第21話 ドーナツを囓りながら聞く、君への意外すぎる疑惑
リェムは、ゲイリーを図書館近くのコーヒーショップに連れ出した。
ちょうど時間は昼時で、近くの商店やオフィスから昼食を求めに来た人で店はごった返していた。リェムはゲイリーはふたりきりで店に入り、混み合った店内でなんとか2人分の席を確保する。
リェムは注文を取りに来た、愛想のないウェイトレスにコーヒーとドーナツを注文すると、落ち着かない様子のゲイリーに向き直った。
「どうした、サンダース? ここの代金なら、俺の奢りだぞ」
「当たり前だ……。俺が気にしてるのはそんなことじゃない。大事な話がしたいんだろう? あんたは。それなのにこんな賑やかな場所で良いのか?」
そこまで話したとき、相変わらず、むっつりとしたウェイトレスがやってきて、テーブルの上に無造作に2人分のコーヒーとドーナツを置いていく。ピンクのチョコとココナッツがトッピングされた、いかにも甘ったるそうなドーナツにゲイリーは顔をしかめたが、リェムは顔をほころばせて、さっそくそれを囓り、満足げに頷く。
「うん、地球のドーナツは、やはり美味い。宇宙船のキッチンで、食事のおまけに作る代物とは大違いだ。そう思わんかね、サンダース」
「……俺はドーナツの話はしていないぞ」
ゲイリーはドーナツを恍惚の表情で頬張るリェムに半ば呆れながら、ブラックコーヒーをあおる。すると、ドーナツを囓り終えたリェムが、口をナプキンで拭いながら、にやり、と笑った。
「マンハッタンの地球政府軍支部にでも連れて行かれると思ったか? まぁ、それでもよかったんだが、生憎な、あそこに行って、万が一小蠅のようなマスコミに捕っては面倒くさいのでな、ここで失礼する。それに、こういう猥雑なところの方が重要な話には適しているものだ」
「あんたの宇宙軍の制服は、ここでは、だいぶん浮いてると思うが」
「まあな。だから、世間話のつもりでのんびり話す振りをしろ、サンダース。……では、聞かせて貰おうか。君がノヴァ・ゼナリャで見聞きした、「
リェムはさりげなさを装った口調で、ゲイリーにいきなり本題を切り出した。
……だが、薄い笑いを口元に浮かべてつつも、その目はもう笑ってはいなかった。
「……では君は、あのノヴァ・ゼナリャのドームの地下室で、「
「何度言ったら分かるんだ。本当にそれだけなんだ」
……空になったコーヒーカップを掌で転がしながらゲイリーは唸った。
既に、店に入ってから一時間半が経過している。コーヒーとドーナツだけで長時間粘るいけすけない客とばかりに、こちらを睨むウェイトレスの視線が痛い。だが、リェムは構う様子もなく、静かに鋭い眼光でゲイリーを問いただす。
「あのニーアというアンドロイドは、それに関して何も言及しなかったということも本当だな」
「そうだ。本当も何も、俺はニーアにその日記のことは話さなかったんだからな」
何度目かのそのやりとりの後、ようやくゲイリーの言を信じたらしいリェムは不意に黙りこくった。突然訪れた不自然な沈黙に、ゲイリーはかえって落ち着かないものを感じ、思わずリェムに苛々とした声を放った。
「何なんだよ、一体、あんたらは何に興味があるんだ」
「……大きな声を出すな、サンダース」
リェムが眉をしかめて囁く。
そして彼は、コーヒーショップの天井に視線を投げ、暫し何かを考え込んでいたが、おもむろにゲイリーに顔を近づけると、静かな声で呟いた。
「簡潔に言おう。我々はあのノヴァ・ゼナリャのアンドロイドに、ハックの疑惑を抱いている」
「……ハック?」
「そうだ。あらゆる電子書籍の元データを管理する、中央図書管理局へのハック疑惑だ。それも数百年にわたる」
ゲイリーは、突然飛び出したリェムの意外な台詞に、なんと答えれば良いか分からず、視線を宙に泳がせた。そのゲイリーの驚いた顔を見ながら、リェムは慎重に語を継ぐ。
