第141話 欲しかった言葉
「おにーちゃん、朝だよ!起きて!」
翌朝マリィさんが起こしに来てくれる。
「ん〜、マリィ……、もうちょっと……。」
「だーめ!今日はマリィと一緒に料理を習うんでしょ?それ持ってお外にピクニックに行こうって言ったのおにーちゃんでしょ!」
「んー、そうだった……。」
マリィさんがカーテンを開けて眩しい。
「んー、抱っこ……。」
半分寝ぼけたまま両手をのばす。
「ほーらー、はい。起き、て!起き、て!」
俺の腕を掴んで引っ張ったり戻したり、引っ張ったり戻したりを繰り返した後で、最後にはそのまま抱っこしてくれるマリィさん。
「もー、寝癖凄いし……。
シャワー浴びて目を覚ましたら?」
寝癖を直そうと撫でてくれるマリィさん。
「ん〜……そうする……。」
ふああぁ、と大あくびをする。
「着替え!出たとこに置いとくからね!」
「あんがと……。」
髪の毛を濡らさないようにしながら、息を止めつつ顔面から熱いシャワーを浴びて、マリィさんの用意してくれた服にモソモソと着替え、バスルームの前で待っていたユニフェイをともなって、腹を掻きながらのんびり食堂に行くと、既にみんな食事を始めていた。
俺、朝弱いんだよなあ……。
シャワーを浴びてもまだ少し眠くて、用意された朝食を目を閉じたまま咀嚼する。
「もー、服についてる!お兄ちゃん!」
「ん……。」
「しょうがないなー、もー。」
そう言いながら、俺の世話をしてくれる隣の席のマリィさん。なんならスプーンですくって食べさせて欲しい。世話好きなのは元からなんだな。まるで小さなお母さんだ。
目を閉じている俺の中では、完全に8歳のロリィちゃんにお世話をされている気分である。……そう、江野沢の見た目でも分かる通り、俺は幼気な見た目の女の子が大好きである。ロリ巨乳が俺のジャスティス。
もとのマリィさんも顔面はロリだし、巨乳通り越して爆乳だけど、背が高いのよな。
そこいくとロリィちゃんは完全なるロリであるからして。そういう女の子に、おはようからおやすみまで、色々世話されたい。
幼妻って素敵な響きだよね。
今は料理がヘタでも、いずれプロ並になることはわかっているし、一緒に暮らしたら俺の理想の生活がおくれそうだ。
時には、駄目だよ?と言ってくれ。
時には、私がいるでしょ?と言ってくれ。
時には、甘えていいよ?と言ってくれる。
そんなロリに、私はオギャりたい。
いや、ちょっと文学風な響きで言っても駄目だわ。変態だわ。それはわかってるわ。
けどぜったいロリィちゃんは、よしよしセッ●スしてくれる女の子だもん!
「ああ〜、マリィさんに、俺を妊娠して欲しい……。てかもう、俺を妊娠してんじゃね?
8歳のマリィさん最高過ぎる……。」
そんでママって呼びたい。
ロリコンとマザコンを併発している俺は、そんな心の声がポロリと漏れる。
「──いててて!痛い痛い痛い痛い!」
「マリィをはらませたいって、どういうつもりだテメエ。」
斜め向かいの席に座っていたエンリツィオが、ガッと立ち上がり、ベアクローで俺の顔面を、万力みたいに締め付けてくる。
「それも8歳のマリィを?
君……そういう趣味だったの?
