第18話 あの日のことー4ー

 私はミアちゃんが走って行った方とは逆に向かって走った。

 人の声と足音がする方へ。


 二人で逃げるという作戦はもう無理だった。


 ミアちゃんには大丈夫だと言っていたけど、打ち付けた体と頭はズキズキと痛み、熱を持っているかのように熱い。

 あのまま二人で逃げていれば、どちらにしろ私がミアちゃんの足手まといになってしまうだろう。

 それじゃだめだ!

 それでは二人共捕まってしまう。

 

 だから私は、ミアちゃんだけ先に逃がすことにした。

 屋根伝いに走り最短距離で街に行って助けを呼んでもらう。

 でも、それは同時に遮るものが無く、相手の目に付きやすいということでもある。

 スーツの男達だけだったら、一度距離が開いてしまえばそのまま逃げ切れるだろうが、向こうには魔法が使える男がいる。

 距離が開いていても、見付かって魔法で攻撃されたらミアちゃんが危ない。

 だから、ミアちゃんがあいつらの手に届かない所に行くまで、私が囮になってひきつける。

 私が囮になることで、ミアちゃんへの目くらましぐらいにはなるはずだ。


 付かず離れずの距離を保って、魔法の攻撃も避ける…。

 無謀にも思えたがこれが今の私が考えられる精いっぱいだった。

 

 心臓がバクバクと音をたてる。

 恐怖と不安で潰れてしまいそうだ。

 

 目がかすみ始めているし、流れる血は止まらず、息も苦しい。

 だけど、ミアちゃんが逃げ切って通報してくれたら、きっと助けが来る。

 私はそう信じて走った。


「おい、見付けたぞ!!」

 怒鳴り声が後ろから聞こえた。

 

 後もう少しっ…もうすこしがんばれば…。


 一瞬、後ろから熱を感じ、焦げたような匂いがした。

「っあぁ!!!っいだぃぃっ……っ…!!」

 思わず膝をついてしまう。

 火の魔法が私の左側の髪と首の皮を撫でるように焼いたのだ。

「っひ…っひ……っう…」

 今まで生きてきて感じたことの無い、凄まじい痛みと恐怖で引きつるような呼吸になる。

 あの中年の男が後ろに立って、私を見下ろしていた。


「もう一匹のチビはどうした?」

「…申し訳ありません。見失いました」

 スーツの男の声は緊張しているように聞こえた。

「…なんだと?お前もこのガキのようになりたいのか?」

 男の手のひらから炎が燃え上がる。

「っすみません!すみませんでしたっ」

「ッチ…まあ、あんなガキの言うことだ、自警団も取り合わないだろう。だが、念の為さっさと引き上げるぞ」

「「はい!!」」

 

 良かった…ミアちゃんは逃げ切れたんだ…。

 スーツの男二人は返事をして、私の方へ近付いて来る。

 

「はあ…お前もいい子にしていればこんな痛い目に合わなくて良かったんだぞ」

 中年の男は気味が悪い猫なで声でそう言った。

「最期のチャンスだ。大人しく付いてくればもう、痛いことはしないよ。さあ、おいで」

 男は私に手を差し出す。

 

 私はその手を振り払うと、声を振り絞って言った。

「っだれがっ、あんたっなんかに、ついてくもんかっ!!」


「ほう……。それがお前の答えかね。悪い子には躾をしてやろう…」

 男の空気が明らかに変わったのが分かった。

 元から冷たく淀んでいた目が、底のない真っ暗な地獄のように見えた。

 その目に私が映る。

 殺されるっ!!

 動かない体に鞭を打って立ち上がろうとするけど、ガクガクと足が震えて力が入らない。

 なんでっ⁉なんでうごかないのっ!!?

 私は震える体で這うように前に進む。


「どうした⁉威勢が良いことを言ってもそのざまか⁉」

 男は私を見下し嘲笑っていた。

 悔しくて、苦しくて、痛くて、辛い。

 だけど、こんなやつなんかにっ負けたく…ないっ!!!


 私は体中の痛みと圧倒的な恐怖に震え、嗚咽をもらしながらも、地面を這って逃げようとした。

 

 男が私に向かって足を勢いよく振り上げる。

 男の体重の乗った重い蹴りが、私のお腹にめり込んだ。

 蹴られた衝撃で体がひっくり返り、鋭い痛みが私を襲う。

「ぐっ…げぇ…げほっごほっ…」

 胃液が迫り上がってきて、思わず吐いてしまう。

 私がえずいていると、仰向けになった私の上に男が乗り上げて首を締めてきた。

「…っつ…!!」

 息が出来ないっ。

 男の手をかきむしり、足が地面の上をのたうつ。

 私は男の下で必死にもがいた。

 頭が真っ白に白み始めて眼の前がチカチカと光る。

 

「…あの、ボスさすがにそいつ死んじまいますよ。それに、もしあのチビが自警団に駆け込んでたら、ここもやばいんじゃ…」

「…少し待ってろ。俺は今どっちが上か分らせてやってるんだ…。躾は必要だろう?…死なない程度に痛めつけてやる…」

 男の声が頭の中で反響する。


 くるしいっ、いきが、できなっ……。

 

 もう、痛いのか、熱いのか、寒いのかよく分からなかった。

 ただ、私はもう死んでしまうんだろうと思った。

 

 みんな、ごめんなさい…

 …おかあ、さん…

 わたし…もう……

 

『…だ、…まだ、だめよ…こちらに来ては。思い描くのよ、あなたの体は軽く小さくなり速く走れる脚がある。強く思って。ソフィアならきっと…』

 

 頭の中でお母さんの声が聞こえた気がする。


 おもいえがく…かるく、ちいさく、はやく……


 一瞬、私の体が淡い光に包まれた様な気がした。


「っなに⁉…こいつはっ…⁉」

 男の驚いたような声が上から聞こえる。

 私はいつの間にか男の手をすり抜け、男の体の下から抜け出していた。

 自分でも何が起こったのか分からなかった。

 だけどっ今のうちに、にげ、なきゃ……‼

 朦朧とする意識の中、最後の力でがむしゃらに駆け出した。


 後ろで怒鳴り声が聞こえた気がしたけど、もう何も聞こえない。


 ただ、ひたすらに走る。

 滴る血は降り出した雨に滲んでいく。

 私は自分がどこを走っているのかさえ分からなかった。



 

 どれくらい走っただろう…。

 私はとうとう力尽きて倒れてしまった。

 身体は泥のように重く、もう少しも動かせない。

 私は眼をつむった。


 わたし、がんばったよね…おかあさん…。

 すこし…だけ…おやすみ…する…ね……。


 


「…ひどい誰がこんなことをっ…今から病院へ連れて行く!車をまわしてくれ!!」

 

 足音と声が聞こえた。 

 誰かの温かい腕に抱えられる。

 私の意識は溶けるように落ちていった。

 

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