第4話 欲望の赴くまま迷い込んだ先は

 少女の居室で看護を受けるようになり、体感では1週間ほどが経過していた。体感、というのは、天窓から注ぐ陽のひかりと闇の交差の中でゲイリーが感じとった時間であり、時計も置いていない部屋では、正式な日数は分かろう筈もないのだが。そもそもこの異星の自転・公転時間も分からぬ故、ゲイリーは時の経過を知るのに、己の身体の感覚に頼るしかなかった。


 少女は、彼に3度の食事を持ってくるとき、そして傷の包帯を交換するとき、と、「1日」に数度彼の元に現われる。そのたびに、彼は少女に、この星が何処の星域のなんという星であるのか、尋ねてみるのだが、彼女はその都度はぐらかすようにこう答える。

「それは……、おいおいの話にしましょう」

 そう少女は床まで届く亜麻色の髪を揺らしながら、ゲイリーの瞼にそっと指先を置き、僅かの圧を掛ける。そうされると、なぜだかわからぬまま、ゲイリーはなされるままに目を瞑り、やがて深い眠りに落ちてしまう。しばらくは、その繰り返しの「数日」であった。


 だが、次第に頭の傷も癒えてくると、ゲイリーの意識はいくぶん鋭さを取り戻し、また、それと同時に、暇を持て余すようになっていた。


 その緩慢な時間の只中で、ゲイリーは自らに問う。


 ……この傷が癒えたら、自分はどうなるのか。この星が有人惑星である以上、規模の大小はあれど、宇宙港くらいあるだろう。ならば、そこには、警備艇も立ち寄るだろうから、事故にて不時着した旨を告げて、地球に戻る手続きができればよいのだが。

 ……しかしそうはいかないだろう。ゲイリーはそもそも、辺境の星にあるサナトリウムでの療養を命じられた身だ。それは彼の身柄のデータに、深く刻み込まれてしまっている。となれば、地球に帰れることは、まずない。途切れた旅の続きを強いられるに違いない。


 ゲイリーは、それは嫌だった。まだ、地球で治療を受けていた時分、サナトリウムの実情の噂は嫌と言うほど耳に入ってきたものだ。そこは、サナトリウムとはいうものの、実際はあらゆる依存症の廃人が集められた、社会から隔離するための空間でしかなく、治療も十二分に受けられるか分からず、また、患者は暴力的な力によるヒエラルキーの中で生かされており、おのおのの頭領ボスの意のままに動かなければ、命さえ危うい。そしてそこに送られて行った人間で、社会にふたたび帰ってきた者はいない。つまりは、サナトリウムでの療養とは、そんな星に送られることなのだ、と。


 それを考えると、ゲイリーの胸中に、再び、やはり自分は、ここに不時着することもなく死んでしまった方が良かったという想いに苛まれる。


 そしてその現実から目を逸らそうとすればするほど、ゲイリーのよくない癖が、再び体内で蠢きはじめた。

 それまで頭の負傷で気が紛らさわれていた、アルコールへの飽くなき欲求が、再び、鎌首を持ち上げつつあったのである。


「……この家にも、酒のひとつやふたつ、置いてあるだろう」


 いつしか、そう考えるようになったゲイリーはある夜、その欲望のままに、ベッドから、そして部屋から、抜け出すことにした。幸いにもドアは施錠されていなかったので、彼は難なく、その身を外に滑り出した。


 廊下は暗闇に沈んでいた。照明ひとつ無い。


 ……あの少女はこんな妙な家で暮らしているのか。ゲイリーはそれを一瞬、不思議に思ったが、次の瞬間には、酒への執着心に気持ちは切り替わり、そんなことはどうでも良くなっていた。ゲイリーは手探りで、壁を伝いながら、暗闇の中をただただ、ひたすら、歩んだ。やがて、感覚にして、200メートルほど進んだであろうか。唐突に、ゲイリーの手は扉らしきものに触れた。

 ゲイリーの手は慎重にその扉をまさぐり、やがて、ドアノブのような突起に指先が届く。彼は、一瞬の躊躇いの後、ドアノブを思い切りよく引いた。


 途端に世界に光が満ちた。


 ……眩しさに目が慣れ、気が付けば、ゲイリーは煌々と灯が降り注ぐ、ガラスドームの中に立っていた。それは、広大なドームで……そして、その内部に所狭しとおびただしい数の棚がそびえ立っている。


「なんだ、この棚は……」

 ゲイリーは予測もしなかったその光景に、呆気にとられながらひしめき合う棚のひとつに近づき、その中身を見定めようと試みた。


「本棚……?」


 そう、目をこらしてみれば、その棚には何千、何万冊ともしれぬ本がぎゅうぎゅうと詰まっている。……それも、そのすべてが、古式ゆかしい紙の書籍である。そんな棚が、広大なガラスドームのなかに、見渡す限り、整然と並んでいる。その様子からは一体、全部でドーム内に何冊の本があるのか、見当すら付かない。


「……なんなんだ、ここは……!」

 ゲイリーは酒への渇望も忘れ、呆然と、本棚の谷間に立ち尽くした。視界を占める無数の本に圧倒されたまま、目を見開いて、立ちすくむことしかできない。


「見つけてしまったのね」


 気が付けば背後に少女が立っている。少女はすっ、と、ゲイリーの横に立つと、彼の顔を見ながら、静かにこう告げた。亜麻色の髪が音もなく床を跳ねる。

「ここは虚空の書架。古今東西の書物が集められた図書館」


「虚空の書架……?」


「そして私は、この書架の番人よ」

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