ちょっと、引くよね……。」
アシルさんまでそんなことを言ってくる。
「そういう意味じゃありませんよ!」
「まあ、大人のマリィさんにそうしたいならわかるけど、8歳のマリィさんにそうしたいってのは、正直俺もわかんねえし引く。」
恭司までもがそう言ってくる。恭司はボインバインなオネーサマが好きだからな。
俺のロリ嗜好は理解出来んのだ。
くっ……俺は孤独だ。
マリィさんがエンリツィオに、お兄ちゃんをいじめないで!と抗議してくれ、それでようやくベアクローから開放された。
エンリツィオの手によってしっかり性欲が解消出来たのか、翌日にはマリィさんの発情期(?)はすっかりなりを潜めていた。
相変わらず記憶が戻る様子はなくて、だけどエンリツィオがもう一度、マリィさんの記憶を奪った悪魔に会いに行かれれば戻る筈だと言うので、特に心配もせず過ごしていた。
それにしても、俺の中のマリィさんのイメージって、エンリツィオのことが大好き過ぎて、常にアップアップしてる感じだったから、この状態はかなり予想外だった。
記憶をなくして魔物になってなお、俺を追いかけた江野沢みたく、マリィさんもそうなると思ってたのに。
幼くなったことで感情の制御が出来なくなって、それこそエンリツィオ沼で溺れて、大好き!アップアップ、大好き!アップアップって、両手をのばして溺れてる、ロリィちゃんというか、デフォルメキャラみたいなマリィさんを想像してたんだけど。
まったくもってエンリツィオに興味がない様子で、というかむしろ対応が普通だった。
その間、様子がおかしいのはむしろエンリツィオである。なんかもうひたすらマリィさんを構ってはイチャイチャしている。マリィさんを上機嫌にからかっては、嫌がられるのすら楽しそうにしていて、俺と恭司とアシルさんはそれをジト目で見ているという日常。
ピクニック用に俺が出した鞄に、上手にお弁当やブルーシートをしまえない、不器用なマリィさんをからかっては、
「もー、なに?」
プク顔でふくれるマリィさんに、
「悪リィ、冗談だ。」
と言って、エンリツィオは左の片膝を立てたまま、上半身を起こして、マリィさんの頭を抱き寄せ、オデコにオデコをくっつけた。
「なんか雰囲気ちげーな、いつもと。」
「そうだな。アニキがマリィさんに優しくすんなら、まあいいことなんじゃねえの。」
と恭司が言った。
「体に触れる行為にのぼせて、好き好き言ってるマリィさんに、もっと言って?とか言っちゃって、完全に甘えてるもんな。」
「──もっと言って?彼がそう言ったの?」
アシルさんが、なぜかギョッとしたように顔色を変えて俺に聞いてくる。
「はい。そうですね?それがなにか?」
「ハア……。マジか。面倒くさいことになんなきゃいいけど……。」
「なんでですか?」
「それ聞いて、君たち違和感ない?エンリツィオならそんな時、もっと言って?じゃなくて、もっと言えよ、だと思わない?」
「ああ、そう言われてみると……。」
「僕の知る限り、あいつがそんな言い方した相手なんて、一人だけだよ。」
「誰ですか?」
「──彼だよ。」
と、アシルさんは嫌そうに言った。
朝食を食べ終えた後で、俺と恭司とエンリツィオとマリィさんで、なんと約束通りピクニックに行った。というか、俺と約束していたマリィさんに、エンリツィオがついてきたかっこうだ。恭司はどうせ暇だからな、とオマケについて来た形だ。アシルさんは、組織と連絡を取る必要があるからと、ついて来なかったのだが、アシルさんがいればまだ普通の光景なのに、俺たちとエンリツィオがピクニックって。爽やかさのかけらもないわ。
借りた建物近くの森の、明るく開けたところで、異界の門で通販したブルーシートを出して広げ、その上で一緒に作ったサンドイッチのお弁当を食べつつ、マリィさんに花冠の作り方を教えてあげたりして遊んでやる。
エンリツィオは立てた膝に肘をついた状態で、それを遠目に眺めていた。
恭司が木の上にたくさんなっている、さくらんぼのような木の実を取ってやると、マリィさんは嬉しそうに大喜びした。俺が生活魔法で汚れを取ってみんなで食べる。
──あ、この実ウッマ!
さくらんぼみたいな見た目だけど、味はどちらかっていうとアメリカンチェリーだな。
俺アメリカンチェリー好きなんだよな〜。
トイレに行って戻って来ると、マリィさんが困ったような表情を浮かべていた。
「どうしたんだ?」
「お兄ちゃんがどいてくれない。」
エンリツィオはマリィさんの生足膝枕に、マリィさんの方を向いて頭を乗せながら、スヤスヤと寝息をたてていた。久々に見たな、この子どもみたいな無防備な寝顔。
「立てば起きるんじゃないか?」
「そうかな。お兄ちゃん引っ張って。」
「はいよ。」
俺はマリィさんを引っ張って、立ち上がらせようとしたけど、エンリツィオがそのままマリィさんの腰を両腕でガッチリホールドして、マリィさんは立ち上がることが出来なかった。こないだこれをされて、トイレ間に合わなくなりそうだったのか、なるほど。
「お兄ちゃん、おもーい!」
マリィさんがエンリツィオの頭を押しのけようとするも、まったく動かない。
「無意識でスゲエな……。」
「もー。足しびれちゃうよー。
動けないしつまんなーい!
