第18話 街角にて胸をよぎる君の面影

 空が曙に染まる頃、ゲイリーはスチュアートと別れて、自分のアパートメントがあるニューヨークへと帰路につくことにした。


 スチュアートは、一睡もしていないゲイリーを気遣って、近所にある自分の家で寝て行けよ、と言葉を掛けてくれたが、ゲイリーはそれを断った。航海士時代から仲間内では一番の色男だったスチュアートの家には、いまもきっと女の気配があるのではと推測し、遠慮したのである。

 そのことをスチュアートに告げると、案の定、彼はそれに異議も唱えず、ただ、悪いな、と苦笑いしてゲイリーの肩を叩いた。そうして2人は夜が明けたばかりの街角で、別れることと相成った。


 スチュアートと別れてから、ゲイリーはニューヨーク便の時間を調べたが、何せ一日は始まったばかりで、それにはだいぶん時間がある。


 ……まあ、いい。急ぐ旅でもない。俺を待ってる奴なんぞ、いないしな。


 そう心の中で独りごちると、ゲイリーは自分が長らく暮らしたボストンの街を、ぐるりと一周してから帰ることに決めた。どこかしこに、サリーとの生活の痕跡が見え隠れするこの街の景色は、今の彼には心の奥底に、ずん、と重く響くものはあったが、こうなってしまえば、もう来ることもないだろう。


 宇宙を旅している時を除いて、新人航海士時代からの長い時間を過ごした、この思い出深い街を目に焼き付けて帰るのも悪くない。……ゲイリーは些かの感傷を込めつつ、そう考えたのだ。


 ゆっくりと彼はボストンの市街を歩いて回った。サリーと通った教会、サリーと過ごしたレストラン、サリーと買い物をした店……すべてが本当の夢のように遠い日になってしまったな、と彼は思いつつ目に留め、そのたびに自嘲の溜息を吐いた。


 やがてゲイリーの足は、市街のビルの隙間にある小さな公園に辿り着いた。なにやら大勢の人が集まっている光景に目を奪われ、彼は足を止めた。しばらく様子を窺っているうちに、彼は、この付近では頻繁に蚤の市が開かれていることを漸く思い出す。ゲイリーは何とはなしに、その人いきれの中に吸い込まれるように足を運び入れる。


 ……蚤の市というか、ガレージセールというべきか。

 その公園には、これでもかと言う数の露店が開かれており、その見物客で大きくもない公園は大賑わいだった。手作りの洋服や手芸品、不要になった衣服や玩具、なかには、どこで仕入れてきたのか分からないような古物や、怪しげな機械のジャンク品なども目に入る。のんびりと露店を冷やかしながら、ゲイリーは人混みの中を進んでいく。ふとそんな彼の足が止ったのは、今では珍しくなった紙の古書がうずたかく積まれたとある露店の前である。


 ……その瞬間、彼の心をよぎったのは、あの、ノヴァ・ゼナリャの森のなかで、ひとり本を朗読するニーアの面影に他ならなかった。


 床まで達する長い亜麻色の髪、紫の瞳の印象的な眼差し、バラ色の頬に散らばるそばかす、そして形の良いふっくらとした唇から流れ出るよく通る声。

 そして、紙の本の頁をゆっくりと捲り、一語一語を噛みしめるように読み上げる、その仕草。


 ゲイリーはその記憶に導かれるように、ふらふらと、その古書の山に近づいた。それまで、俯き半分眠っているようだった露店の老人がゲイリーの気配に顔を上げ、そして、にやり、と笑う。


「おお、お客さん、お目が高いね。今じゃこんな紙の本に寄ってくる輩は珍しい」

「……だろうな」


 ゲイリーは埃にまみれた古書の山を眺めながら答える。すると、老人はゲイリーが品物に興味があると見込んで、あれやこれやの本を手に取ると、一方的に解説を始めた。


「これは、100年ほど前のシリウス戦役の記録じゃ。そのころの兵士が戦場で綴った手記をもとに発刊されたものじゃよ。ああ、そっちは、140年ほど前のものかな、アルタイル星域で発刊された詩集じゃ。あとこれは……」


 ゲイリーは老人の頼んでもいない解説を、多少疎ましく思いながらも、適当に相槌を打ちながら、本の山を一瞥する。その彼の視線が、ふと、一冊の古書に止った。ゲイリーは、はっ、と息を飲んでその本を思わず手に取った。


「おや、お前さん、それはなかなか市場には回らない、貴重な本じゃよ。たしかそれは200年ほど前に発刊された研究書だ。人類の宇宙開拓史、それもかの有名な「偉大なる開拓者グレート・パイオニア号」の宇宙開拓についての論文じゃよ」

「「偉大なる開拓者グレート・パイオニア号」……」


 ゲイリーは手に取った古書の頁をそうっと捲る。

 知らぬ間に、その手は僅かに、震えていた。それを見て老人が慌ててゲイリーに唾を飛ばす。


「こら、それはとっておきの本なんじゃ! そんな危なかっしい手で頁を捲るでない! それは初版本なんじゃ。今では紙の書籍としては数冊世界に遺っているかという論文のな。しかもこれは中身が大変興味深いとのことで、出版当時は大いに研究者を騒がせたと言われている書じゃよ」

「興味深い……?」


 ゲイリーは怪訝な顔で、本の表紙を見つめ返し、だいぶん色あせた黒い文字を目で追う。

 そこにはこう記されていた。


『「偉大なる開拓者グレート・パイオニア号」の惑星ノヴァ・ゼナリャ開拓に関する一考察』


 ……ゲイリーは咄嗟に叫んだ。


「おい、爺さん、この本をくれ」


 すると老人は、わかりやすく目を輝かせ、次いで、薄い笑いをそのしわくちゃの口に浮かべ、ゲイリーに言う。


「……本気かね、安かないぞ、その本は」

「幾らだ?」

「……500ドルでどうかね?」

「……ぼったくりやがって、強欲爺……!」


 ……だが、結局、ゲイリーは財布から500ドルを捻りだした。この本はどうしても手に入れねば。ゲイリーの本能がそう囁いていた。これだけあればどれだけ酒が飲めるか、という考えが、ちらり、と脳裏に浮かんだが、それを無理矢理、理性で押し込んで。


 そして彼は、ニューヨークへの車中で、無我夢中になってその古書を貪り読んだ。


 ……その本の概要は、つまり、こんな内容であった。

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