50 決別
微妙な空気の中で3人揃って無言でサンドイッチとタルトを食べ尽くし、同時にため息をついて、ようやくいい感じに緊張が抜けた。
緊張は抜けたんだけど、新たな方向性の緊張が……。
それは、至近距離で俺のタルトをじーっと見ていたアヌビスの存在。
食べたいのかな……でも犬に普通のケーキはあまり良くないし、いや、聖獣だから関係ないのか?
今度タンバー神殿にさりげなく聞いてみよう。
「このアヌビスなんだけど、タンバー様が分離して……ああ、違うな、どこから話したらいいんだ」
俺から分離することで出現したアヌビスの説明をしようとして、いきなり俺は躓いた。頭の中でいろいろ文章をこねくり回した挙げ句、諦めてありのままを説明することにする。
「俺、死んだときにまたテトゥーコ様に会ったよ」
「ええええっ! 羨ま……い、いえ、言っちゃいけませんね、そんなこと」
立ち上がって思い切り羨ましいと言いかけて、それが何を意味するかということで我に返ったサーシャが着席する。
「そこで、テトゥーコ様の加護を受けている同士の俺とサーシャが一緒にいると、経験値の入り方が物凄く増えるってことを説明されたんだ。だから、俺は伝説級って言われてる移動魔法を習得したんだって」
「移動魔法を? 凄いじゃない、ジョー」
ソニアの方は軽いな。空間魔法使いにとって移動魔法の習得がどれほど凄いものか知らないんだろう。
知識が少ない俺ですら、空間魔法の本を読んだとき遠い目になったくらいだもんな。
「はっ、待てよ? ということは俺はイスワとかに一瞬で行けて、ニジマスを仕入れることが……」
「イスワのニジマスを!? あのお料理もう一度食べたいです!」
「はいはいはい、ふたり揃って脱線してないで話を進めてくれない?」
今まで俺の役目だったツッコミを、とうとうソニアが担うようになっている……。
俺が死んでる間に一体何が起きたんだ。
俺は恥ずかしさをごまかすために軽く咳払いをし、「ふたつ目の大事な話」こと、タンバー様の恩寵について話を進めた。
「サブカハのタンバー神殿で俺がタンバー様の神像を洗い清めたことを、タンバー様が喜ばれたそうなんだ。それで、俺へのお礼の気持ち、つまりタンバー様の恩寵として黒い腕輪を与えてくれた。いやー、でも実際その後のことは呪いとしか思えなかったよな」
「あれは、ねえ……」
「えーと、すみませんでした」
アヌビスを抱きあげて撫でながらサーシャが謝ってくる。まあ、耳をモフり倒されたのは事実だし、サーシャは別にいいんだよなんて言おうものならソニアがニヤニヤすることがわかっているので、俺は頷くだけにとどめた。
「あの首輪は、人間の急所である首筋を守ってくれてたんだって。それと、犬耳になったりしてたのは、このアヌビスが俺に同化してたから。それを不便だってテトゥーコ様に言ったら、タンバー様にその場で連絡してくれてアヌビスを分離してくれることになった。生き返ったとき、俺の下がなんかもぞもぞしてるなと思ったら、そいつが這い出てきたんだよ」
「ワン!」
そうですよ、と言わんばかりのタイミングでアヌビスが一声鳴く。いや、実際そう言ってるのかもしれない。
「最後に……サーシャの請願とテトゥーコ様の返事、その場で全部聞いてた……」
「ひええええ……」
またサーシャが両手で顔を覆ってしまった。
これが笑い話レベルまで落ち着くのはいつになるだろうなあ。
「以上」
自分でもあっさりしてるなと思いつつ、俺は説明を終わらせた。