「もっと詳細に言おうか。あのニーアやらは、この数百年の長きにわたり、特定の図書の電子書籍データを目標として、中央図書管理局のホストコンピュータをハックしてきたのではないかという疑惑だ」
ゲイリーは思わぬ話の展開に唖然とするばかりだ。そんなゲイリーを見やりながら、コーヒーショップの喧噪のなか、リェムは静かに語り続ける。
「ハックが発覚したのは十数年前のことだ。あるときの定期点検で、中央図書管理局のホストコンピュータに何者かの侵入が認められた。その侵入の履歴を辿ってみると、なんと400年近い昔から断続的にハックの痕跡が認められた。地球政府は慌ててそのハックに関して調査を始めた。なぜなら、ホストコンピュータに保存されている重大な公文書の内容が改ざんされては大事だからな。だが、調査の結果、その被害は皆無だった」
リェムはそこまで一気に語ると、冷めきったコーヒーを一気に啜る。そして一旦、息を吐き出し、次いで、一語一語を噛みしめるようにゲイリーに囁いた。ここが重要だ、と言わんばかりに。
「……しかしながら同時に奇妙な事も判明した。そのハックの内容というのがとても特殊なものだったのだよ。それは特定の図書……「
「「
……余りに思いがけない話の展開に、ゲイリーは思わず息をのんだ。
「ともあれ、政府としては、中央図書管理局へのハックという事実は放置はしていられぬ。極秘に、政府は躍起になってハックに関わっている電波の発信元を調べた。だが、それは、幾ら探査を重ねても、今のところ、私の管轄する第6星域からとしか特定できていなかった。……しかし、「
ゲイリーの、空のコーヒーカップを持つ手は、いつの間にか、小刻みに震えていた。賑やかな店内の物音が、何処か遠くの世界の出来事のように感じてならない。だが、リェムの語りはまだ終わらない。
「我々は何としてもこの謎を解かねばならない。本当に彼女が首謀者だとしたら、いったい何を狙ってのハックだったのかという真実を。……それが「
……そこまで話して、ようやくリェムは、長い語りを打ち切った。ふたりの間に沈黙の帳が降りる。
やがて、腑に落ちたとばかりに、ゲイリーが唸った。
「……だから軍はニーアを生け捕りせねばならなかったのか」
「そうだ。だが目算が狂い、未だにニーアは爆発に巻き込まれたまま行方不明だ。現在も捜索は進めれているが、生きているかどうかも分からん。困ったことだよ。私もこの件ではお偉方から相当お叱りを喰らってる」
リェムは苦々しげに笑い、どこか投げやりにそう言い放つ。その語尾に重なるように、そのとき、リェムの胸ポケットに入ったテレフォンから着信音が響いた。リェムは素早くモニターに目を通し、やれやれとばかりに首を振り、立ち上がった。
「……ちょうどそのお偉方からの呼び出しだ。今日のところは、ここまでにしておこう、サンダース。また連絡する」
その声に促されるように、ゲイリーも立ち上がる。頭がぼーっとしている。リェムの今日の話が一体なにを意味しているのか、圧倒的に咀嚼が足りない。ゲイリーは心中で独りごちた。
……ハック疑惑? ニーア、君は一体……? とりあえず、ひとりになって、よく考えねば……。
しかし、リェムが別れ際に放った言葉は、そんなゲイリーの思索に沈む胸中を吹き飛ばすものであった。
「そうだ、サンダース、聴取に応じた礼として、ひとつ良いことを教えてやる……いや、悪いニュースでもあるがな。君の大事な妻、サリーのことだ。君の身辺をマークするついでに、彼女のことも洗わさせて貰った。サリーはまだボストン市内にいる。君のよく知ってる男と一緒にな」
「なに……?」
ゲイリーの心臓の動悸が一挙に高まる。悪い予感に、背中から脂汗が噴き出す気配がする。
果たして、リェムの次の台詞は、ゲイリーのその予感を的中させるに十二分なものであった。
「サンダース、君には気の毒なことだが……その男とはスチュアート・タイラーだ」
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