第15話 焔のなかに消ゆ

 午後の生ぬるい風がノヴァ・ゼナリャの森をざわめかせ、ゲイリーの黒髪を揺らす。生い茂る緑を抜けてニーアの元に帰り着けば、彼女はガラスドームの書架にて、またなにかの本を朗読している。ゲイリーは彼女に声を掛けることもなく、足早に居室に足を向けた。彼はニーアにどんな顔を向ければ良いのか、判断がつかなかったのだ。だがニーアは手にした本から視線を動かさぬまま、ゲイリーに声を掛けた。


「どうだった、森の様子は?」

「……特に君に言うようなことは何もなかったよ」


 そう答えつつゲイリーは無表情を努めた、が、その表情を保つのには、彼は思った以上の緊張を要した。背中から汗が噴き出す。だが、ニーアは相も変わらずゲイリーには視線を向けぬままである。冗談交じりの口調で、こう質しはしたが。

「そういえば、最近、地下室にも行かないのね、ゲイリー? お酒にも飽きた?」


 ニーアのその声にゲイリーは無言で通した。心を黒ずんだ風が吹き抜ける感覚がよぎる。その彼の様子に、ニーアは一瞬、その整った顔立ちを怪訝そうな表情に揺らした。そして、黙りこくったまま、ガラスドームから去りゆくゲイリーの後ろ姿を見つめる。ニーアは、なにか言いたそうに僅かに唇を動かしたが、結局それは声にならず、宙に霧散した。その代わりに、彼女は深いため息をひとつつくと、作業机の前に座したまま、物憂げに頬杖をついた。

 空調の風がペらり、と、彼女の手元の本の頁を捲るのにも、気を留めず。


 ……その夜、ゲイリーは自室のベッドの上で、まんじりともせず過ごした。

 昼間の、宇宙船の中での交信のことを思い返しては、寝返りを打ち、自らの裏切りについて考えた。

 ……俺がやったことは情報提供に過ぎない。だが、名誉回復の条件を提示されたうえで提供したとしたら、それはやはり、ニーアへの裏切りということになるのだろう。

 ……だが、たいしたことは言っていない、ごく一般的なことしか、俺は言っていない……だから、あれは裏切りじゃない……だが、だが……。

 彼は寝転びながら頭を振る。目を瞑れば、交互に、ニーアの顔、そしてあの地球軍の若手将校の顔が脳裏に浮かぶ。


 ……俺は、ほんとうに、しょうがねぇ奴だな……。


 そう頭の中で反芻しながら、うつら、うつらとしかけた明け方、ゲイリーの耳に響いたのは宇宙船の轟音だった。しかも、前とは比べものにならないくらい大きい駆動音は……おそらくは、軍艦の。


「……来たのか……」


 独りごちたゲイリーが身を起こしたそのときだ、天窓が眩しいひかりと音に激しく揺れた。おそらくは、レーザー砲が森のどこかに命中したのだろう。ゲイリーは、揺れる建物のなかで頭を庇いつつ蹲った。


「初っ端から派手にやりやがる……あのリェム少佐とやらの仕業か?」

 暫くの後、揺れが収まると同時に、彼は建物の外に飛び出した。時刻は明け方、ノヴァ・ゼナリャの空は曙色に染まっている。そのなかをゆっくりと、一機の軍艦がレーザー砲を発しながら、徐々にガラスドームに接近するのを、ゲイリーは声もなく見つめた。


 そして、ゲイリーは息をのむ。

 ガラスドームの天頂で、軍艦を迎え撃つべく、漆黒の戦闘着スーツ姿で屹立するニーアが目に飛び込んできたのだ。

「ニーア!」

 ……ゲイリーは思わず彼女の名を叫んだ。



 軍艦からの砲撃は続く。レーザー砲のひかりは容赦なく炸裂し、ガラスドームを執拗に狙う。だが、ニーアにレーザー砲は当たらない。ニーアは、前の戦闘時と同じように、その長い髪を優雅に揺らしながら、ガラスドームのうえで跳躍を続けては対空砲で応戦する。


「……あの少女か、「偉大なる開拓者グレート・パイオニア号」の生き残り、というのは」

 リェムは艦橋のモニターのなかにニーアを見いだしつつ、呟いた。400年来の時を生きる、元人間のアンドロイド。リェムはその勇姿に見とれながらも、鋭く砲手長に指示を飛ばす。

