第14話 取引という名の裏切り

 地下室で謎の日記を見つけてから数日、ゲイリーは、些かぼんやりとした心持ちでニーアと過ごした。

 ニーアにはあの日記のことは告げなかった。告げてはいけないような気がしたのだ。また、同時に、地下室にもう一度行って、帳面をもう一回読み返す勇気も、ゲイリーには持てなかった。

 だが、変わらず微笑みを浮かべて書架の中に立ち、朗読をし、そして書架の説明を楽しげに続けるニーアの無邪気な顔を見ていると、あれはなにかの悪い冗談だったのではないかという気もしてくる。ゲイリーは密かに混乱していた。


 なので、その日、ゲイリーは、気分転換に森を一人歩きしてくることに決め、その旨をニーアに告げた。


「いいんじゃない、たまには。それに、この森に早く慣れるのはいいことかもね」


 ニーアはそう言い、ガラスドームからゲイリーを見送った。ゲイリーはほっ、として、森へと足を向ける。振り返ってみれば、ニーアがガラスドームの中でひらひらと手を振って居るのが見える。ゲイリーも大げさに大きく手を振ってみせる。すると、ニーアが吹き出すのが遠目に見えた。


 ……陽のひかりと、生暖かい風に揺れる森を歩くうち、ゲイリーの心は、確かに軽くなりつつあった。そのうち、ふとゲイリーは、この森に不時着した、自分の乗ってきた宇宙船シップはどうなっているか、と考えた。思えば、救難信号はいまも発信されたたままなのだろうか。

 ……ちょっと様子を見に行ってみるか。

 ゲイリーは軽い気持ちで、足を宇宙船が停泊している方向に向けた。

 そう、そのときは、軽い気持ちで。



 宇宙船は、鬱蒼とした森の木々をなぎ倒きつつ、森のなか、ぽっかり空いた空間に悠然と鎮座していた。


 ゲイリーが脱出時に開いたハッチは開きっぱなしであったので、そこから再び身を潜らせ、彼は宇宙船の中に滑りこんだ。

 宇宙船の内部、ことに廊下には、物品が散乱しており、ゲイリー以外の乗客と乗員が脱出したときの慌ただしい様子を伺い知ることが出来る。ゲイリーはそれを踏みつけながら、ゆっくりと船の最深部に侵入していった。

 ノヴァ・ゼナリャの生暖かい風に替わり、船に沈殿していた冷たく重い空気がゲイリーの身を包んでいく。陽のひかりはすでに届かず、彼は慎重に闇に沈んだ廊下の壁面を指で探りながら、歩いていった。もっとも航海士としての経験から、ゲイリーの頭はどんな型の宇宙船でもその構造は把握していたから、暗闇のなかでも彼は楽に歩くことができる。


 そして、闇の中を歩き出してからほどなくして、ゲイリーの耳は微かな通信音を捉えた。小さな音であったが、ピ・ピピという微かな音とそれに混じった雑音が、宇宙船の一室から漏れ出していた。救難信号の音とはまた違う。ゲイリーは足を止め、その音が発せられている場所が何処かに意識を集中させる。

 ……間もなく、ゲイリーの耳は、その音の大元を突き止めた。


「通信室か……」

 ゲイリーはそう独りごちると、迷わず、足をその音が漏れ聞こえる方向に身を翻し、再び暗闇の中を歩き始めた。


 ゲイリーの予想通り、通信室からその音は漏れていた。彼はその部屋の中にそっと入ると、置かれた機器類に目を走らす。すると、モニターの横の着信ランプが光っているのが、目に留まる。

「やはり着信音だったか……しかし、どこからだ?」

 ゲイリーはそう独りごちながら、モニターのパネルを操作した。いくつかのコードを入力し、電源の再起動を繰り返す。すると、モニターの赤いランプが点滅したと同時に、唐突に途切れ途切れの音声がスピーカーから流れ出た。


「……応答せよ、……応答せよ」

 暫しの躊躇いのあと、その声に応じて、ゲイリーはマイクに口を近づけ、語を放った。

「こちら遭難船、現在、惑星ノヴァ・ゼナリャに不時着している。聞こえるか?」

 すると、スピーカーの向こうが途端にざわつく気配がして、そしてほどなく返答があった。

「聞こえている。こちらは、地球政府軍第6星域部隊だ。貴殿の名は?」

「ゲイリー・サンダース。この船の乗客だ」

「よし、サンダース。暫くそのままで待っていてくれ」

 そうして、スピーカーからの音声は一旦、ぷつり、と途絶えた。

 ……なんなんだ、何を勿体ぶりやがっている、とゲイリーは思わず心の中で悪態をついた。



 通信が再開したのは、それから15分ほど後のことだった。急にモニターが光が満ちたかと思うと、画面に地球政府軍の制服を着た、栗色の髪の若手将校の姿が映った。彼は、モニター越しにゲイリーに名乗る。


