第23話 君の生存を喜ぶ暇もありゃしない
ボストン警察の事情聴取を済ませ、ニューヨークのアパートメントに帰ってからの数日、ゲイリーは久々に酒に溺れた。
彼は、何もかもを忘れたかった。親友、そして愛する妻の裏切り。結果としてゲイリーの麻薬密輸疑惑は晴れることになったが、いまの彼にはどうでもよいことであった。
彼は失意の中、ただただ、酒に救いを求めた。酒瓶を喉に傾けることで、ゲイリーは全ての記憶を失ってしまおうとした。やがて意識が混沌として、彼は自室の床に倒れ込む。がしゃん、と手にしていた酒瓶が派手に割れる音を、何処か遠くの世界の出来事のように聞きながら、やがて、ゲイリーは深い眠りに落ちた。
その意識の底で彼は夢を見る。
気が付けば、彼はあのノヴァ・ゼナリャの森のなかにひとり佇んでいた。
視線の先には巨大な書架が納められたガラスドームがあり、よく見れば、そのなかから彼に手を振る少女がいる。彼女は床まで届く亜麻色の髪を風に揺らしながら、彼に向かって微笑み、手を振り続ける。
ゲイリーが手を振り返すと、少女はさも嬉しげに紫の瞳をきらりと光らせた。
その表情がゲイリーにはなんとも眩しくて、思わず彼は瞼を瞬かせる。
だが、目を開けば、そこはノヴァ・ゼナリャではなく、ニーアの姿も勿論なく、視界には薄汚れたアパートメントの天井が広がるだけなのであった。
……ゲイリーは床に転がったまま、アルコールが抜けきらぬ頭をぼりぼりと掻きつつ、焦点の定まらぬ目のまま自嘲した。
「そうだ、俺はニーアを裏切ったんだった……俺もサリーと、何ら変わらぬ……」
ゲイリーはそんな自分が可笑しくて、口元を歪めると、寂しく嗤った。そのとき、玄関のベルが大きな音を立て部屋に響き渡り、彼は思わずどきりとする。
……来客とは、珍しいことだな……。
彼はそう思いながら、ふらふらとおぼつかぬ足取りながらなんとか立ち上がると、ドアのモニターに目を向ける。
……画面には栗色の髪の、軍服姿の男が映っていた。
「このたびは気の毒だったな、サンダース。心から同情する」
リェムの声が狭いアパートメントの一室に響く。ゲイリーはベッドに寝転びながら不機嫌に尋ねた。
「……何の用だ」
するとリェムはゲイリーの腕をおもむろに引っ張り、彼を半強制的に起き上がらせる。ゲイリーは抗議の声を上げようとしたが、それはリェムの次の言葉にかき消された。
「ニーアが見つかった。身体の損傷は激しいが、致命的な損壊は免れていたよ。いまはノヴァ・ゼナリャに着陸させた軍艦内に収容されている」
ゲイリーが息をのむ。脳内の酒が一気に冷めていく。リェムはそんなゲイリーの顔を真っ向から見据え、そして、ゆっくりと語を継いだ。
「ニーアは君に逢いたいと言っている、サンダース」
「……俺に? ……なんでだ?」
ゲイリーはリェムの意外な言葉に驚きを隠せない。
「それはわからん。彼女はそれだけしか、今のところ何も話そうとしない」
「……軍としては、俺のことなんかより、彼女に聞きたいことが山ほどあるだろう? それはどうした?」
「聴取してるさ。だが困ったことに、彼女は肝心のハック疑惑については、頑として口を割らぬ。我々もお手上げだよ」
「無理やり口を割らせるのは、あんたたち軍の人間にゃ、お手の物だと思っていたが、違うのかね」
ゲイリーがいくらかの皮肉を込めてリェムに質す。するとリェムは肩をすくめた。
「そういうわけにもいかんのだ、サンダース。ニーアは元人間のアンドロイドだ。そうするとな、法律上は人格を持った存在として、いろいろ人道的な法律に引っかかる。だから、無闇なことはできん。つまり、彼女にもいわゆる人権が適応されているわけだよ、今はな」
「……今、は?」
リェムの意味深な語尾に引っかかりを覚え、ゲイリーは思わず問い返す。するとリェムは冷徹な声できっぱりと語を放った。
「彼女がこのまま、真実を話さなかったら、我々は超法規的措置にて、ニーアを人間でなく、機械として扱う」
……機械。
ゲイリーはその冷ややかな響きに、心臓をぞくりとさせる。
「ということは……真実を話さなかったら、ニーアはどうなる?」
「人間に危害を与えた機械として、アンドロイド法3条11項に基づき、即時解体、内部情報の解析の上、廃棄処分だ」
リェムは淡々と言葉を述べる。ゲイリーは唸った。
「解体……つまり彼女を殺すのか……」
「そのときにはもう、彼女の扱いは人間でないから、殺すという表現が適当が分かりかねるが、まあ……そういうことだ」
答えるリェムの顔にいつもの笑いはなかった。そこから、ゲイリーは事態の深刻さを伺い知る。
そして、気づいたときには、彼はリェムにこう言わずにいられなかった。
「どうして、俺に会いたいのかは分からん、だが、ニーアの元に連れて行ってくれ」
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