第2話 不時着するは緑の森
次にゲイリーが目を覚ましたのは、地球時間に換算して、それから45時間ほどが経過したあとのことだった。
ゲイリーは驚いた。自分が冷たい船室の床に転がりながらも、生きていることに。そして、船窓を覗いてみて、さらに驚いた。そこからは、草いきれが匂ってきそうな、鬱蒼とした森の光景を認めることができたからである。
「さては、自動着陸装置がまだ、生きていたのか……」
忌々しいことに、とゲイリーは心のなかで付け加えた。どうやら、あの爆発でも宇宙船のオートメーション・システムは、全部が吹き飛ばなかったらしく、暴走しつつも接近した着陸可能な惑星を感知し、そこに不時着したらしい。
「忌々しいな」
今度はゲイリーは口に出してはっきりとそう独りごちた。緑があるということは、酸素も十分で、生物も生存可能な惑星を感知して宇宙船は降りてくれたのだろうが、さりとてありがたいとは、全く、ゲイリーには思えなかった。
……やっと、死ねると思ったのに。
彼の胸に響くのは、そんな彼自身の空虚な声だ。何処ともしれぬ惑星に不時着してまで、生き延びたい命では、なかった。しかも、たったひとりで。食糧は宇宙船内に少しは残っているだろうが、それもいつか底をつくだろう。それにどんな生物が生息してる星なのかも、まったく分からない。結局のところ、このままでは、ゲイリーに待っているのは緩慢な死である。
ゲイリーは生きたいとは思っていなかったが、このまま不時着した宇宙船の中で、干からびて死んでいくのは、できれば回避したいと思った。ゲイリーはゆっくりと立ち上がり、船室のドアを開けた。そのとき頭に鋭い痛みが走って、そこに触れてみれば、赤黒い血がべったりと掌を染めるのを見て、はじめてゲイリーは頭部を怪我しているのに気が付く。歩く度にずきずきとその傷が痛むのを感じながらも、ゲイリーは緊急脱出用のハッチがある箇所へと歩を進めた。
誰もいない宇宙船の廊下は、薄暗く、壁を伝う手にはひんやりとした金属の触感が伝わってくる。そして、静寂。宇宙船内にはゲイリーのゆっくりとした足音のみが、かつん、かつん、と木霊するのみだ。そうこうするうちに、ゲイリーはようやくハッチの箇所まで辿り着いた。
着陸時の衝撃からであろう、ロックが外れていたハッチは、彼ひとりの力でも易々と開くことができた。重々しくスライドしたドアの向こうから、異星の風が一斉になだれこんでくる。ついで、陽の光も。ゲイリーは眩しさに思わず目を歪めつつ、躊躇うことなくハッチから延びたタラップへと足を移した。一歩、また一歩と異星の表面に足が近づき、やがてゲイリーの両足は地表に、静かに着地した。
周囲を見渡せば、そこは、窓から見たとおりの、鬱蒼とした森のなかであった。ただ、宇宙船が不時着したさいに、だいぶんその広い範囲の木々をなぎ倒してしまったらしく、そこはまるで、急ごしらえの広場のような、不自然にぽっかりと空いた空間になってはいたが。
……ここは、どこであろうか。
ゲイリーの脳内では船乗り時代の広範な宇宙の知識が知らず知らずのうちに展開していたが、そもそもここがどの星域に当たるか分からない時点で、探り当てようがない。地球とよく似た植生の惑星であるようだから、そのタイプの知りうるあらゆる星を反芻してみたが、ここがそのどこにあたるかという決定打も今のところ見いだせない。
異星の風が、ざわっ、と木々を揺らし、足下の草を、ゲイリーの黒い髪をなびかせる。生暖かいその風は、ゲイリーの地球への郷愁を一瞬掻き立てた。だが、次に感じたのは、酒が飲みたい、という欲求だった。ゲイリーは苦笑した。ここまで来ても、俺はまだ、酒に溺れたいのか……。そう自嘲するゲイリーの額を、頭部の傷から吹きだした血がたらりと垂れる。再び頭の傷が激しく疼き出した。
…・…どうやら、塞がっていた傷が、歩き回った衝動で開きやがったな……。
そう自覚する間もなく、ゲイリーはその傷の痛みから、思わず異星の草の上に蹲った。そしてそのまま、地表に彼の身体はどさり、と横転する。
……・いいぞ、と彼は再び遠ざかる意識の中で思った。……このまま失血死しちまえば、全て、問題なしだ。船乗りとしてはこんな名も知れぬ惑星の上ではなく、宇宙空間で死を迎えたかったところではあるが、文句は言うまい。そうこうしているうちに、ゲイリーの意識は混濁していく。やがて瞼が重くなって、自然と目が閉じていく。
……いいぞ、いいぞ。これでおさらばだ。
……と、完全に目を閉じ、意識が闇に沈む直前、彼は目の前に、亜麻色の髪をなびかせた美しい少女の姿を見た。
「……君は誰だ、俺を迎えに来た、天使とか云う奴か?」
すると少女はゆっくりと横に首を振った。
……それが、ゲイリーが己の意識で捉えることのできた、その時分の最後の光景であった。
いったい、いまの少女は? 死ぬ前の幻影ってやつか? ああ神よ、なら、どうせなら、俺には最期に思い出したい奴がいたんだぞ。こんな見知らぬ少女じゃなくて。まったく、最期まで意地悪しやがって。なあ、神様とやら……。
すべてが虚ろになっていく中、ゲイリーの頭の中にはそんな言葉が去来する。だがそれも僅かな瞬間のことであった。ゲイリーはゆっくりと、意識を手放した。がくり、と無精髭の目立つその顎が地に崩れる。
……だから、その顎に少女がそっと手を差し伸べた感触を、次いで、その手が彼の身体を静かに抱き上げた感覚を、ゲイリーはもはや感じ取りようがなかった。
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