お兄ちゃん寝てるし!」
「まあまあ……。俺が隣りで話し相手になるからさ。このままもう少し寝かせといてやってよ。マリィに甘えてるんだから。」
「ホント?ならもう少し我慢する。」
我慢ね……。
普段のマリィさんなら絶対出て来ない言葉だな。エンリツィオ第一主義だし。マリィさんがエンリツィオの頭を撫でている。
「マリィ……はさ、やっぱ一番上のお兄ちゃんが理想のタイプなのか?」
何を話していいかわからず、気になっていたことを聞いてみる。今のマリィさんは記憶がないけど、“運命の絆”は初めから相手を好きになる。だけど今のマリィさんには、どうにもその雰囲気がないのが気になったのだ。
「え?」
マリィさんはキョトンとして首を傾げた。
「うーん……。
お兄ちゃんはどっちもカッコいいけど、マリィの理想とは違うと思う。」
「俺もカッコいいの?」
「うん、カッコいいよ?」
マリィさんがニコニコしながらそう言ってくれる。無邪気な笑顔が、……かあいい。
「そ、そっか……。」
普通に嬉しい。あと恥ずかしい。
「でも、上のお兄ちゃんにして貰ったようなことを、俺とすんのは無理だろ?
その……、体を撫でられたり、唇にキスしたりとかさ。」
マリィさんは目線を空に向けるように上げて、ちょっと考えてから、
「うん……。なんか嫌かも。
なんでだろ?」
と言った。記憶なくしてても、やっぱりそこは無理なんだな。いや、マリィさんが嫌じゃないと言ったからって、しないけど。いや訂正、しないように気を付けるけど。
「けど、お兄ちゃんたちで駄目なら、マリィは相当理想が高いんだな。」
「んーとね。見た目は別に関係ないの。」
「そうなのか?」
「マリィ、欲張りだから。
──支配したいし、されたいの。
……だけど自由でもいたいし、自由でいて欲しいの。
だから、多分理想の人には巡り会えないと思う。そんな関係、絶対に無理だから。」
マリィさんが、小学生の頃の俺みたいなことを言い出すのでちょっと驚いた。
生まれる前の古いアニメ映画を、テレビで見た時、主人公が言ったセリフが妙に俺の心に刺さって、俺も同じことを思ったのだ。
もちろん、それを相手に求めるつもりはさらさらないんだけど、心のどっかにいつもそれがあるのだ。
「──その人を好きでいる為に、その人から自由でいたい。」と。
だけど人より深くつながっていたい。
俺もとことん業が深いと思う。
「一番上のお兄ちゃんなら、出来るんじゃないのか?ほら、変わってるし。」
というか、支配してそうだし。
「ええ?お兄ちゃんは、甘えん坊で、お人好しなくらい優しい、普通の人だよ?」
「そ……そうか?」
マリィさんの中のエンリツィオ像が、俺の中のエンリツィオと重ならず困惑する。
「うん。説明が足りないから勘違いさせるだけ。ストイック過ぎるから、相手に求めるハードルが高いっていう問題はあるけど、誰より自分が努力する人だと思う。
まあ、敵に回るなら容赦ないけど。」
やっぱ普通じゃねーじゃん。
「お兄ちゃんにだって優しいでしょ?」
まあ、マリィさんが絡まなければ、優しいのかな、と思うことは結構あるけどさ。
「でも、誰より強いじゃんか。なのにマリィはいっつも心配してたよな。だから特別に大好きなんだろうなって思ってたよ。」
「──お兄ちゃんは、私たちが思ってるよりも、ずっと弱い人で、だけどそれを乗り越える強さも同時に併せ持ってる人だから、心配にはなるけど、あんまり心配はしてない。
それに私がいなくても、生きていかれる人だから。そばにいたいと思わない。」
遠くを見るように言うマリィさんが、どこか大人びた口調と表情で、記憶をなくす前のマリィさんが戻ってきたのかと思わせる。
「そうなのか?なんか意外かも。」
「そう?」
「マリィはずっと、上のお兄ちゃんが大好きなんだと思ってたよ。
