第12話
12.チーム「ペガサス」
今年の東京マラソンは、世界陸上の男子マラソン出場権がかかっている。世界陸上には日本は3名出場権があるが、この東京マラソンにおいて日本人で1位になれば自動的に出場権を獲得できる。日本人の中で2位以下は、他のマラソンでのタイムを比べて上位2名に与えられるというものであった。従って、世界陸上を狙っている選手は、この東京マラソンに出る方がやや有利である。また、外国人招待ランナーも多いので、タイムが出やすいことからも国内の有力選手の多くがこの大会にエントリーしていた。
今回の東京マラソンは、2時間3分台の記録をもつケニア人ランナー、デイビッド・アモンディーが最有力とされており、彼を含めて外国人招待選手は10名出場する。日本人では現日本記録保持者で、オリンピック5位入賞を果たした東西自動車の伊沢隼人が優勝候補の一人で、同じく入賞はならなかったがオリンピックに出場した、日本自動車の片岡明彦も有力とされていた。さらに今回初マラソンながら、箱根駅伝のスター、学生ハーフマラソン日本記録保持者である
東京マラソン前日に、大会前のレセプションが都内のホテルであった。マスコミも大勢集まる中、招待選手が紹介され、インタビューもされていたが、マスコミの関心はこの日本人3人に質問が集中した。現時点で日本人第一人者である伊沢隼人にテレビのアナウンサーが質問する。
「伊沢選手、日本記録樹立、オリンピック入賞と、このところいいレースが続いていますが、今度のレースの目標はいかがですか」
「先程、いいレースが続いていると言われましたが、自分としては結果に満足していません。オリンピックでもメダルを狙っていましたし、世界で通用することがぼくの目標ですから」
「すると、今大会に向けた意気込みはどうでしょう」
「この大会に合わせて、高地トレーニングも積んできました。体調は悪くないです。外国人ランナーも強敵ぞろいですが、明日は優勝を目指して走ろうと思います」
「ありがとうございました。次に片岡選手、明日のレース展開はどうされるおつもりですか」
「明日のペースメーカーは、かなり速い設定ですが、できるだけ先頭グループについて積極的なレースをするつもりです。もちろん世界陸上の切符が目標です」
「ありがとうございました。それでは佐藤選手、初マラソンですが、世間の注目が集まっています。どの様なレースをしたいですか」
「そうですね。明日はタフなレースになると思いますが、自分のベストのパフォーマンスが出せればいいかなと思います」
颯太も持ちタイムで一応日本人招待選手10人のうちの1人であった。一応紹介はされたが、質問はなく、レセプションは終了した。まあ、このところ大会で成績を出していないのでしかたがない。たとえ質問があったとしても、「調子はどうですか」とか「レース展開はどう考えますか」などありきたりで、そんなことをここで言ってもしょうがないし、当日走ってみるまでどうなるかは分からないのだ。ともかく注目されない分、余計なプレッシャーはかからないから気が楽だった。颯太がレセプション会場を出ようとしたとき、瑞穂テレビのアナウンサーに声をかけられた。カメラはない。
「天津選手、瑞穂テレビの望月です。ちょっとお話をうかがってもいいですか?久しぶりのレースになりますが、調子のほどはどうでしょう」
「悪くないですよ。ここまで故障もなく来られましたし」
「伊沢選手も調子よさそうですが、かつてのライバルとしてどう思われますか」
かつてのライバルということは、今は相手にもならないとみているのか。颯太はちょっと引っかかったが、にこやかに答える。
「彼は強い選手になりましたね。ぼくも負けずに頑張りたいです」
「では明日の目標を」
「もちろん優勝することですよ」
そのとき望月は「えっ」という顔をした。「本気で言っているのか」と顔に書いてあった。はったりをかまさず、自己ベストを目指すというくらいが適当なんじゃないか?と言わんばかりだ。
「そうですか。明日は頑張ってください」
望月はいかにも社交辞令のように冷めた感じでそう言って、さっさと話しを打ち切り、颯太と分かれた。
颯太は、「まあ、今の実績ではこんなものかもしれないな」と思った。しかし「こっちだって勝つために参加しているんだし、そのために必死で練習してるんだよ」そういう思いは当然あったが、表情や口には出さなかった。
メディアのインタビューでは、あまり不適切なことは言えないし、個人を指定した攻撃的なことは絶対言ってはならない。そんなことを言った日には、すべてのメディアからバッシングを受け、会社にも迷惑がかかる。それとメディアは常に勝者の味方だ。負けたやつがどんなに立派なことを言っても相手にされない。今のところ自分は勝者の側ではない。それは分かっているし、そのためにメディア全体を憎む気持ちもない。しかし、大事なレースに臨むにあたって、お互い最低限の敬意は必要ではないか。自分を含め、少なくともここにいたランナーは、明日のレースに大なり小なり人生をかけているのだ。それゆえこの場では美辞麗句を言っても、どうせ明日のレースになればだれも遠慮はしない。皆が自分の夢を、欲望をかなえるため必死になるのだ。このレセプションに参加した連中は皆優勝を、少なくとも日本人1位で世界陸上の切符を狙っているに決まっている。しかし、そんな選手の気持ちも分からないそのアナウンサーは、とりあえず招待選手のコメントはすべて取って来いとでも上の方に言われたのだろう。