「じゃあ、この子はこれからタンバー様の加護として、ジョーさんと一緒にいることになるんですね?」
「そうか、そういうことになるね。小さいけど、多分俺を守ってくれるだろうし」
「じゃあ、名前を付けないといけませんね」
サーシャの一言で、俺たちの視線はサーシャの膝の上にいるアヌビスに向いた。
黒く艶々とした毛、それを彩る金色の模様。そして、今俺の方からは見えないけども、綺麗な青い目をした聖獣。それに名前を付けるとしたら――。
「「「黒いからクロ」」」
何故か、3人で同時に同じことを言っていた……。
「私は心底そう思ったんじゃないわよ? サーシャとジョーならそう言いそうだなって思って合わせてみたのよ。見事に当たって今吹き出しそう」
「えええ? だって、うちで飼ってた犬が白いからシロだったんですよ! 黒かったらクロじゃないですか?」
「うちで昔飼ってたのは、『ムクムクしてるからムック』だったよ……。覚えてないけど俺が付けたんだって」
「んもー! あなたたち、いろんな意味でお似合いすぎよ! 私も早く素敵な恋人が欲しいわ!」
――こうして、アヌビスの名前は満場一致で「クロ」になった。
それから間もなく、俺たちと話をした衛兵が訪ねてきた。
俺はそこで俺を殺した犯人があっさりと自供して、殺人の指示を与えた人間が逮捕されたことを知った。
緊張しながらも、俺たちはネージュ治安維持隊の本部へ向かった。犯罪者を収監できる設備のある場所で、街中のあちこちにある小規模な詰め所とは全く違う。
そして、俺は牢に入れられた人の虚ろな目を見て呆然と呟いた。
「ヘイズさん……何故ですか、何故あなたが俺を殺そうと」
数日合わなかった間に更に顔色を悪くし頬をこけさせたヘイズさんは、のろのろと顔を上げる。
「何故、だって? 何故と問いたいのは私の方だ。何故、何故君は!」
目に狂気の光を宿したヘイズさんが、物凄い勢いで立ち上がり、鉄格子を掴む。
ソニアはビクリと後退ったけども、俺とサーシャは一歩も退かなかった。
「君が私の前に現れたとき、とんでもない才能を持った新人が現れたと脅威に感じながら、とても嬉しかったよ。私の次の世代を担う、選ばれし空間魔法の使い手! 無詠唱も驚いたが、私ですら未だ習得できぬ時間操作をその若さで使いこなしていると聞いたときには思わず震えた! その才能を羨んだ! その才能を祝福した! 君の活躍を聞くにつけ、私の中では嫉妬と誇りが同時に存在した!」
常に穏やかだった彼が内側に秘めていた激情が、激しい言葉となって噴出している。
俺は黙ってそれを受け止めるしかなかった。この人は嘘をついていない。あまりにも相反する感情が激しいエネルギーになって俺にぶつかってくるから、嫌でもそれがわかる。
「空間魔法使いは、選ばれし存在だ! 私の子にも伝わりはしていない! この広いネージュの中で、私と君たったふたりしかいないほどの希少な存在なんだ!
それが、何故下賤な仕事を請け負う? 家の解体など誰でもできる! そんなものは空間魔法使いの仕事ではないだろう? 違うか!? なのに、君は誇りを持つこともなく軽々しく仕事を引き受け続けた。それは、私の誇りを地に落とすことと同じだと気付かずに!」
「ああ……そういうことだったんですね」
穏やかで公平に見えたヘイズさんは、「結果的にそう見えていた」だけの選民思想の持ち主だった。
「その若さで時間操作も既に習得して、君は本当に特別な、選ばれし人間なんだぞ! 依頼する者はその恩恵を受けるために頭を下げるべきだ!