例えばある日突然貧乏になっても、笑ってどこまでもついて行きそうっていうかさ。
そんで、あたしがいるからだいじょうぶだよ、って、言ってくれそうというか。
俺の中ではそういうイメージかな。」
一見セクシーで、クールビューティ。
あんまり笑わない、ミステリアスな人。
それでいて清楚で恥ずかしがり屋で、夜の営み時、生涯
時に情熱的で積極的で。
一途で誠実で面倒見がよくて。
何があっても最後まで味方でいてくれる、健気で献身的な人。
それが俺の中のマリィさんだ。
「明日アラスカ行くから、って突然言われたとしても、それはついて行くと思う。
私のことが必要な限り。」
なんでアラスカ?マリィさんから元の世界の地名が出て来て、ちょっとびっくりする。
あ、そっか、マリィさんも異世界転生者なんだっけ。現地人だとずっと思ってたから、急に言われるとなんだかびっくりするな。
「でもそれなのに、ずっと一緒にいたいと思わねえの?考えたことない?
ほら、お嫁さんになりたいとか。」
「考えたことない。
たぶん、結婚自体、誰ともしないかも。」
エンリツィオが寝返りをうって、マリィさんの膝枕の上から離れる。マリィさんはうっ血した足を、のばしたり縮めたりして、足の痺れを取ろうとしているようだった。
「ええ?そうなの?
マリィさ……、マリィなら、三つ指ついてお出迎えとか似合いそうなのに。」
「ミツユビ?」
「奥さんが旦那さんを、玄関でお迎えする時にやるんだよ。」
俺は日本の古き良き伝統を教える。
「ふーん。
お兄ちゃんされたいの?」
「まあ……そうだなあ……。
三つ指ついてお出迎えと、料理してるところを後ろからと、膝枕は憧れかもしれん。」
「やってあげようか?どうやるの?」
「ん?えっと、こうやって、玄関に正座してさ……。」
俺はマリィさんにやり方を示す。
「床に座るの?汚くない?」
「汚くないよ、掃除してるし。」
「ふーん、それで?」
「おかえりなさい、アナタ、って、笑顔でこう……。」
ああ、江野沢にして欲しかったなあ。
台所で裸エプロンもさせたかった。
「こう?
──おかえりなさい、アナタ。」
マリィさんが俺の前で三つ指ついて、ニッコリ微笑んでくれる。か、かあいい……。
「うんうん、それそれ、そんな感じ!」
やっぱり似合うなあ、マリィさん。
「──あ。」
マリィさんの声に顔を上げると、起き上がったエンリツィオが俺たちを見ていた。
かと思うと突然。
「──キャッ!?」
マリィさんをお姫様抱っこに抱き上げて、連れて行こうとする。
「なんだよ、いきなり。」
「──記憶戻ったんだろ。連れて行く。」
「は!?戻ってねえよ!」
「あん?」
「お兄ちゃん?」
不思議そうに自分を見上げるマリィさんを見て、はあーっと大きくため息をつくと、
「なんだよ、期待させんな。」
「何がだよ。」
どこをどう見てそう思ったんだ。
というか、記憶戻ったからって、どこに連れて行って何しようとしてた。マリィさんの性欲解消に付き合った時、記憶がなくなって幼女化したマリィさんを抱けなかったから、改めて抱こうとしてんじゃねえだろうな。
その時、エンリツィオに抱かれていたマリィさんが、急にブルッと体を震わせて、
「寒い……。」
とエンリツィオに身を寄せた。
「風が出てきたな。戻るか。
オマエ、それ片付けとけ。」
「ああ、マリィさんを頼んだ。」
マリィさんを抱きかかえて戻って行くエンリツィオ。俺がブルーシートや、サンドイッチを入れていた、木で編んだ弁当箱を鞄にしまって、恭司と共に戻ると、何やらアシルさんが青い顔をして廊下を走っていた。
「アシルさん、なんですか?それ。」
アシルさんが抱えている、何かの道具のようなものを、指差しながら尋ねる。
「マリィが酷く寒がるんだ。だから他の部屋から暖房器具を探していたんだよ。」
