついでに魔法収納空間から毛布を2枚取り出して、血まみれで目立ちすぎる俺とサーシャはマント代わりにそれを羽織る。

 羽織れるものの持ち合わせがないから仕方ないけど、さすがに暑い!


 俺たちは早足でベーコン工房に向かい、仕事中だった棟梁に挨拶をしてから事情を話して、建築中の外壁の内側に家を出させてもらった。

 アヌビスは、小さな体でちょこちょこと付いてきている。

 可愛い……。癒やされるな。


 ソニアとサーシャのためにテーブルセットを出して、俺はサーシャに一言謝ってから先に風呂に入らせてもらうことにした。

 体はどこも痛くないし、多分傷痕とかも残っていないだろう。

 でも、上着からズボンまで本気で血に染まっていて……正直、ゾッとずる。

 もったいないけど、これは捨てて買い換えだな。


 俺はため息をついて下着に至るまで血まみれになっている服を収納すると、風呂に湯を張った。

 中に浸かることはせずに、手桶でざばざばと湯を被って体に付いた血を洗い流す。

 血の匂いが残らないように頭の先からつま先まで石けんで丹念に洗い、やっと人心地付いた。


 濡れた髪を適当に拭きながら服を着て風呂場から出ると、キャッキャという笑い声が聞こえる。サーシャとソニアの笑い声は、俺の心をほんわりと温めてくれた。


「ジョー、この子、すっごくお利口よ!」


 ちんまりとお座りをしたアヌビスが、ソニアの指示に従ってお手をしたりして愛嬌を振りまいている。

 アヌビスって、敵対してなければこんなに従順なのか……。

 いや、俺と同化してたアヌビスだというし、タンバー様の聖獣だから本来は人に懐く性質を持っているのかもしれない。

 

「あああ、ぎゅーってしたいけど、この子に血が付いたら困りますね! じゃあ私もお風呂に入って着替えてきます」


 アヌビスに名残惜しそうな視線を残しながら、サーシャが足早に風呂場に向かっていく。俺はサーシャの荷物をどんと脱衣所に置いて、ソニアの向かいに座った。


「ところでジョー」


 俺がソニアに謝ろうとした途端、向こうから真顔で話しかけられた。


「この小さいアヌビス、どうしたの? 明らかにあなたに付いてきてるわよね」

「それか……。俺、ソニアに謝ってお礼を言おうとしたんだけど」

「それはサーシャに言うのが先でしょ」


 正論過ぎてぐうの音も出ない。俺が手を差し出すと、アヌビスは尻尾を振って俺の膝に飛び乗ってきた。


「呪いだかなんだかわからなかったあの首輪、タンバー様の神像を俺が洗い清めたことに対する恩寵だったんだって。それで、俺にアヌビスが同化してた。……というか、結構ややこしい話だから、サーシャが来てから話すよ」

「ちょっと聞いただけでややこしそうなのはわかったわ。

 あー、異様に疲れる日だったわね。ファーブ鉱山から戻ってきて、私の家に行って、帰りにあれだもの。何か甘いものでも食べたいけど、衛兵が来るかもしれないから出かけられないし……違うわ! むしろ今行くべきなのよ! ちょっと私蜜蜂亭に行ってくるわね!」

「え? う、うん。気を付けて」


 突然出て行ってしまったソニアを、俺は呆然と見送った。

 暴風娘の二つ名にふさわしい暴風っぷりだ。

 俺がアヌビスと戯れていると、サーシャが着替えて風呂場から戻ってきた。

 おそらく俺と同じように、血の匂いを消そうと全身洗ったのだろう。濡れてぺたりとした長い髪を、布でぎゅうぎゅうと絞っている。


「あら、ソニアさんは?」

「甘いものが食べたいから今のうちに買ってくるって飛び出していったよ」

「……あ、そ、そういうことなんですね」

「どういうこと?」


 俺には理解できない何かを察しているらしいサーシャの様子に、何もわかってない俺は素直に尋ねた。

 見る間にサーシャの顔が赤く染まり、彼女は両手で顔を覆って崩れ落ちた。


「ひゃああああー! 恥ずかしい! 今頃恥ずかしいです! 私、私ジョーさんに面と向かって好きだって……」

「あああああ!? そ、そのこと!?」


 唐突にソニアの意図を俺は理解した。俺とサーシャをふたりきりにするために、気を利かせてくれたんだろう。


 でも実際は、俺とサーシャはお互いに「うわあああ!」「きゃああああ!」と奇声を発しながら床を転げ回っているばかりだった……。



 そんな自分たちの奇行を恥ずかしいと思えるくらいバタバタと体力を消費して冷静になったところで、俺とサーシャは示し合わせたわけでもないのに無言でテーブルセットの向かい合わせの場所に座った。


