第10話

10.サラダボール弁当


 颯太は好き嫌いが多いわけではないが、さやかはいつも食事のメニューに苦労していた。陸上選手であるので、脂質や糖質の取り過ぎには気を遣う。しかし練習量も多いので、カロリーは必要になる。そうなると自然と同じようなメニューになってしまうのだ。

「ねえ、今日の夕食何がいい。何でもいいは駄目だからね」

さやかは、こういう質問をした時、男が使う常套句に、早くもブロックをかけていた。

颯太は、まさにそう言おうとしていたので、ちょっとひるんだが、珍しく今日は早めに返事をした。

「じゃあ、今日はカレーにしてくれよ」

「うん、わかった」

リクエストをされれば、後から文句が出ることはないだろう。今日は栄養やカロリーなどを考えて、野菜多めのチキンカレーをつくった。タンパク質も必要なので、肉も多めだ。

「ねえ、どう」

黙々と食べている颯太に声をかける

「ああ、うまいよ」

いつもの返事だ。さやかとしては、まだ結婚2年目でもあり、めるにしてももうちょっと欲しいところである。

「あのー、たまにはどこがうまいのかとか、言ってくれないかなー」

「そんな、グルメリポーターじゃああるまいし、そんな大げさにどこがどうなんて言えないよ」

確かに、最近テレビではグルメ番組が増えており、芸人やアナウンサーが、

「さっぱりとしてますねー」とか「この、もちもちっとした食感がいいですね」などと大げさにレポートする。そういう番組を何度も見ていると、食事の時に、そんな風に言うのが当たり前のような錯覚に陥るのかもしれない。普通の家庭で、テレビのように大げさに「うまい!」とか、細かい食材について言及することはほとんどないだろう。せいぜい「この刺身はおいしいね」くらいの会話があれば御の字だ。

「まあ、そうだよね」とさやかが思っていたところ、少ししてから、颯太は言った。

「まあ、この星形の人参かな」

「はあ?」

子供みたいなことを言う。まあそれでも、少しの手間をかけたことをほめてくれたことはうれしかった。その時、急にさやかの頭に、何かもやもやとしたものが浮かんできた。

「もしかしたら、これか!」

突然、さやかは言った。

「うん?何が?」

「きっと、こういうことなんだ」

「だから、何が?」

さやかはなぜか、うきうきしていた。颯太は、突然話がかみ合わなくなった妻に首をひねりながら、またカレーを食べだした。


 数日後、さやかは藤田食品本部、第一会議室にいた。これから社長以下、幹部を集めた新メニューの開発に向けた本会議が始まろうとしている。さやかにとっては前回のリベンジを期するプレゼンであった。前回サラダボール弁当を提案し、評価者たちの評決では何とか過半数は取ったものの、社長にダメ出しされたのだ。帰り際、その社長に改善のチャンスをもらえたが、ここで認めてもらえなければ次は決して無い。言わば、すもうの得俵とくだわらでかろうじて残ってはいるものの、後がない状況だ。

「はい、では次の案件に入ります。次はサラダボール弁当ですか?では、天津さやかさん」

司会役の専務が名前を呼んだ。さやかはふーと深呼吸をして、話し始めた。

「よろしくお願いします。サラダボール弁当は、新鮮な野菜が中心で、ナッツ、卵、鳥のささみ肉が入った弁当です。低カロリー、低炭水化物で、ダイエットが気になる若い女性などがターゲットです。前回と少し異なり、ドレッシングは4種類から2つ選べます。とりあえず食べてみてください」

藤田社長を初め評価する部長などが、弁当の蓋をあけて食べ始めた。しばらくして、

「ドレッシングが2つになって、味の変化が多少ついたが、それで、この弁当、その他には前とどこが変わったんだね」評価者の1人である販売部の部長が質問する。

やはりそうか。ドレッシングを増やしただけのマイナーチェンジでは、おそらく通らないだろうとふんでいたが、思った通りだった。

「はい、素材そのものはほとんど変わっていません。これ以上高価な食材を使えば、価格が上がってしまい、われわれ庶民でも買えるものではなくなってしまいます。また、パスタやハンバーグなどを入れる案も出ましたが、それではこの弁当のコンセプトがぼやけてしまいます。サラダボール弁当というのであれば、あくまで野菜が中心で、素材の変更は最小限にしないといけません」