「え?めちゃくちゃ寒がる時期は過ぎたんだろ?また酷くなったのか?」
マリィさんの生理痛の話かと思った恭司が、のんびりと羽ばたきながらそう言う。
「……わからない。けど多分違うと思う。マリィの体が、とんでもなく冷たいんだよ。」
アシルさんはそう言って、心配そうに眉間にシワを寄せた。
俺と恭司はアシルさんについて、マリィさんが横になっている部屋に来た。紙のように白いって、こういうことを言うんだろうか。もともと白色人種で肌の白いマリィさんだけど、そんなの非じゃないくらいに顔色が悪かった。生理痛の時は常にうめいていたのに、静かに浅く呼吸を繰り返している。
「君のお母さんも、いつも後半こういう感じなの?」
アシルさんも生理痛だと思っているのか、生理激重の母親を持つ俺に尋ねてくる。
「いえ、内臓が剥がれる痛みに悲鳴上げてる感じなんで、こんな風に静かではないです。
多分、普通に具合悪いんだと思いますよ?お医者さん呼んだほうがよくないですか?」
「そっか……。そうだね、頼んで来るよ。」
アシルさんがそう言って、ペシルミィフィア王国の王宮にお医者さんを呼びに行き、ほどなくして黒髪のエルフのお医者さんと、金髪の薬師さんがやって来た。だけどしばらくマリィさんを診察してから、原因がわかりませんと首を振った。
「……どんどん体温が下がっています。
このまま死ぬ直前の状態に近いです。」
「そんな!どうにかなりませんか!?」
アシルさんが焦ったように、黒髪のエルフのお医者さんに詰め寄っている。
「熱もありませんし、虫にさされたようなあともありません。体に硬い部分もなく、本当に原因となるものがわからないのです。薬も原因がわからないまま下手に与えるのは、逆に悪化させる原因にもなりかねません。残念ですが諦めていただくしか……。」
さっきまで全然普通にしてたのに、なんだって突然そんなことになっているのか。
さっきまで楽しくピクニックをしていた俺と恭司は、それこそその言葉に愕然とした。
「何もしなくても死ぬのなら、それこそなんか与えてみりゃいいだろうが!」
「患者はそこまで苦しんでいません。
薬を与えて苦しませて死なせるのと、苦しまずに静かに死なせるのと、どちらがいいという話です。私は後者をおすすめします。」
申し訳なさそうにしながらも、お医者さんが冷静に、叫ぶ恭司にそう告げる。
「恭司!」
「おう!」
「召喚!フェニックス!!
──生命を司りし者の祝福!!」
俺が突き上げた拳の先端が光る。
光の中から召喚された恭司の体が、揺らめく黄色い炎の翼へと変わる。
恭司のフェニックスの力は、死んでいない限り回復させる、強大な力だ。
──だけど。
「な、なんで……。」
フェニックスの回復の力をもってしても、マリィさんの体は冷たくなる一方だった。
──暗闇だと思っていたのは、自分が目を閉じていたからだった。マリィさんはうっすらと目をあけ、光に目を慣らしていく。
マリィさんの魂は、悪魔キドゥトゥの前に、テーブルを挟んで座らされていた。
マリィさんを見てニヤニヤと笑っている、悪魔キドゥトゥ。
「やあ、美しい人。
君とこうして話すのは初めてだね。」
ゆらりと揺れる蝋燭の明かり。
赤黒い部屋の中、テーブルと椅子だけが真っ白く、黒檀のように光るピアノを、黒っぽい灰色でねじれた角のある別の悪魔が引いている。流れているのは何かのジャズだった。
マリィさんの両手両足は、茨が鎖のようにまとわりついて縛られていた。
「……誰?」
「君の想い人に力を貸した悪魔、とでも言っておこうか。」
「……彼に?そう。それはありがとう。」
悪魔キドゥトゥは、ハハハハハ、と笑ってから、マリィさんの目の奥を覗き込んだ。
「──君はもうすぐ死ぬ。」
マリィさんは悪魔キドゥトゥをじっと見据えた。
