第6話 卵とじうどん

 お店の引き戸を開く。ガラガラッという音に藍色の暖簾をめくりながら、馴染み深い店の匂いを嗅ぐと、言い知れない安心感が空腹の身体を包み込んだ。


レジの横にどんっと鎮座した漫画コーナー。目が合った本をさっと手にとり、決まった席に腰を落ち着かせる。いくばくもなく女性の店員が氷の入った水を差し出し、いつもと同じ注文を繰り返す。

カウンター席の横で流れるモニターの野球観戦を片耳にしながら、何回も読んだであろう4コマ漫画の1ページ目を開いてみる。いつも半分もいかないうちに、注文した品が運ばれてくるので、この話を最後の方まで読めた試しがない。と、


「お待たせしましたー。」店員の声。待ってました!


ここで食べるのはいつも『卵とじうどん』器の一番上に飾られた、ふんわり卵をかき分けると、つゆに浸かった熱々のうどんが、湯気と共に顔を出す。

箸をつける前に、いつもの声を。

「いただきます。」


このお店のうどん麺は、不揃いである。

たまに混ざり込んだ異様に太い麺を見つけると、なんだかラッキーと思えてしまう。いつもは中くらいの太さのうどんが、きしめんの様に倍近くの太さになっているのを見ると1人得をしたような、普段は見ることの出来ない、厨房では失敗作と捨てられてしまうかもしれないその姿に、物珍しさと愛しささえ感じてしまう。厨房の奥を覗きこんで確認したことも、店員の女性と話したこともないけれど、この麺は恐らくこのお店の中で打たれた、自家製麺なのだろうと思いを馳せる。

見たこともない厨房の奥にいるのは、気難しい男性か、それとも壮年の女性か、はたまた青年か。やわらかな麺とつゆをずっと舌の上で流し込みながら、そんなことを考えてみた。食感と喉越し、これが楽しい。


麺を食べ切ると、汁の中に残った卵をレンゲで掬いだす。口にすると、つゆの香ばしさと卵の柔らかな味が、うどんで満たされた腹を優しく包み込む。

つゆまで飲みきり、器の底が見えると、汗がじんわりと流れだす。最後に冷水を喉に流しこんだ所で、試合終了のコールが鳴る。テレビの向こうの勝ち負けはどうでも良かった。


4コマ漫画を棚に戻して、これを読み切るのは何時になるのだろうかと思いながら、暖簾の先へ行く。

多分次も、同じように卵とじうどんを頼むのだろう。


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