「じゃあ、中身は前と同じ物なのか?それでは意味がないだろう」

「違いは食べてもらってから説明します」

はっきりと答えを言わないさやかに、釈然としない評価者の間から

「どういう弁当なのかしっかりとプレゼンをして、食べてもらうのが慣例じゃあないのか」という意見が上がったが、社長の藤田が

「まあ、そういう決まりは、はっきりとどこかに書いてあるものではないんだ、ここは天津の言うとおり食べてみようじゃないか」

その一言で、その後は皆黙々と弁当を食べ始めた。確かに野菜は歯ごたえがあっておいしいし、ナッツやゆで卵が絶妙に食感を変えている。それでも、これまでの弁当との違いはなんなんだ。全員が分からないままであったが、しばらくして、

「んー、これのことか」

と声が上がった。皆がその者の方を見る。その部長はゆでた小さなささみ肉をつまんでいた。

「これに“がんばれ!”って焼き印が入れてある。奥の方にあったので気づかなかったよ」

その後、ほとんどの人はその肉を見つけたようだ。しばらくして、女性社員から声が上がった。

「なにこれ、かわいい」

女性社員がつまみ上げたのは、“ハート型をしたレタス”であった。よく見るとハート型をした葉の中に、さらに小さなハートがくりぬいてある。

「えー、そんなのあったか。俺のにはなかったぞ」

別の男性社員が言う。それを聞いて、さやかが説明する。

「よく見つけていただきました。ハートのレタスは、もしかしたら誰も見つけられないんじゃあないかと心配していました。今回私たちが入れたのは、ほんのちょっとの思いやりと、ダイエットをしている人達に対するエールです。食べたいものを我慢して、野菜中心のこの弁当を食べている人がいるかもしれません。それでなくてもこの都会で、競争社会で、みんな必死に頑張っているんです。そんな人たちに少しでも応援をしたくて、この弁当を作りました。皆さんのお弁当には1つずつ、メッセージ入りのささみ肉と、ハートのレタスが入っています」

さやかは続ける。

「このメッセージが入ったささみ肉と、レタスは、外からは見えないようにしたいんです。食べてもらっている間に、私たちのささやかなエールに気づいてもらえれば十分です。もし気付いてもらえなくてもいいんです。押し付けがましいことはしたくありません。もちろん、一切の宣伝もいらないと思います。しかし絶対誰かが気づいてくれて、インスタグラムなどに上げてくれるはずです。そこからSNSを通じて広がっていくのが理想的です。私のプレゼンは以上です」

しばらくして、司会の専務が

「よろしいでしょうか。何か質問はありますか?無いようなら採決をとります。このサラダボール弁当の採用に賛成の方は挙手してください」

藤田社長をのぞく全員の手が挙がった。さやか達は目を輝かせたが、すぐ真剣な顔になった。まだ最後の関門が残っている。藤田社長がよしと言わなければ今までの事は水泡に帰すのだ。さやかは藤田社長を祈るような目で見つめた。そして藤田が口を開く

「うーん、ちょっと青臭い感じだな。だが俺はそういうのはきらいじゃあない。ここにいるみんなの心もつかんだことだしな。よし!この弁当「Go」だ」

その瞬間、さやかは思わず机の下で何度も手を握り締めてガッツポーズを作った。「やった、やった」と心の中で叫びながら。その心の声が聞こえたのだろうか、藤田が、

「おい、天津。喜ぶのはまだ早い。喜ぶのはこの弁当が売れてからだ」

「はい、ありがとうございました」

会議終了後、さやか達のチームは、パッケージなど細かい打ち合わせをするために自分の部署に向かってに駆けだしていった。


 サラダボール弁当が発売されてから1週間もたたないうちに、ささみ肉の「がんばれ!」の文字と、ハートのレタスはSNSにアップされ、多くの「いいね」がつき、瞬く間に拡散されていった。その後しばらくは藤田食品の広報部に消費者からの電話と、大量のメールが届いた。多くは「あのハートの葉っぱは、すべての弁当に入っているのか」「東京以外では売ってないのか?取り寄せはできないか?」などの問い合わせであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る