「動揺しないんだねえ。そんなところも彼ととてもよく似ているよ。……誰よりも彼に救われたいくせに、そう思う原因を彼に知られたくない。誰よりも完璧で美しい、彼にとって都合のいい部分だけを見せようとして、また自身もそうであろうとする。彼もまたそうであると、君も気が付いているんだろう?」
マリィさんは悪魔キドゥトゥを見つめたまま答えなかった。
「結ばれたとしても決して幸せにはなれず、彼を傷付けることが分かっているから、一周回って感情を昇華させた努力は賞賛に値するよ。だが、彼は別の人間に救いを求めた。
相手もそれが出来る人間だった。君には決して出来ないことだと分かっていた君は、自分の中に面白いものを生み出した。」
「……私になんの用?」
「──もうすぐ彼がここに来る。」
「彼に何かするつもり!?」
マリィさんがテーブルを蹴り上げ、悪魔キドゥトゥの視界から自分を隠した一瞬で、悪魔キドゥトゥの頭上を飛び越え、手を拘束した茨を腕ごと悪魔キドゥトゥの首に引っ掛け、後ろから引っ張って、逆にそれを悪魔キドゥトゥの首を締め上げる武器へと変えた。
「動かないで。このまま首をしめるわよ?」
「さすがだねえ。」
悪魔キドゥトゥはまるで苦しさなど感じていないかのように、パチパチと手を叩いた。
「何も君と彼になにかしようってわけじゃない。むしろ助けてあげようというのさ。」
「──助ける?」
悪魔キドゥトゥがパチンと指を鳴らすと、マリィさんの茨の拘束は砂になって解けた。
「あっ!?」
マリィさんの体は宙に浮き、再び椅子に座らされる。
「ここにカードが一枚ある。
君の心を映し出すカードだ。」
悪魔キドゥトゥは、伏せられたカードをマリィさんの前にスッと差し出した。
「君が彼に対して最も望むもの。
──彼の心。
彼から欲しい言葉がここにある。」
マリィさんは瞬きもせずに、カードをじっと見つめた。
「その言葉を彼が当てることが出来たなら、君の記憶と魂を開放しよう。ああ、だが彼が心からその言葉を言わなくては駄目だ。
──悪魔が欲しいのは、人間の魂の叫びなのさ。
心からの彼の言葉。君も欲しいだろう?」
悪魔キドゥトゥは、ニヤリと口の端を釣り上げた。後ろでジャズピアノを演奏する悪魔は、楽しげに曲を転調した。
「もしもそれを彼が当てられないことで、彼が死んだり苦しめられたりするのなら、私はそんなもの、欲しくはないわ。」
「──それも君の心からの本音だね。
悪魔に嘘はつけない。
君たちは本当に面白い。だからこそ、チャンスを与えたくなるのだよ。どっちに転んでも私を退屈させないだろうからね。」
「……断る権利はないと言うわけね。」
「君の命を今奪うより、生きていてくれたほうが、ずっと面白いことになるから、私としては彼が賭けに勝つことを望んでいるよ。
彼の苦しむ姿は、我々にとって何よりのご馳走だからね。」
カタ……。カタカタカタ……。ガタッ、ガタガタガタガタ……!
「──なんだ?」
突然ブワッと、机と、キドゥトゥの座る椅子、マリィさんの座る椅子が宙に浮いた。
「……彼を苦しめる存在は、悪魔だろうと、神であろうと、──私が殺す。」
「サシュベリア!!
この女に力を貸したな!?
私の契約対象だぞ!?」
マリィさんの後ろに、スッと美しい女の悪魔が姿をあらわした。長いウェービーな青い髪に金色の目、褐色の肌をし、スレンダーだが豊満な体つきを、ノースリーブの豪華な刺繍の入った黒と灰色のドレスが包んでいる。
「あなたにとっては、人間が苦しむのがご馳走なんでしょう?
私にとってはあなたが苦しむのがご馳走なのよ。知っているでしょう?」
悪魔サシュベリアが嫣然と微笑む。
「この子の思念の力は凄いものだわ、思いの力で神が殺せるのなら、……きっと殺せる程にね。あなたの契約者はあの男でしょう?
