第22話 どいつもこいつも俺を騙しやがって
2日後、早朝着の便で、ゲイリーは再びボストンに降り立った。
彼はもう二度と訪れることはないと思っていた街に、数日と間を置かず舞い戻ったことに内心可笑しさを感じずにもいられなかったが、その笑いを口に浮かべる余裕は、ゲイリーにはなかった。
ゲイリーの頭の中を、リェムの声が木霊する。サリーの相手として、酒を酌み交わしたばかりの知己の名を告げた、あのときの声が。
……なにかの間違いであってくれ……。
彼はスチュアートの家にまっすぐ足を向けつつも、胸中ではそう念じずにはいられない。明け方のひかりが呆けたような顔をして歩を進めるゲイリーの姿を、そしてボストンの街角を照らす。やがて、目的の家が朝靄の中に浮かび上げるのをゲイリーは見た。彼は覚悟を決めて、「スチュアート・タイラー」と表札が掛けられた玄関のベルを鳴らした。
数分のあと、如何にも寝起きという格好のスチュアートが顔をドアから覗かす。だが、その目には困惑と怯えの色が躍っているのをゲイリーは見逃さなかった。
そしてそのときが、彼の中で、疑惑が確信に変わったときであり、ゲイリーの頭から理性が吹き飛んだ瞬間でもあった。彼はスチュアートがなにか言おうとするのも耳を貸さず、怒鳴り声を上げた。
「……この間男め! サリーはどこだ?!」
そう叫びながら彼はスチュアートに掴みかかる。
勢い余り、もんどり打ってゲイリーとスチュアートは家の中に身を転がせた。ゲイリーはスチュアートの上に馬乗りになると、感情のままスチュアートの頬を一発、二発と殴打した。スチュアートがたまらず呻き声を上げる。だが、激情のたがの外れたゲイリーの手は止らない。
そのとき、家の奥から女の叫び声がした。そう、懐かしい、夢にまで見た、あの女の声が。
「スチュアートから離れて、ゲイリー……!」
その声の方に視線を放れば、ネグリジェ姿のサリーが、彼にレーザー銃を向けて立ち尽くしていた。
ゲイリーは昏倒したままのスチュワートから身を離すと、ゆっくりと、愛しい妻の方に身体を向け、そして彼女を質した。
「……どうしてだ? サリー? お前はどうして俺を裏切った?」
銃を持つサリーの手は小刻みに揺れている。だが、その銃口はゲイリーの頭に向けられたままだ。
「好きよ……いいえ、好きだったのよ、ゲイリー……。だけど、私、あなたが宇宙に出てしまうと寂しくて……寂しくて仕方なくて……そうよ、最初はちょっとした浮気のつもりだったのよ……」
ゲイリーは、サリーの顔を呆然と見つめる。
なんの三文ドラマだ、これは。と、どこかで自分を嗤う声がする。まるで白昼夢のなかにいるみたいだ、とも。だが、サリーの独り言ともつかぬ残酷な台詞は、彼の胸を容赦なく貫き続ける。
「だけど……あなたがいない日々がまた長く続くと、寂しくて……私、耐えられなかった……ひとりでいることに……だから、愛してしまったのよ、スチュアートを……。そうしたら、だんだんあなたが憎くなって……いなくなれば良いのにと思ってしまって……」
そして、サリーはゲイリーの顔から視線を僅かに逸らすと、言葉を爆ぜさせた。
「あなたの食事とトランクに、麻薬を入れたのは、私よ……」
「……!」
ゲイリーは後頭部を殴られたかのような衝撃に、息を詰まらせた。同時に、彼の中でなにかが弾け跳び、次の瞬間、彼はサリーの身体に身を躍らせた。
「いやあぁ! 来ないで!」
「この売女!」
我を忘れて躍りかかるゲイリーの頬に、サリーが放った閃光が掠める。立続けに銃声が木霊する。
だが、それはゲイリーの身体には当たらず、気が付いたときは、ゲイリーはサリーを壁際に追い詰めていた。サリーの瞳が恐怖に歪み、彼女の手から銃が力無く転げ落ちる。すかさず転げ落ちた銃をゲイリーは掴むと、倒れているスチュアートに駆け寄っていこうとするサリーの背に銃口を向け、引金に手を掛けた。
怒りと絶望の余り息が乱れる。手が震える。自分の心臓の鼓動が暴れるように、鼓膜を叩く。
「……畜生、畜生……」
ただ、ただ、そう呟きながら、ゲイリーはどのくらいその姿勢を保っていたのか、自分でも分からなかった。ふるふると小刻みに揺れる銃の照準は、目の前にいる2人の男女を確かに捉え続けていた。
だが、結局、ゲイリーは引金に手を掛けることしかできなかったのだ。
「……畜生! ……畜生!」
ゲイリーの無精髭だらけの頬に、知らぬ間に涙がにじんだ。その雫は顎を伝って、床へとこぼれ落ちる。
そして、彼は、その場に崩れ落ちた。時を同じくして、近隣の住人が呼んだのであろう、パトカーのサイレンの音が彼の耳に響いてくる。
ゲイリーは床に伏したまま、感慨もなくその音を聞いた。
彼の胸にこみ上げるのは、もはや、とめどない虚しさ以外の何ものでも無かった。
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