「いいか、絶対に彼女に直撃させるなよ。生け捕るようにと地球のお偉い方からの命令だからな」

 それを聞いて、砲手長がリェムに苦言を申し立てる。

「司令、そう言いましても、あちらからも撃ってきますから、このままですと当艦も被弾しかねません……!」


 その声にリェムは唇に薄い笑いを浮かべた。

 ……よし、作戦通りだ。そろそろ頃合いだろう。

 リェムは頷くと、短くオペレーターに命じた。


「……奴らを出せ」



 ゲイリーは森の陰から、固唾をのんでニーアの戦闘を見守っていた。慌ただしく頭を回転させ、自分ができることは何かを考えもしたが、彼は先日と同じく彼女を、ただ見つめているしか術がない。すると、急に軍艦の砲撃がぴたり、と止った。釣られて動きを止めた彼女の亜麻色の長い髪を、どこか禍々しい朝の陽が照らす。


 ……すると軍艦のいくつかのハッチが、ゆっくりと開いた。そしてそこから、何人かの人間が空を切ってガラスドームの上に降下し、ニーアの周りを囲む。……いやあれは、あの余りにスムーズな降下の様子を見るに、人間ではなく……。


戦闘用アンドロイドバーサーカーか……?!」


 戦闘用アンドロイドバーサーカー。それは、戦闘のためだけに能力が特化された最新型のアンドロイドである。まずいな、とゲイリーは思った。彼らはニーアのように元人間でもない純粋な機械であり、よってニーアより知能は劣るであろうが、代わりに感情も持たず、ただ目の前の敵を倒すだけのためにプログラミングされた、いわば特殊兵器である。それら数体を相手に、果たして旧型のアンドロイドであるニーアが敵うだろうか。

 ……いや、無理だ。

 彼は思わず茂みから飛び出た。


「ニーア、逃げろ! 相手が悪い!」


 だが、時すでに遅く、そのときには5体の戦闘用アンドロイドバーサーカーがニーアを取り囲み、ガラスドームの天頂にてニーアは身動きを封じられていた。彼女はとりあえず高く上空に跳躍し、彼らから逃れようと試みる。だが、それを察知した戦闘用アンドロイドバーサーカーの一体が、ニーアよりさらに高く跳び、アクロバットの選手のように空中でくるりと体勢を整えると、銃口をニーアに向けた。閃光が空を、そして、ニーアの肩を直撃する。


「……あうっ!」


 ニーアの苦痛の叫びが聞こえた。致命傷にこそならなかったものの、肩を負傷したニーアは空中で大きくバランスを崩した。そこを下から他の戦闘用アンドロイドバーサーカーが攻撃を加える。ニーアは苦しげな表情で身体を捻り、銃撃から逃れようとしたが、全ては避けきれなかった。何本かの閃光がニーアの身体に刺さる。ニーアは思わず悲鳴を上げた。


「ああああっ!」


 悲鳴を上げながらニーアの身体がガラスドームの上に落下し、激しくバウンドする。やがて、ニーアの身体は力無くドームの頂きに横たわった。同時に、戦闘用アンドロイドバーサーカーたちの銃撃がピタリと止る。そして倒れたニーアを中心に、速やかに円陣を組む様子を見て、ゲイリーは悟った。


「……奴ら、ニーアを殺す気はないのか……生け捕るつもりか……?」


 そのとき、瀕死の状態かと思われたニーアが、ものすごい勢いで起き上がった。そして、目にも留まらぬ早さで背から槍を繰り出し、ぐるりと槍を一閃させるやいなや、円陣を組んでいた戦闘用アンドロイドバーサーカーたちの首を一気に刎ねてみせた。

 頭部をなくした戦闘用アンドロイドバーサーカーが、ぐらり、と傾き次々に横転する。そして、切断された5体の首の断面が一斉に火を噴き……。


 次の瞬間、轟音とともに、5体の戦闘用アンドロイドバーサーカーの残骸が同時に爆発した。

 途端に、ガラスドームの上に真っ黒い煙と深紅の火柱が立ち上る。あっという間にニーアの姿は炎に飲まれて、もはやゲイリーの目では捉えることはできない。


 ……だが、ゲイリーは我を忘れて叫んだ。声の限り。

「……ニーア! ニーア!」


「サンダース、これ以上ここに民間人が居ることは作戦に差し支える」

 ……どれほどの時が経ったか、気が付けば、叫ぶゲイリーの腕は、ばらばらと地表に降下してきた兵士たちに掴まれていた。

「さぁ、速やかに船に乗れ」

「ちょっと待ってくれ、俺はニーアがどうなったか……!」

 だが、抗うゲイリーに冷たく兵士は命じる。

「それはもう、君の知りうる範疇ではない。後は我々の仕事だ」


 ゲイリーは言葉を失う。そして、なんと言葉を継げばいいか分からぬまま、彼は燃えさかるガラスドームの天頂を力無く睨み付けた。あの紫色の瞳の眼差しを、その面影を、目前の炎の中に探し求めながら。

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