「そ、その……」

「凄く今更だけど……さっきも言った通り、初めて会ったときからサーシャのことが好きだったんだ。お、俺の恋人になってもらえますか?」

「コココココ!」

「サーシャ! ニワトリになってる!」


 赤くなったり青くなったり、サーシャの顔色は忙しい。

 でも俺は知っている。これが彼女の限度を振り切ってしまったときの照れの発露だということを。


「あの……私なんかでいいんでしょうか……? その、『顔だけは可愛い』って言われることはたまにあったんですが、ジョーさんも知ってる通り私はいろいろと駄目なところが多い人間ですし……」

「えっ、サーシャに駄目なところなんてあったっけ? 補助魔法が他に掛からないくらいしか思い当たらないけど……。

 あのさ、最初は、泣いてる君を見て可愛いなって思ったんだ。でも、話してるうちに自分を追放したアーノルドさんたちの事を思い遣ってる君の心根が、凄く清らかで優しいんだってわかって……多分、その時俺はサーシャを好きになったんだよ。本当は魔物が出る世界で戦ったりしたくないから、テトゥーコ様からスキルをもらうときに戦わなくても良さそうな空間魔法を選んだんだ。

 でも、君と離れたくないから冒険者をやることを選んだ。俺に優しくしてくれるサーシャから離れるのが心細かったからってのもあったけど――一緒に、いたかったんだ」


 言葉を止めたら羞恥心に負けてしまいそうで、俺はサーシャに向かって一気に話した。すると――。

 

 ガン、と凄い音がした。

 サーシャが、テーブルに思い切りおでこをぶつけた音だった。


「サーシャ!?」

「あうう……そ、その、私、恋愛というものを全くわかっていなくて……。ジョーさんに妙に近づこうとする女性とかに苛立ったり、変な気持ちになったりすることはわかってたんですけど、それがやきもちだって気付かなくて。ジョーさんと一緒にいるとドキドキするけどほっとするとか、そういうこともどうしてなのか全然わかってなくて!

 あの、本当に、鈍くてすみません……私、初めて会ったときからジョーさんの事を自分の特別だって思ってはいたんですが、それが『好き』ってことだってついさっき気付いたばかりで」

「大丈夫……知ってた……サーシャは恋愛に鈍いって……だから恋物語の本とか勧めたんだけど」

「ひえええっ!? そういうことだったんですね!」


 知ってた……知ってたよ、超弩級に鈍いって。

 でも、そういうところも含めて、俺はサーシャが好きなんだよな。


 サーシャが顔を上げると、テーブルに思い切りぶつけたおでこが赤くなっていた。ちょっと痛々しい。

 目を潤ませてサーシャは俺と目を合わせたり逸らしたりいろいろしてから、消え入りそうな声で下を向いて答えた。


「こんな私で良ければ、ジョーさんの恋人にしてください。テトゥーコ様に請願するときにも言ってしまったんですが、私はジョーさんがいないと生きていけません。いつの間にか、私の心の中があなたのことでいっぱいになっていて……。ジョーさんを失ったと思ったとき、そのぽっかり開いた穴に耐えられなくて」

「うん、ごめん。これからは油断しないようにする。――サーシャ、顔を上げて」


 俺は立ち上がって、きょとんとしたサーシャの顔に自分の顔を寄せた。

 いきなりキスは恥ずかしすぎるから、赤くなった彼女のおでこに軽くキスをするくらいなら許されるかな、と思って。


 その瞬間――。


「レベッカさんの新作タルトと軽食買ってきたわよ! 食べましょ! で、キスくらいした?」


 バーンとドアを開けて、最悪のタイミングでソニアが帰ってきた……。


「してないよっ!」

「してません!」


 俺とサーシャは顔を真っ赤にしながら同時に言い返した。  

 ソニアがあと10秒遅く帰ってくれば、一応したところだったはずなのに!


 ああ……。

 床を転がっている時間が長すぎたな……。

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