なら私はこの子と契約させて貰うわ。
あなたの契約者を護るこの子とあなた。
どちらが勝つかしら?」
「……好きにするがいいさ。
だがこの賭けは私が先にしかけたものだ。
こればかりは、君と言えども
「いいわあ?見守っていてあげる。
これに打ち勝てたら、あなた、私と契約しなさい?彼を護れる力をあげるわよ?」
悪魔サシュベリアは、マリィさんの両目を後ろから両手で塞いで笑った。
──マリィさんの体は、俺たちが話している間にもどんどん冷たくなっていく。
フェニックスの力すら、マリィさんの状態を改善するには至らず、お医者さんと薬師さんたちはお城に帰って行った。
「ちょっと、君!?」
ドアのところまでお医者さんたちを見送っていた俺と恭司は、アシルさんの鋭い声に振り返る。するとベッドの脇のイスに腰掛けていたエンリツィオの体が、どんどん透けるように薄くなっていき、ついにはその姿を俺たちの前から消してしまったのだった。
「──やあ、久し振りだな。
それともさっきぶりか?
人間の世界の時間経過は、どうも分からんのでね。」
悪魔キドゥトゥがエンリツィオを見て笑っている。
「あれはお前の仕業か。」
「それは随分だな。生贄を無理やり連れて行くからだ。私はお前に救いの一手を与えてやろうというのに。」
「──なんだと?」
「彼女の記憶は魂と強く結びついている。
だから記憶がこちらにある限り、彼女の魂はこちらにあるも同然なのだよ。魂の半分抜けた空の体をそのままにしておけば、それは遅かれ早かれこうなったということさ。」
悪魔キドゥトゥはそう言って笑った。
「だから私と賭けをしないか?」
「……対価はなんだ。」
「以前も言った。私を楽しませておくれ。
お前はとても面白い。お前の苦しみもがく姿は、悪魔にとってなによりのご馳走なのだよ。愛する者をなくしたお前の絶望の悲しみが、私を引き寄せた程にな。」
「……それで?俺はどうすりゃいい。」
「今はまだ、お前からその女を奪うのはもったいない。お前を失った時の、その女の絶望が見たくなる程に、お前たちの魂はとてもよく似ている。その女を失いたくない程に、お前がその女を愛する前に、命を奪うには少々惜しいのだよ。」
悪魔キドゥトゥは伏せたカードをテーブルに置いてみせた。
「ここにこの女が、お前から欲しい言葉がつづってある。それを言ってやればいい。
──ただし心から、だ。この女の魂にそれが響かなければ、女は戻って来ない。
よく考えろ。この女がお前に何を望むのかを。ただそれだけのことだ。」
悪魔キドゥトゥがカードをひっくり返して見せようとした瞬間、エンリツィオの視界は真っ白になり、再び視界が戻った時には、まるでさっきからずっとそこに座っていたかのように、消える前の体勢で、俺とアシルさんの前に姿をあらわしたのだった。
「エンリツィオ!!」
「君!!今までどこに……!」
「──戻ったのか。」
エンリツィオはベッドで目を伏せるマリィさんを見つめた。
「俺に力を与えた悪魔に会っていた。
……俺がマリィの欲する言葉を言ってやりゃあ、マリィの記憶は開放されて、魂がこちらに戻ってくるんだとさ。そうすれば、マリィは元に戻ると言っていた。」
アシルさんはパアッと表情を明るくした。
「なんだ!それなら簡単じゃないか!
