第12話 ピクニックとやらは陽気にやるものだが
その翌朝、ゲイリーがガラスドームの書架に姿を現すのを見るや否や、ニーアは微笑んで彼にこう告げた。彼女の手には、地下室にあった固形食物が詰め込まれた、些か古風な蔓で編まれた籠が握られている。
「毎日、このなかで、ここの解説ばかりではつまらないでしょう。今日は外に行きましょう」
「ほう、ピクニックでもするのかね」
ニーアが手にした籠の中身に目を留めつつ、欠伸混じりにゲイリーは尋ねた。些か意外な思いであった。ゲイリーがここに来てから、彼女がこの住居の外に出ようと言ったことは無かった。かくいうゲイリー自身も、この森に興味はあれど、如何に地球と植生を似せているとはいえ、なにが生息しているか分からぬ外に、のこのこ出て行く気は持てなかったのだが。
「ピクニック……それは良い響きね。そういうことにしましょうか。ピクニックなんて何百年ぶりかしら」
その言葉にゲイリーは、ニーアが人知れずこの星で独り生きてきた年月の永さを、今更のように感じ取る。対してニーアは紫の瞳をきらり、と楽しげに光らせつつ籠の中身を確かめており、この数百年ぶりの出来事を心から楽しんでいるように見えた。
「酒はないんだな」
「ちょっとぐらい我慢なさいな、ゲイリー。あなたも懲りない人ね」
「……ほっとけ」
ゲイリーは嬉しそうに支度をするニーアを見つつ、憎まれ口を叩いた。だが、不思議と悪い気はしない。ニーアの表情がいつになく柔らかく、見た目にふさわしい年相応の笑みをその顔に浮かべていることに、この星に不時着してから感じたことのなかった穏やかな気持ちが生じている。
それは、その経緯と思惑はどうあれ、いま、自分はこの少女に、たしかに必要とされている、という実感から来るものと気づき、ゲイリーは、はっ、とする。なにしろ、何者かに陥れられたあの忌々しい事件以来、ゲイリーに寄せられるのは、軽蔑あるいは憐れみの眼差しのみであったのだから。
……俺は、こんなにも、人に必要とされることに飢えていたのか……。
ゲイリーはそう心中で反芻しつつ、ニーアの手元に手を差し伸べると、籠の柄をさりげなく掴んだ。
「あら、私が持つわよ」
「いや、こういうときは男が荷物を持つもんだ」
そしてゲイリーは籠を手にぶら下げると、やや、おどけた口調でニーアに言った。
「さあ、行こうじゃないか。楽しいピクニックとやらに」
ニーアが、思わず、ふふっと声を上げて笑う。その笑顔の眩しさに、ゲイリーの心は、洗われる思いだった。
……久々に土を踏みしめて、眩しい緑のなかを歩くのは、やはり、心地が良いものだな。
木漏れ日の跳ねる森のなかを歩きながら、ゲイリーは思った。彼の数歩前を歩くニーアの足取りも、心なしか軽やかに見える。彼女は森を歩くのに邪魔になるからと、長い亜麻色の髪をいまは結い上げていた。結った髪の隙間から見えるニーアのうなじからは、そこはかとない色気が発せられており、ゲイリーの胸を思春期の少年のようにどぎまぎさせる。とはいえ、先日のあの強烈な蹴りを思い出すに、彼女に再び手を出す気には、さらさらならなかったが。
森は鬱蒼としていたが、地球でいう亜熱帯の植生によく似ており、ゲイリーには懐かしさを感じさせるものであった。また、森のなかには小道が整備されており、そこを辿る分には、歩くのにさほど困難も感じない。
「ニーア、この道は君がずっと整備してきたのかい」
「そうよ」
「何百年もか。それはなかなか、骨の折れる作業だっただろう」
「わけないわ。この森は私にとって世界そのものなんだから」
ニーアはゲイリーを振り返ると、笑いながら言った。やがて道は小さな川に差掛かる。
「この辺で休みましょうか」
ニーアはそう言うと、川辺の木の根元に座り込んだ。ゲイリーも足を止め、ニーアの隣に腰を下ろす。名も知らぬ鳥が頭上をさえずりながら、異星の青空を飛んで行くのを、ゲイリーは目を細めながら見つめた。一方ニーアといえば、いそいそと籠に詰めてきた食糧を地表に並べ始めている。
「食品、ずっと貯蔵してきた甲斐が有ったわ。こんな日が来るなんてね」
ニーアは嬉しげに呟きながら、固形食糧のパックのひとつをゲイリーに差し出した。袋を開けてみると、やや崩れかけたビスケットが中に詰まっている。ゲイリーはビスケットを頬張った。
「うん、ちょっと湿気てはいるが、美味い」
「それはなにより」
ニーアはにこにこと微笑みながら、ただ、ゲイリーを見つめている。
「ニーア、君は食べないのか?」
「私はいいの、私の身体のエネルギー源は、蓄電式のバッテリーだから」
「……そうか」
ゲイリーはそれを聴き、アンドロイドでもやはり彼女はかなり旧式のタイプなのだ、と知る。ゲイリーの知るアンドロイドは、体内発電してエネルギーを貯蔵するタイプが一般的だ。もっとも、元人間のアンドロイドは、彼の知る限りニーア以外には存在しない筈なので、簡単にその構造を比較しうることはできないのだろうが。
ゲイリーの生きる時代には、倫理上の観点から生身の人間を機械化して、アンドロイドに改造することは法で禁じられている。ゲイリーはビスケットを囓りながら思う。……そういう意味でも、ニーアはほんとうに宇宙でひとりぼっちなのだな、と。
「……残酷だな」
「え?」
「君をこんな境遇に追い込んだ奴らは、とてつもなく残酷だと言っているんだ」
生暖かい風がざわっ、と緑を揺らす。ゲイリーは手元にあった小石を掴むと、思いっきり川の中に投げ込んだ。水面が揺れ、微かな飛沫がふたりの頬を掠める。
「……私の愛した人を、余り悪く言わないで」
やがてニーアが小声で囁いた。その顔からは、先ほどの笑みは消え、紫の瞳には憂いの色が満ちている。
「それに、彼は、せめてもの慰めにと、私にこの森を残してくれたのだから」
「この森を?」
「そうよ」
ニーアはゲイリーの手を取って、すっくと立ち上がった。そして、つられて立ち上がる格好となったゲイリーを抱き寄せる。
「なっ……! ニーア……」
「ゲイリー、私にしっかりと捕まっていて」
そう言うとニーアは、地表を蹴った。抱き寄せたゲイリーとともに、ニーアの身体はぐんぐんと上昇する。ゲイリーは突然のことに声も上げられず、ただ、落下しないようにニーアのやわらかな身体にきつくしがみつくのみだ。そうしているうちに、ニーアの跳躍は木々の上を軽く越えた。
そこで、ゲイリーの目が捉えたのは、こんもりした森の全貌と……そしてそれを囲むように地平へと広がる、果てない赤茶けた砂漠だった。
「砂漠……?!」
「そうよ、この森は砂漠に囲まれているの。この惑星では、ここはちょっとしたオアシスに過ぎないわ、あとは死の大地」
風を切り、急降下しながら、ニーアはゲイリーの耳元でちいさく囁く。
「私は……この森のなかでしか、生きられないのよ。だから、この森は私の世界の全てなの」
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