「まあ、そんなことは本当にどうでもいいことだな」
颯太はそう思いなおし、レセプション会場を出たら、もうそのアナウンサーのことは忘れていた。
そして、颯太の思う通り、上から言われたので、仕方なしにおこなっている本命でない選手のインタビューを終え、急ぎ足でテレビ局に向かう途中、望月はつぶやいた。
「やれやれ、ようやく局に帰れるな。ビッグスリー以外のコメントは適当なものだったが、どうせ使われないだろうから、まあいいか」
この東京マラソンの大会レセプションが開催される2時間前、神奈川電算陸上部会議室では、今回の東京マラソンに出場する天津颯太と江口勝の壮行会が開かれていた。集まったのは颯太と江口の他に、コーチの大野春馬、神奈川電算陸上部総監督の吉田健二、それに、Aスピード社から橘弘幸と中村聡子も参加していた。Aスピードにとってもこの大会はウイングオブフットのいわばデビュー戦である。このシューズがニューテクノロジー社のシューズに勝てるのか、極めて大事な大会になる。そういう意味で橘弘幸と中村聡子は、颯太と江口の活躍を祈るような気持ちであった。吉田の挨拶の後、コーチの大野が話す。
「天津、江口。今日までよくきつい練習に耐えてきたな。2人とも、けがもなくここまでこられたのはよかったと思う。それと、俺の意見を聞いて、信じて実行してくれたことに本当に感謝している。お前たちの体幹の筋肉は、トップグループで走っても42㎞持つようになっているはずだ。明日はそれを信じて走ってくれ」
大野の言葉を聞いて、颯太が話す。
「監督、コーチ、そしてAスピードの皆さん、あらためてお礼を言いたいと思います。ぼくはエリートランナーではありません。飛びぬけた才能もおそらくないと思います。事実2年前のMGC予選で惨敗して、限界を突き付けられた感じで、その時は先が全く見えませんでした。一時は現役をやめることも考えていました。でも、ぼくはなぜか運だけは持っていたんです。まず1つは大野コーチに出会えたことです。コーチは自分の意見も聞いてくれて、それでいて自分に足りない事のアドバイスもしてくれて、ここまで迷いなく走ってこれたと思います。もう一つはAスピードさんとの出会いです。どうして、こんなぼくなんかを選んでくれたのか分かりませんが、このウイングオブフットは最高です。言葉ではうまく言えませんが、こんなシューズは今まで見たこともないものです。しかも僕の足のサイズに合わせて細かく調整していただいて、どれほど感謝していいかわかりません。明日はきっとこのシューズが最高だと言うことを全国に証明して見せます」
中村聡子は目頭を押さえていた。生まれて初めて、人にこんなに感謝される物ができた。もちろん、私一人の力ではないけど・・・「Aスピードに入って本当によかった」
颯太は続ける。
「それから、いままで僕は、陸上は個人の競技だと、ずーと考えていました。レースは自分一人で走るものだと。しかし、さっき言ったようにそれは間違っていました。今は決してそうじゃない。やっとわかったんです。どうすれば強くなるか、速くなるか。明日はもう自分一人の力で走るんじゃあないと思います。自分の中にこれほど多くのサポート、皆さんの力が入っている。ぼくにしても江口にしても自分一人の力では、とうていここまで強くはなれませんでした。そうしたら、これはもうチームですよね。それもすごいチームです。ぼくは、今ここにいるこのチームとして走りたい」
するとAスピードの橘が言った。
「天津君、ありがとう。シューズメーカーとして、うれしいよ。それじゃあ、今生まれたこのチームに名前をつけないといけないな」
「橘部長、私も天津さんと同じことを考えていて、密かにチーム名を考えていたんです。本当は自分の心の中だけで思っていようとしていたんですけど。そういうことなら提案してもいいですか。天津さんと大野さんの名前から1つずつとって「天馬」というのはどうかしら。うちのウイングオブフットにもつながるし」
聡子が提案した。すると颯太は、
「いや、そ、それは、江口も走るし、悪いですよ」
「天津さん、そんなん気にせんで大丈夫ですよ。わては初マラソンで、まだ実績もないんで。それにレースで重い看板しょって走るのもしんどいですわ・・・」江口が笑った。すると大野が
「それじゃあ、天馬を英語にして、ペガサスはどうだろう。「チームペガサス」、これで行こう」大野は続ける。
「それとな、天津は自分には才能が無いといったが、才能っていったい何なんだ?仮に才能が今後の伸びしろの事をいうなら、天津も江口も自己ベストをここに来てどんどん更新しているんだろう。それなら君たちは今まさに才能があふれている最中じゃあないのか。俺は、きっかけを与えたに過ぎない。今の力はすべて君たちが持っている物なんだ。俺としては、明日のレースは期待しかしてないよ」
最後に総監督の吉田健二が言った。
「それにしても、いい名前じゃあないか「チームペガサス」。今のところ何の注目もされていない雑草集団だが、明日はこのチームで日本中を驚かせてやろうぜ」
こうして東京マラソン前日に、選手2人、コーチなど4人、合計6人の小さなチームが、どのプレスにも発表されることなく結成された。今は誰にも注目されないチームだが、それぞれの瞳は夜空に輝く「ペガサス」の星座のようにきらめいていた。
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