第13話 地下室に転がるは謎の日記

 森の散策を終えて、ガラスドームに帰り着いたのは夕刻だった。夕暮れの紅いひかりが、ノヴァ・ゼナリャの空を覆う。その光景は地球によく似てはいたが、ニーアの置かれた境遇を知れば知るほどに、ゲイリーの目にはどこか禍々しく映る。


 夕闇迫る空の下で、ゲイリーはその日、ニーアに抱きかかえられ、空高くから見たノヴァ・ゼナリャの大地の光景を改めて思い出す。

 ……森を囲み、地の果てまで連なる、生きるもの全てを拒絶するような赤茶けた砂丘。ここ、ノヴァ・ゼナリャが、多くの人間を養うには適しないと開拓途中で放棄された星だということを、改めて認識させるような光景であった。

 そんな星にひとり、数百年と残されたニーア。彼女は「自分に森を残してくれた」という。だが、ゲイリーからすれば、ニーアの「愛した人」とやらは、彼女をこの森に「閉じ込めた」としか感じられないのが本音である。


 ……ニーア、君はまるで罪人のようじゃないか。どんな事情があろうと、何百年もの間、たったひとりで、この星に、この森に囚われているなんて。


 ゲイリーはガラスドームへの帰途の間、ニーアの背に向かって何度もそう呼びかけようとして、躊躇い、そして、結局のところそれを断念し口をつぐんだ。それは、自分が投げかけようとしている言葉が、ニーアにとっては、とてつもなく残酷この上ない現実であるとしたら、彼女をどれだけ傷つけてしまうだろう、という恐れからであった。また、それに加えて、自分がこの惑星ノヴァ・ゼナリャに、ひいてはニーアに、これ以上深入りしてしまうことに対する怖さもあった。


「ゲイリー、早くなかに入らないと、冷えるわよ」


 ……ゲイリーはガラスドームの入り口から呼びかけるニーアの声に、我に返った。彼は頭を振り、めくるめく連鎖する思考を断ち切ろうとした。だがそうしても、もやもやとした思念は、ゲイリーの胸をいまだ覆って止まない。


「……ちょっと地下室に行ってくる」

「なあに、またお酒? ほどほどになさいよ、ゲイリー」

「ああ」


 彼はそれだけ言うと、ニーアに背を向け、地下室への途をたどる。酒が飲みたかったのもあるが、ひとまずは、ゲイリーはひとりになりたかったのだ。



 ゲイリーはひとり冷たい地下室の床のうえに転がっていた。いつものように、手近にあった真空パックに手を伸ばしてみたものの、今夜はあまり酒が進まなかった。

 ……俺にしては珍しいことだな、とゲイリーは苦笑する。酒以上に考えることがあるというのは、一体、何年ぶりのことだろうか。ゲイリーは考える。この星に不時着してからの、あれこれを。そして自分のこれからの、身の振り方をも。

 ……いったい、ニーアにどれだけ自分は関わって良いのか、そして自分はこの先どうすればよいのか。彼女が望むべく、ここの書架の番人として生を送る覚悟はまだつかない。だが、戻れる場所もないのが、今の彼の実情でもある。


 ……どうにも思考がまとまらないな。酒を今日はそんな飲んでもないのに。


 ゲイリーは薄闇の中でぐっと手を伸ばした。すると、彼の伸ばした指先が、ひやっとした冷たく分厚いなにかに触れた。食糧パックとは違うその感触に、ゲイリーは意外な思いで、それを引き寄せようとした。だがその物体は、思った以上にずっしりとして重く、指先だけの力では手元に寄せることができない。ゲイリーは訝しみながら、起き上がると、その物体の近くに身を寄せ、それが何かを確かめようとする。薄闇の中、ぼんやりとなにかの塊が目の前に浮かびあがる。

 ……目をこらしてみれば、果たして、ゲイリーが手にしていたのは、古ぼけた分厚い紙の帳面であった。


「紙の本……? 書架でもない、なぜここに?」


 ゲイリーは独りごちながら、頁を捲った。だいぶその紙は劣化が進んでいるものの、そっと捲れば大丈夫そうだ。その中にはぎっちりと手書きの文字が連なっているのが、薄闇の中でも分かる。ゲイリーは顔を書面にぐっと近づけて、その文字を読み取ろうと試みた。埃っぽい匂いが彼の鼻腔をまさぐる。やがて彼の目は、いくつかの数字を捉えた。


「西暦2654年3月8日……日付? とすると、これは日記か?」


 いまからおよそ400年前の日付が綴られたその帳面を捲りつつ、ゲイリーは呟く。400年前といえば、ちょうどニーア達を乗せた「偉大なる開拓者グレート・パイオニア号」がここノヴァ・ゼナリャに着陸し、開拓を試行錯誤している時期のことだ。ゲイリーの視線は帳面の文字に吸い込まれた。地下室の明るさは、帳面に綴られた文字を読むのにぎりぎりのものであったが、それでも彼はいくつかの文章を拾い読むことに成功した。彼は、ゆっくりとその文字を口にしてみる。


「西暦2655年4月24日……「偉大なる開拓者グレート・パイオニア号」の同志である我々の間に、深刻な亀裂が生じた。彼ら彼女らとの協議は決裂し、即日、交戦状態に入る……5月31日……戦局は我々に不利な状況に陥った……7月5日……ついに敵は我々の拠点に攻め込んだ……一方的な殺戮、虐殺が発生……7月8日……我々は全面的降伏を余儀なくされた……あの、裏切り者め……7月20日……粛清の嵐が始まる……」


 文面を読み進めるうちに、彼の声と手は震えた。


 ……なんだ? この日記は? 


 動揺するゲイリーの手から、ずるり、と帳面が滑り落ちた。ゲイリーの目に、帳面の裏面に記載された署名が飛び込んでくる。そこには「ジョン・アンダーソン」とあった。……どこかで聴いた名前だ、とゲイリーは記憶をまさぐる。……そうだ、ニーアだ、ニーアの名前も、たしか、「ニーア・アンダーソン」ではなかったか。すると、これはニーアの親族に当たる人物の日記であろうか?

 ……それは置いておいても、だ。


「亀裂、決裂、交戦、殺戮、虐殺、粛清……なんだ? この物騒な文字の羅列は? 俺が学校で教えられた開拓史には、こんな事は一言も書いてなかったぞ……!」


 ……そして、この星で、ニーアから教わった歴史にも……。


 ……そのことに考えが及んだとき、ゲイリーは、見てはいけない書物を手にしてしまったことに、遅まきながら気付き、慄然としたのだった。

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