「ゲイリー・サンダース、私は第6星域軍のレフ・リェム少佐だ。君の乗っていた遭難船捜索の責任者である」

「それはそれは、ご苦労さまで……」

 ゲイリーは、待たされた挙句、唐突に始まった通信に、やや皮肉めいた口調で応じた。それにリェムは僅かに眉を顰めたが、彼はそこには何も言及せず、そのかわり、いきなり話を本題に振った。


「同時に、私は先日、君の今居る惑星ノヴァ・ゼナリャで発生した戦闘の指揮官でもある。我々は君の惑星にいるアンドロイドに、完膚なきまでに叩きのめされたわけだが、その一部始終を君は見ていたのか?」


 ゲイリーは急に話題がニーアのことに及び、思わず、虚を突かれたような顔つきになった。それをに見逃さずリェムは、ゆっくりと、だが有無を言わせぬ口調でゲイリーを画面越しに質す。


「あのアンドロイドは何者だ? あの美しい少女の姿をしたアンドロイドについて、君の知っていることを教えてほしい」

「それは……」

 ゲイリーはリェムの詰問に押され、なんと答えれば良いか分からず、語を濁す。だがリェムは、畳みかけるようにゲイリーに問いかける。

「何を躊躇している、サンダース。質問に答えろ。それとも何か、君はあのアンドロイドに対して、義理でもあるのか」

「まあな、助けられた身でもあるからな」


 そのゲイリーの言を聞くと、リェムは一瞬顔を和らげ、なるほど、といった表情になった。だが、それも数秒のことで、リェムはここぞとばかりに、静かに、だが威圧を持って声を放る。


「サンダース。君の身柄は既に把握している。君は重度のアルコール依存症で、サナトリウムに送られる途中に遭難してノヴァ・ゼナリャに辿りついたことも、それから、エリート航海士だった君の過去も」

「……だからなんだと言うんだ」


 ゲイリーは、急に話題が自らのことに及んだのが意外で、反射的にリェムを睨み付ける。するとリェムはこう問うた。


「君は過去の栄光を取り戻したいとは思わないかね」

「どういう意味だ……?」

「そのままの意味だよ、サンダース。要は、君が我々が欲する情報を提供してくれれば、君の過去の罪状は不問にし、航海士として名誉回復してもよい。またサナトリウム送りも取り消そう。つまり、私は君と取引をしたいのだよ」


 そこで漸くゲイリーはリェムの真意を理解した。次いで、自分に通信を送ってきたその理由も。

 ゲイリーの目が怪しく光った。


「……俺にニーアを裏切れと?」

「ニーアというのか、あのアンドロイドは。それは良い名前だ……それはともかく、裏切る、というと聞こえが悪いが、つまりはこれは、取引条件を整えたうえでの情報提供の要請に過ぎんよ、サンダース。だが、なかなか良い条件とは思わんかね」

「……俺がニーアについて知っていることなんぞ、たいしたことじゃねえぞ。……それでもいいのか?」

「その気になったか。サンダース。なら、取引成立だな。なら、そのニーアとやらについて知っていることを話してくれ」


 ……ゲイリーは沈黙した。しばらく、画面から漏れる電磁波によるノイズが通信室には響くのみであった。だが、数分後、結局、彼は口を開いた。そして、吐き出すようにリェムに向かって、一気に語を放った。


「彼女は500年前に地球を出立したした「偉大なる開拓者グレート・パイオニア号」の生き残りだ。名前は、ニーア・アンダーソン。元人間のアンドロイドだと聞いている。かなり旧式のアンドロイドだな……エネルギー源は蓄電式のバッテリーだと言っていたからな」

「……なるほどな。その他に彼女について知っていることは?」

「俺が知っているのはそのくらいだ……」


 ゲイリーは口を閉じた。それを見て、満足気にリェムが頷く。

「よし、ご苦労だった、サンダース。そのうち君を迎えに行く。それまで大人しくノヴァ・ゼナリャで待っていてくれ。約束は守るから、安心しているように……!」


 ……そこで映像と音声は途切れた。突然始まったリェム少佐との通信は、終わりも唐突だった。


 ゲイリーは暫く、暗く沈んだモニターを、ただじっと見つめるのみだった。そのモニターの同じ色の、なにか鉛のように重い塊が彼の胸に沈んでいる。彼はそれが、ニーアを裏切ってしまったことの後ろめたさであると意識はしていた。今更のように、彼女への罪悪感が喉元をせり上がってくる。


「……だが、もう遅い!」

 彼は、自らの逡巡に蹴りを付けるように、乱暴な口調で叫ぶ。

 ……無人の船の中にゲイリーの怒号が木霊する。彼自身に向けた怒りの声が。


 再びの暗闇の中、いまだ点滅を続ける赤いランプの光が、眉間に皺を寄せるゲイリーの横顔を、忙しく照らしていた。

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