今すぐ──」
「──無理だ。」
「なんでさ!君だってその言葉が分かってるんだろう?だったらそれを言ってやるだけだよ?どうしてたったそれっぽっちのことが、あの子にしてやれないの!!」
「──奴は心から、と言った。
マリィにその言葉が響かなければ、マリィの記憶は開放されず、魂は戻って来ないと。
なら、言えるわけがねえ。
……気持ちのこもらない言葉に意味なんかねえ。そういうこった。」
アシルさんはエンリツィオを睨んだ。
「──マリィが死ぬんだよ!?」
「──分かってんだよ!!!」
エンリツィオが怒鳴りかえした。
「だが、言ってどうなる?そいつは嘘の言葉だ。マリィが俺から最も望む言葉は、アイツにとって一番の嘘だ。それは俺とマリィが心の底から分かってることだ。
……俺にその言葉を心から言ってやることなんて出来やしねえ。クソッタレ!!!」
エンリツィオがテーブルを蹴っ飛ばす。
派手な音を立てて、テーブルが部屋の端にすっ飛んでひっくり返った。
俺は思わずビクッとしたが、マリィさんは目を閉じたまま微動だにしなかった。
「……手を尽くせるだけ尽くすよ。
もう一度、医者を呼んでくる。」
そう言ってアシルさんは部屋から出て行った。程なくして医者がやってきて、アシルさんが何度も懇願したけれど、もう尽くせる手はないと言った。マリィさんの息が少しずつ弱っていき、そして、医者がマリィさんのまぶたを指でこじ開けて覗き込んだ。
「──ご臨終です。」
こっちでもそんな風に死を確認すんだな。
俺はぼんやりとした頭でそう考えていた。
医者が帰っていき、アシルさんは医者に頭を下げた。
「──お前ら出てけ。」
エンリツィオがこちらに背中を向けたままそう言った。
「けど……。」
「……2人っきりにしてやろうよ。」
アシルさんにそう言われて、腕を引かれるまま俺たちは部屋をあとにした。
「マリィ……。」
眠っているかのようなマリィさん。
エンリツィオはマリィさんの手を握った。
握り返されることのないその手は、しっかり掴んでいないと、すぐに何度でも手の中から滑り落ちそうになってしまう。
「……言えねえ。言えるわけがねえ。
なんでだ。なんで俺なんだ。オマエが俺なんか好きにならなけりゃ、オマエはもっと生きられて、幸せになれた筈なのに。」
願うようにマリィさんの手を握って頭を下げた、エンリツィオの手にしずくがたれた。
「……オマエに生きてて欲しかった。」
──マリィさんの目がうっすらと開く。
そして不思議そうに目だけを動かして周囲を見渡したあとで、そっと手をのばしてエンリツィオの頭を撫でた。
「どうしたの?」
と、愛おしげに微笑んで。
瞬間、世界が凍りつき、マリィさんは再び悪魔キドゥトゥの前に呼び出されていた。
「──あなた、勝ったのね。」
「こんな言葉を望むなんて、本当に面白い人だね、君は。」
蠱惑的に微笑む悪魔サシュベリアに、背中から首に腕を回されて抱きつかれながら、悪魔キドゥトゥがカードをめくって、ピッとそれをマリィさんに向けて飛ばす。
そこには一言。
【お前に生きてて欲しかった。】
と書かれていた。マリィさんはじっと悪魔キドゥトゥを見据える。
「君が死ななきゃ出てこない言葉だ。
──死を恐れないと?」
「……彼が私を愛することはなくとも、私が生きてることを望んでくれたら。
私の死を悲しんでくれたら。
失いたくないと思ってくれたら。
それはどんな愛の言葉より、私には本当のことに思えるから。
だから何より、この言葉が欲しかった。
それだけよ。」
「それで?あなたはどうしたい?」
悪魔サシュベリアが微笑む。
「──するわ。あなたと契約。
……それで彼を護れるのなら。」
「……交渉成立ね。」
悪魔キドゥトゥが右手の人差し指に中指を絡ませ、空を切るように2つの指を離すと、スッとマリィさんが悪魔の世界から消えた。
マリィさんの姿が消えたあと、悪魔キドゥトゥは悪魔サシュベリアに笑った。
「──君も相変わらず酷いな。
もう未来は決まっているのに。」
「あら。彼だけじゃなく、あの子の絶望も手に入るのよ?──転生するたびに、護る相手から愛されない絶望を繰り返して。
その記憶が魂に刻まれて生まれてきた体。
それでもなお、愛する存在を護ってきた、健気な“運命の絆”。どこまで抗い続けられるのか見ものでしょう?……なら、こうしない手はないんじゃなくて?」
「さすが、私のサシュベリアだ。」
そう言って、悪魔キドゥトゥは、悪魔サシュベリアを抱き寄せ、顔を近付けた。
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