110話 負けないで

 準決勝戦の翌日、草薙球場にて決勝戦が行われる。

 球場には多くの応援客が来ており、聖陵学院の応援団もスタンドへと集結していた。

 そして彼らにとって喜ばしい名前がスコアボードに表示されている。


「俊哉先輩が……戻って来た!」


 目を爛々と輝かせながら興奮気味に話しているのは心優。

 聖陵のオーダーには1番に俊哉の名前が表示されており、心優だけではなく他の生徒らも喜んでいる。


「瑠奈ちゃん‥‥俊哉さん戻って……。」


「えぇ。そうですわよ司さん。やっとですわ。やっと‥‥。」


 司の言葉に瑠奈も嬉しそうに話す。

 彼女たちが待ちに待った選手が帰って来たのだ。


 一方決勝戦を控えた聖陵の選手たちはベンチ前に練習をしていたりと、各々行動をしていた。


「はぁーー……。」


 その中でも俊哉は1人ベンチの一番奥に座ったまま下を向き大きく深呼吸をしていた。

 暫くの時間ずっとこのまま動かなかったが、俊哉がふと我に帰ると握っていた両手が小刻みに震えているのが確認できた。


(手が震えている‥。まだ、ダメなのかな……。)


 頭の中の残像は消えた。

 だが俊哉の中にはまだ僅かだが恐怖が残っていたのだと感じてしまっていた。


(まだ俺は……!)


 下を俯きグッと目を閉じる俊哉。

 すると彼の目の前に1人の人物が立っていた。


「トシ君?」


「す、スミちゃん?」


 前に立っていたのは菫。

 彼女は直ぐに俊哉の手が震えているのが分かると菫は顔を覗き込むように屈んだ。


「怖いの?」


「あ……。うん。まだちょっとね。」


 ズバリ言い当てられた事に俊哉は笑うしかなかった。


「昨日打てたけど、今日打てなかったらって今更ながら感じちゃってさ。また打てないんじゃないかって‥。またあの苦しみに飲まれるんじゃ無いかってさ……。スッゲェ怖いんだ。」


「……トシくん!」


 菫は両手で頬を挟むようにし俊哉の顔をグイッと向けた。


「怖がらないでトシ君。大丈夫・・大丈夫よ?貴方は最悪の苦しみを経験した。でもね、どん底から這い上がって来たのよ?それはたまたまなの?違うよね?」


「スミちゃん……。」


「信じて自分を。……負けないで。」


 その言葉に俊哉の中の恐怖が消えた。

 そして手の震えも無くなっていた。


「ありがとうスミちゃん。」


「ううん。あ、そうだ。」


 笑顔を見せてお礼を言う俊哉に菫は微笑み返すと、何か思いついたように俊哉の両頬から手を離すと俊哉の両手を包み込むように握って見せた。


「おまじない。これで緊張が解けるかな?」


「あ……。」


 優しく包み込むように握られた菫の手からはほんのりと温もりを感じる。

 その温もりは俊哉の手だけでなく心も温めてくれたのだろう、緊張感がすっかりと消えていた。


「ありがとうスミちゃん。」


「大丈夫そうね。」


「うん。」


「その顔よトシ君。さぁ!今日活躍して、司の所に行ってあげなさい!!」


「スミちゃん……了解。」


 俊哉の言葉に互いに笑みを見せ合う。


そして試合開始まで僅かとなっており俊哉を含めた選手らがベンチ前に整列をしていた。

 桐旺ベンチ前にも選手らが整列をしており、桐旺のエース佐藤がベンチ前に並ぶ俊哉を睨みつけている。


「はっ!打率一割そこそこのヤツが一番に置くたぁ、焼きが回ったんか!」


「そうは言っても昨日の準決勝戦では同点タイムリーを放った。調子は上向きなんだろう。」


「けっ!そんならまた下向きにさせるまでだぜ!俺が格の違いってヤツを見せてやるぜ!!」


 佐藤の言葉に隣の四番打者である瀧澤が話すも、彼の言葉の勢いは止まらない。


「優勝すんのはこの俺たち桐旺だ!」


 審判団の号令で選手たちがグラウンドへと駆け出していく。

 両校の選手たちが駆け出していくとスタンドからはパチパチと拍手が鳴り響く。


「互いに!礼!」


『よろしくお願いします!!』


 挨拶をすませると桐旺の選手らがグラウンドへと散らばって言った。

 先攻は聖陵学院、一番打者に入っている俊哉がヘルメットとバットを持ちネクストバッターボックスへと立ちマウンドに上がる佐藤の投球をジッと見つめる。


(佐藤は県大会全てで先発だけど球の勢いは衰えてない。スタミナは静岡県内ではトップだろう。そしてストレートの球速も今大会ではMAX146キロをマークしていて、これも県大会では最速だ。)


 投球練習を見ながら分析する俊哉。

 だが彼の目は決して恐れてはいなかった。


(大丈夫だ‥スミちゃんの言う通り!そんで……瑠奈ちゃんや心優ちゃんの情報が正しければ‥いや彼女たちを信じよう。)


 投球練習が終わり打席へと向かう俊哉。

 俊哉が打席へ立つと佐藤からの視線に気づく。


(打率1割の雑魚バッターがよ‥。無様な醜態晒せや!)


 完璧上から目線で俊哉を睨みつける佐藤に対し、俊哉はただジッと見つめるのみ。


主審の“プレイボール”の声がかけられるとサイレンが響いた。


「さぁ俊哉……無様にアウトになっちまいな!!」


 言葉を発しながら大きく振りかぶり決勝戦第1球目を投じる佐藤。

 彼の投じられた真ん中高めへと投じられたストレート。

 そのストレートに対し、俊哉は振り遅れる事なくスイングをし振り抜いた。


 カキィィィン……


「ん‥な……!!?」


「あ……。」


 弾き返された打球は高い弾道でレフト方向へと舞い上がっていく。

 打たれた佐藤は驚きの表情を見せながら打球の方向を振り返り、打った俊哉も打球の行方を追いながら思わず言葉をこぼす。


「な、れ‥レフト!!」


 レフトを指差す佐藤。

 だがレフトの選手は追うのをやめており、体はレフトスタンドの方を向いていた。

 そしてそのレフトの選手の頭を越えて行った白球は“コーン”と音を立てながらレフトスタンドへと弾んで行ったのであった。


「ホ、ホームラン……。」


 決勝戦試合開始の初球。

 その初球を弾き返した俊哉の打球は、レフトスタンドへと弾む先頭打者本塁打となったのであった。

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