君は、自分で己の価値を下げているのだ! そうしたら私はどうなる? 君以下の私の価値は? 全くの屑に成り果ててしまうじゃないか!」
ヘイズさんの叫びはとうとう慟哭へと変わり、鉄格子に頭を打ち付けながら泣き叫びだした。
俺の胸には怒りはなかった。ただ、目の前の人を哀れだと思う。
この人をここまで追い詰めてしまったのは、間違いなく俺だったから。
「俺は、特別じゃありません」
敢えて黙っていたことが、結果的に自分の命を落とすということを招いた。
だから、俺は彼に真実を告げることにした。
俺は特別ではない。
空間魔法は特別かもしれないけども、彼自身は自分で作り出した幻想に嫉妬していたという事実を突きつけるために。
「これを見てください」
言葉で彼の注意を引き、牢の中からも見える位置で、行きたい場所を思い浮かべ、ドアノブを掴んで開ける仕草をする。
初めて使った移動魔法は、ちょうど家の玄関ほどの大きさの空間を切り取り、その先にこの場とは違う風景を出現させた。
「――まさ、か……移動魔法……? 君は既に、伝説と呼ばれたその域に?」
「はい、俺は移動魔法も習得しました」
「はは……ははははは! 移動魔法! そんなものまで使えるとは! 君は何者だ? 僅か17才で到達できる域ではないぞ? 悪魔か? それとも神か?」
「俺はただの人間です。ただ、あなたに隠していたことがあります。俺が特別に見えたのは、全てそれが原因です。……俺が、隠していたせいで、ヘイズさんを追い詰めた」
どん、と気持ちが沈む。この事態は、俺にも間違いなく責任の一端があった。
「俺はこの世界の人間ではありません。異世界で死んだことになり、女神テトゥーコのお導きでこの世界で生きることになりました。その時に、いくつかのスキルを提示されて選ぶようにと言われ、ただ戦いたくないからという理由で4属性魔法や勇者ではなく空間魔法を選んだ。それが、俺が空間魔法を無詠唱で使える理由です」
あまりに突飛すぎる俺の話に、ヘイズさんはぽかんと口を開けて俺を見ていた。
完全に信じているわけではないだろう。目にはまだ疑念の色が宿っている。
「女神テトゥーコの加護を受けた俺は、同じく女神テトゥーコの加護を受けているサーシャと出会い、一緒に行動することになりました。同じ神の加護を持つ同士が一緒にいることにより、俺には通常の2048倍の空間魔法の経験値が入ることになりました。ご存じですよね、空間魔法の経験は、『希少なものを』『より遠く』運ぶことで効率よく得ることができると」
「あ、ああ……」
「サーシャが倒した
――つまり、俺自身は何も特別だったんじゃない。平凡な人間が元の世界での死と引き換えに女神の加護を受けたから、今の状況ができた。それに、俺はこの世界ではないところで育ったから、『職業に貴賎はない』という考え方を教わっています。自分にできることをして人の役に立つならば、それが解体でも鉱石運搬でも、俺は喜んでもらえることが嬉しいんです」
指が白くなるほど強く鉄格子を掴んでいたヘイズさんの力が緩み、ずるりと彼の体が崩れ落ちた。
その顔からは、先程までの怒りなどが全て洗い流されたように消えていた。
放心状態に見えるヘイズさんは、俺を見ずに床の一点を見たままで力ない声で呟く。
「私は……冒険者でありたかった。功績を挙げて称えられたかった。幼い頃から特別と言われ、それが当然だと思っていたし、自分という人間は他人より価値があると……。
君とは価値観が全く違う。それが私の苛立ちの原因だったのだろう」
「はい、価値観が違います。生まれた場所も育った場所も、空間魔法に対する執着も違う。――俺たちは、違う人間なので」
俺はヘイズさんに背を向けた。ひとつの決心を胸に秘めて。
「さようなら。もう会うことはないでしょう。――でも、俺はあなたが犯した罪を償い、いつか家族の元に戻る日が来ることを祈っています」
「わからない……何故だ? 自分を殺そうとした男に何故そのようなことを言える?」
「言ったじゃないですか、生まれ育った場所が違い、違う教育を受けてきたからです。それに……俺の知ってるヘイズさんは、穏やかで、良識的な紳士でした」
それだけを言い切って、俺はヘイズさんの前から立ち去った。無言で俺たちのやりとりを見守っていたサーシャとソニアが慌てて付いてくる。
そして、牢の入り口には俺をここに案内した衛兵がいて、困惑した顔を俺に向けてきていた。
「――聞くなと言われても無理だったが、今のは私が聞いていい話だったのか?」
「はい。別に変な尾ひれを付けなければ他の人に話してもいいです。変に隠すことはもうやめます」
「いや、話すことなどしないよ。君が背負ったそのような重い運命を、軽々しく話題にできるわけがない」
俺は衛兵にただ頭を下げ、無言で治安維持隊の本部を出た。
重い気持ちを抱えていたら、背中にトンと何かがぶつかってきた。その後に細い腕が後ろから俺を抱きしめたから、サーシャが俺の背中に頭を当てて抱きついてきたのだとわかる。
そしてソニアは俺の頭を撫で、「お疲れ様」とだけ言った。
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