第3章 地球で掴む、真実への手がかり
第16話 自業自得と言われりゃそうだが、失意の帰還
飛行機の窓には果てなく続く雲海が映っている。ゲイリーは久方ぶりに目にする地球の空の光景を、ただ見つめていた。かといっても、さりとて、思った以上に感慨は胸にわかない。
……せっかく戻って来られたというのにな、と彼は心中で苦笑する。同時に、自分がどこか心ここにあらずなことにも、ゲイリーは気づく。そこでようやく、彼は今だ己の心が、あのノヴァ・ゼナリャの森のなかにあることを知り、ますますもって自分が可笑しくなる。
「俺から裏切っておいて、勝手なことだ」
ゲイリーは自嘲気味にひとり呟いて、あの、亜麻色の髪の少女の面影を、振り切るように機内の
……ゲイリーは、今回の攻撃の総司令であるリェム少佐と、軍艦内の狭い一室にて対峙していた。
聴取は数時間に及び、リェムは、ノヴァ・ゼナリャに不時着してからのゲイリーの日々について、事細かに彼に質してきたが、ゲイリーが答えられることは少なかった。
ゲイリーが答えられたことと言えば、遭難船の中での通信と同内容のことと、あとは、ニーアの400年来の仕事……書架の本を朗読して電子書籍に変換する作業の詳細に過ぎず、聴取を終えたリェムは明らかに不満そうな顔つきであった。
そして、そのままの表情で、話の最後に、ニーアの生死を問うたゲイリーに、リェムはこう告げた。
「……あのアンドロイド……君のいうニーアとやらは行方不明だ」
「行方不明……」
「そうだ。あの
リェムは腕組みしながら、身じろぎもせずゲイリーに語を継ぐ。
「彼女の生死がどうあれ、それが君の今後に関係があるかといったらどうだ? ないだろう?」
ゲイリーはことばに詰まった。彼は顔を引きつらせ、暫しの後、喉の奥から絞り出す様な声音で呟く。
「それは……確かにその通りだが……」
「そうだろう。だったら、ノヴァ・ゼナリャであったことは忘れろ、他言も無用だ。その方が今後の君の精神衛生上にもよかろう」
暫くの沈黙の後、ゲイリーは頷いた。その高圧的な言い方は気に食わなかったが、リェムの言うとおりだと思ったからだ。
……たしかにそうだ、地球に帰ってきてしまえば、俺の人生にノヴァ・ゼナリャでの日々は何の意味も無い……。
脳裏にそんな文句を思い浮かべるゲイリーに向かって、リェムが次に尋ねたのは、全く別のことだった。
「サンダース、君はこの船を下りたら、これからどうする」
「……ボストンにいるはずの妻に会いに行く……俺を待っているかどうか、自信は無いが」
「……そうか。なら、バンクーバー宇宙港までは送ろう。そこからは、好きにするといい」
そして、リェムは話し合いのめどはついたとばかりに立ち上がり、ゲイリーに目配せで部屋からの退出を促した。ゲイリーは無言のまま席を立ち、部屋を出て行こうとドアのノブに手を掛ける。
そのとき、ゲイリーの背に向かって、リェムが思い出したように、不意に問うた。
「最後に聞いておきたいのだが、ニーアは「
その言葉に、ゲイリーは思わず振り返り、リェムの顔を見た。同時に、あの地下室で見つけた謎の日記のことが胸をよぎる。だが、結局、彼はこうとだけ答えるに留めた。
「……どうも、何も。教科書で習ったことと、変わらない内容だった」
「……ふむ、そうか」
ゲイリーの答えに、リェムはきらり、と目を光らせる。だがそれも一瞬のことで、また、彼はそれ以上のことを何もゲイリーに質そうとはしなかった。
数時間後、ゲイリーはボストン郊外の古びた一軒家に辿り着いていた。久しぶりの我が家はどことなく煤けていたが、それでも、ゲイリーには懐かしい、妻と暮らした愛しい生活の空間であった。だが、何度チャイムを押しても、人の出てくる様子はない。ゲイリーは家の
ゲイリーは途方に暮れて、庭の縁石にぽつん、と腰掛けた。手入れの行き届いていない芝生が目につく。それを見て、ゲイリーは認めたくなかった事実を認識せざるを得なかった。
……妻のサリーは、もう、ここには居ない。
麻薬密輸事件で収監されて以来、どれだけ手紙を出しても返事がなかったわけだ。いや、一通だけは帰ってきたのだった。「そんな事件に関わるなんて、呆れた。もう家には帰ってこないで」とサリーの乱れた筆跡で書かれた、住所の記されていない手紙。釈放後もゲイリーはニューヨークの監視付のアパートメントでひとり暮らすことをを余儀なくされ、そのうち酒に溺れていったわけだが、それでも、ずっとこのボストンの家で暮らしているはずのサリーに向けて、手紙を出すことは止めなかった。
だが、結局、サリーはもう随分とまえに、この家を去っていたのだろう。ゲイリーの胸に、虚しさが満ちる。
わかっていたはずだった。だが、実際直面してみると、こんなにも、堪えるものとは。
「サンダースの旦那さんじゃないですか!」
……唐突に自分の名前を呼ばれ、ゲイリーはびくり、と顔を上げた。見ると、買い物帰りらしい、満杯のショッピングバッグを両手に提げた女性の姿が家の前にあった。その顔と甲高い声、派手な衣装が映えるふくよかな体型には見覚えがある。ここに住んでいた頃、よく通ったコーヒーショップのウェイトレスであるデイジーだった。ゲイリーは立ち上がって、彼女に駆け寄った。
「デイジー! 久しぶりだな、元気だったか?」
「旦那さんこそ! まったく店に来なくなっちゃったから、どうしたものかと、皆、噂してたのよ。だって、サリーったら……」
そこまで言ってゲイリーの目の色が変わったのを見て、デイジーははっ、と口をつぐんだ。しまった、とでもいうように。
だが、妻の名を聞いて、ゲイリーは瞬時にデイジーに聞き返させずにはいられなかった。
「妻の……サリーがどうしたのか?」
「それは……」
途端に口籠もるデイジーを見てゲイリーは、ごくりと唾を飲んだ。いやな予感がゲイリーの喉を這い上がる。だが、結局、ゲイリーは掠れる声で言いよどむデイジーにこう言った。聞きたくない言葉が降ってくるのを予感しながら。
「……デイジー、言いにくいことでも、話してくれないか。覚悟はできている」
すると、デイジーは、不承不承と言った口調で、こう答えた。ゲイリーの目から視線を外しつつ。
「……えっと、1年ほど前に、うちの店に来たのよ。……その、再婚するから、引っ越すって」
ゲイリーは天を仰いだ。
……やはりそうか、畜生……。
そう思いつつも膝から力が抜ける。ゲイリーは人目もはばからず、そのまま路傍に蹲った。鼻の奥がつんと痛んだかと思えば、知らず知らずのうちに、一筋の悔し涙が無精髭に覆われた頬を伝う。
傾き始めた太陽のひかりが、閑静な住宅地の舗装をオレンジ色に照らす時分になっていた。
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