第17話 俺が何したっていうんだ
ニューヨークのアパートメントに、その日は帰るのを諦めたゲイリーは、ボストン市内に戻り、安宿を探すことにした。
タクシーにもバスにも乗る気にならず、ゲイリーはとぼとぼと、郊外から市内へと続く道路を辿る。殆ど人気の無い夜道は、なんとも寂しい風景だったが、その日のゲイリーの心持ちには、それがかえって救いになった。
彼は道を歩きながら、落胆に沈む心中をなんとか慰めようと試みる。だが、妻がとっくに彼のことを見捨て去っていた事実は、ぽっかりと彼の心に風穴を穿ち、そこには冷たく黒い風が絶え間なく吹きすさんでいるのだ。
……サリー、こんな俺を見捨てたのは分かる。だが、だが、再婚とは、どういうことだ。俺とお前は、まだ法律上でも夫婦の筈だぞ……。
彼は去って行った妻の面影を追うように、ふらふらと夜の路傍をさまよい歩く。まるで、夢遊病者のようなのろのろとした足取りで。
それでもなんとかゲイリーは、日付が変わる前には、郊外から市街地に差し掛かかるエリアに辿り着くことができた。高く上った月が、おぼろげにゲイリーの不確かな足取りを照らす。
その瞬間。
……銃撃は唐突だった。
夜の街を白い閃光が切裂いたかと思うと、ゲイリーの足元のアスファルトを鋭く抉る。我に返ったゲイリーが慌てて街灯に照らされた足元を見てみれば、そこには、レーザー銃の銃痕が煙を上げていた。そして、驚いている暇も無く、第2の銃撃がゲイリーを襲う。
ゲイリーは自分が何者かの標的になってることに漸く気づき、反射的に身を倒した。しかし、また閃光が走り、道に倒れたゲイリーの頬を第3の銃撃が掠めていく。
「……うっ!」
微かに傷ついた頬から、僅かだが、血が噴き出す。
ゲイリーは傷口を押さえながら、なんとか半身を起こすと、這いずるように近くの路地に近づき、その仄暗い小径に身を転がり込ませた。その足元を、さらに立て続けに2発・3発と閃光が襲う。ゲイリーは路傍の水たまりに半ば身を浸しながら、身をかがめ、視線だけを銃撃が放たれた方向に投げた。相手はどうやら、通り向かいのビルの2階の一室から銃口をゲイリーに傾けているようである。だが、街灯と月明かりのみが照らす、夜の街のなかでは、その相手をこの距離から見極めるのは、不可能に近い。
「……畜生、何を俺がやったって言うんだ!」
ゲイリーは混乱しながらも、低くした姿勢は変えぬまま、路地の奥に身を這わせた。そして、びたりと身体をそそり立つアパートメントの壁に沿わせる。そして、暫くゲイリーはその場に息を潜め、様子を窺った。
……3分、4分と時間が経過する。ゲイリーの耳に、昂ぶった自分の心臓の鼓動が否が応無く響き渡る。
……それから数分、ゲイリーは息を殺して路地に潜んでいたが、通りからそれ以上の銃撃はなかった。
どうやら、相手は、ゲイリーが路地に逃げ込んだことで、これ以上の攻撃を諦めたようだ。ゲイリーはへなへなと、すえた匂いのする地面に転がり、息を深く吐いた。安堵の気持ちが心を満たすと同時に、危うく何者かに命を奪われるところだった現状を再認識した彼は、今更のように心からぞっとした。
……いったい、誰なんだ……俺を襲ったのは……?
彼は頬の傷口を掌で拭いながら、心の中で独りごちた、そのとき。
「ゲイリー、ゲイリーじゃないか?!」
路地の反対側から、自分の名前を呼ぶ黒い影が唐突に現われ、ゲイリーはそれこそ飛び上がらんばかりに驚いた。その人影は自分の名を再度呼びながら、ゆっくりと近づいてくる。ゲイリーは動くこともできず、ただその人影を凝視するばかりだ。だが、その声には聞き覚えがあった。もしかして……。そうゲイリーが思ったとき、唐突に大通りを横切った車のライトが、ぱあっ、とその横顔を照らし出し、ゲイリーは、あっ、と声を上げ、懐かしいかつての知己の名を叫んだ。
「……スチュアート・タイラーか?!」
「そうだよ。俺だよ、ゲイリー。……お前、こんなところで転がって……どうしたんだ?」
「……お前も苦労したんだな」
「まあな……」
数時間後、ゲイリーとスチュアートは、近くの薄汚れたバーの片隅でウイスキーを酌み交わしていた。ゲイリーは、件の麻薬密輸事件の冤罪から、アルコール依存症になりサナトリウム行きの船に乗ったこと、そして惑星ノヴァ・ゼナリャに不時着し、先日軍の計らいで地球に帰ってきたこと……それらのことを詳しくスチュアートに語った。
もっとも、ノヴァ・ゼナリャでのニーアとの出逢いや生活は、リェム少佐に他言無用と言われたこともあり、その部分は割愛したが。
「しかしなぁ。サリーがなあ……」
スチュアートが深い溜息を吐きつつ、呟いた。スチュアートはゲイリーの古い航海士仲間である。ゲイリーの結婚式にも出席しており、サリーのこともよく知っている。
「新婚当時のお前の惚気話ったら、それはそれは、面倒くさいものだったがねぇ……」
「……うるせえ」
スチュアートの同情とも嫌みともつかない台詞に、ゲイリーはウイスキーを煽りながら悪態をついた。それを見てスチュアートが苦笑する。
「いや、それはともかく、お前の今の境遇には、流石に同情するよ」
「そりゃ、ありがとよ」
ゲイリーは投げやりに呟く。だが、久々に本音を語ることのできる人間との飲みは、今の彼には、心に染み入るものがあった。
「それにしても、だ、ゲイリー」
「なんだ?」
スチュアートはグラスから口を離すと、酒場の喧噪の中、その声を心持ち小さくして、ゲイリーに尋ねる。
「お前、さっき銃撃されたって言っていただろう? それになにか心当たりはあるのか?」
「……全くない……」
ゲイリーは囁いた。……いや、全くない、というのは、齟齬があった。ひとつ考えられるとしたら、軍の存在である。ノヴァ・ゼナリャでの出来事を口止めするために、ゲイリーを消しにかかった、という可能性はある。
だが、それをするなら、ゲイリーをこうして野に放す前に、軍艦のなかで謀殺してしまえば済む話ではあり、あの如何にも機知に富んでいそうなリェムがこんなまどろっこしい手を取るとはゲイリーには考えにくかった。
「そうか。……まあ、なんにせよ、気をつけろよ、ゲイリー。麻薬密輸事件の真相も、まだ分かっていないんだ。見えざる敵がお前を狙っているとしても、おかしくはない」
スチュアートは眉を顰めながら、ゲイリーの目をまっすぐ見て言った。ゲイリーはその忠告に、無言で頷くしかなかった。
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