虚空の書架
つるよしの
第1章 異星の森にて、暮らす君
第1話 死にたがりの酔いどれ
どうにも眠れぬ。
仄暗い
そこでゲイリーは今更のように気づく。
……そうだ、もう、だいぶん前に、酒瓶は没収されていたのだった。
どのくらい前と言えば、この宇宙を辿る旅の遥か昔にだ。ゲイリーは酒を巡る数度にわたる諍いの後、アルコール依存症と診断され、即日、病院にぶちこまれた。それ以来、彼に酒類は御法度であった。
……しかし、彼は酒を飲むことをやめられなかったのだ。症状が多少治まり外泊を許された日、彼は早々に、街の酒屋に立ち寄り、ウイスキーとスコッチの小瓶数本を購入した。そして、自室のアパートメントに戻るや否や、それを飲み干したのだった。久々の酒が喉を潤し、なんともいえない陽気な気分になるのは、いけないことと分かっていても心地よかった。彼は自分の心が欲するままに、酒を飲み、その結果、翌日様子を見に来たケースワーカーに、泥酔して部屋の床に転がっているところを発見されたのだ。
そしてまた病院に戻されたゲイリーは、暫くの治療の後、軽快して外泊を許されれば、また同じ事を繰り返し、やらかした。
……その結果としての今だ。ゲイリーは自嘲するように、薄い笑いを口に浮かべる。彼が陥った境遇は、遠い星のサナトリウムでの療養、という、いわば体の良い、社会からの追放であった。そして今、その星に向かう途中に彼はいる。
そんなことを、些か朦朧とした頭で思い出していたときだ。
がくん、と唐突に身体が、いや、宇宙船ごと、揺れた。その不自然な揺れに、ゲイリーの長年の船乗りとしての感覚が呼び起こされる。この揺れは……船のどこかが致命的に
「ゲイリー・サンダース、緊急事態だ。船内で火災が発生した。今から部屋のドアのロックを解除する、すぐ放送の先導に従って脱出艇に乗船してくれ」
「……俺はいい。総員退避のうえ、どうぞ、無事にこの船から脱出してくれ」
「馬鹿か、サンダース! 間もなくこの船は航行不能の状態に陥る。このまま残ったら、死ぬぞ!」
「構わんよ。……
そう言うと、ゲイリーはモニターのスイッチを静かに切った。途端にモニターは物言わぬ黒い画面に戻る。サイレンはいまだ執拗に船内に響いていたが、ゲイリーはそれをも無視して、再びベッドに横たわった。扉の向こう側から、救助艇へと駆けてゆく人々の叫び声と、慌ただしい足音が聞こえる。それはゲイリーの耳には些か煩わしく、彼は思わず呟いた。
「……ちょっと五月蝿いな。俺は静かに死んでいきたいんだ」
もともと、療養の命を告げられたとき、自分はもうどうなってもいい、というのがゲイリーの正直な心情であった。もうこのまま、死んでもかまわぬ、と。だから、ゲイリーにとってはこのアクシデントは、自らの生を閉じるこれとないチャンスでしかなかった。ゲイリーは目を閉じた。やがて、どれほどの時間が経過したのか。なにかのエンジン音が遠ざかっていく。どうやら、彼を除いた船員と乗客は脱出艇に乗り込んで、この船から離脱したらしい。
「ふん……、行ったか。それでいい」
ゲイリーは独りごちる。その声に重なるように、船内のどこかで激しく火の爆ぜる音がした。船底のエンジンがやられたな、と彼はその爆発音を他人事のように冷静に分析した。それを証明するように、船が激しく振動する。そして再度の爆発音。それは先ほどよりかなりゲイリーの船室に近い箇所で起こっているようだ。……そろそろ、俺も、やばいな。ゲイリーはそう思えど、その身は変わらずベッドの上に横たわったままだ。……これでいい、と彼は思った。自分の人生の最期がこんな形でも、別に構わぬ。彼はそう思った。
心残りを言うなら、上等のスコッチをもう一瓶くらい、飲んだくれてみたかったが。それと……。
そこまで考えたとき、
……これでいい。……これで。
意識を失ったゲイリーを乗せた宇宙船は、火を噴きながら、虚空を迷走していく。いつ果てるともしれぬ闇の中を。
……その航路の先に、やがて、ひとつの惑星が現われた。
その星の重力に捕らえられた船は、その惑星の表面に向かって、ゆっくりと、降下していった。
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