第103話 一方的な戦い

「ついにお前をブッ倒せる日が来たぜ。

 人質がいるってことを忘れんなよ?

 既に3敗しちまったから、お前らの勝ちかもしれねえが、負けたヤツは全員、貴族や金持ちたちのところに送り込まれるんだ。

 お前が負ければ、お前が貴族の慰み者になるのは変わらねえのさ。」

 ゆらりとバトルフィールドに入った俺を、ランドルがニヤニヤしながら眺める。


「いいな?大人しく俺にやられてろ。

 俺に手も足も出せずに、手足を切り刻まれたお前を、芋虫のまま貴族のところに送り届けてやるぜ。

 お前にはその後、一生貴族のオモチャになる未来が待ってる。

 毎晩変態ジジイどもに可愛がられるのを楽しみにしとけよ。」

 ランドルが下卑た笑いを浮かべる。


 アンナ……。

 俺は振り返ってアンナを見上げた。

「まずは右腕からだ!!」

 真後ろからランドルが飛びかかって来る。俺は微動だにしなかった。

「匡宏さん!」

 アダムさんの叫び声が聞こえた。エンリツィオは腕組みしながら俺を見据えている。


「ゴヴァッ!?」

 俺の右腕が無意識にランドルの鼻先に裏拳を決めた。

「て、てめえ!

 大人しくしてろとあれほど……!」

 ランドルは手の甲で鼻をおさえて涙目になっている。


 俺の生まれついての特性。野生動物のように、風などの自然が発生させたのではない、不規則な異音に瞬間気付くこと。

 ボクサー並み、の判定を受けた動体視力。なおかつ猫のように、動くものを反射で追ってしまうので、近くでやたらと動くものがあると疲れてしまう。


 これらは日頃は、スロットの目押しか、誰よりも早く台所に出ることのある、嫌な黒いアレに気付いてしまうことくらいにしか発揮されないのだが。

(扇風機がビニール袋を揺らす音と、アレの動く音の違和感の違いを瞬時に聞き分け、俺が悲鳴を上げることで、見えなくてもみんながパニックになったことがある)


 こと喧嘩となると、素人相手ならほぼほぼ先制攻撃を食らわすことが出来る。

 裏拳は完全に反射だが。

 そして俺は頭に血がのぼると、攻撃することで自らの立場が不利になろうとも、“真っ直ぐ行ってぶっ飛ばす”しか考えられなくなってしまう不器用な男だ。


「あれ、完全に無意識でしたよね。」

「……匡宏さんの様子がおかしいです。」

 アダムさんとカールさんが心配そうに俺を見る。

「ぐっ!?」

 俺は振り返ると、片手で鼻をおさえて怯んでいるランドルの両手首を、それぞれ掴んで力を込める。


「やめさせろ、今すぐ。」

「はっ、誰がそんな頼み聞くと思ってんだ?ナメてんのか?」

 まだ余裕めかして胸くそ悪い笑いを浮かべているランドル。俺はギリギリと手首に込める力を強くした。


「……頼んでんじゃねえよ。

 ──命令してんだ、よ!!!」

「がああああ!」

 ランドルが思わず両手に持った剣を取り落とす。


「あ〜あ。匡宏をキレさせちまった。

 馬鹿だな、アイツ。」

 いつの間にか戻って来ていた恭司の呆れたような声が遠くに聞こえる。


 俺の78の握力で出来ること。

 リンゴを割れること。(コツがいる)

 掴んだ骨にヒビを入れられること。

 ──殴り続けると、鼻の骨くらいなら簡単に折れること。


 俺は中指を少し突きだすようにして、他の指で抑え込むようにして握ると、ひたすらにランドルの顔面を殴り続けた。

 特に誰かに習ったとかはない。この方が相手が痛いだろうと想像して殴った結果、実際ボコボコにしやすかったからだ。


 小さい頃は鍵っ子だったので、家の鍵を指の間に挟んで、突き出した状態で殴っていたが、鍵が曲がったら嫌だなと思ったのでやめたというのもある。


 よろけてしゃがみ込んだところを殴り続け、地面に背をつけたところに馬乗りになって更にボコボコにする。ランドルは鼻から血が吹き出し、顔面は既に血まみれだ。


「や……やべて……。」

 骨が折れた感触というのは、以外と鼻だと分からない。だがこの潰れ具合なら、恐らくもう折れているだろう。

「──じゃあ、あれをやめさせろよ。

 頼む相手は俺じゃねえだろ。」


 突如始まった一方的な残虐リアルファイトに、観客のボルテージが最高潮に達し、さっきまでヤラせろを連呼していた客たちが、一斉に殺せ!殺せ!と大合唱してくる。


 この世界に来てから、魔法でしか戦ってないだけで、元の世界での俺の武器は素手喧嘩ステゴロだ。

 あまり周囲と馴染めなかった俺に、舐めて絡んでくる奴らはそこそこいた。俺1人に多人数で来る奴らもたくさんいた。


 そんな時俺は、ターゲットを決めて、1人ずつ執拗にボコボコにしてやる。そうすると、最終的に立っているのは俺1人になる。

 男同士の戦いは、こいつ引かねえ、と思わせれば大体勝ちだ。戦意を喪失させさえすれば、その場では逆らって来なくなる。


 だが卑怯かつ自分の強さを勘違いし、何の根拠か分からねえが俺を見下してくる奴ほど、後で人を連れてくるのが鬱陶しいので、逆らう気がしないくらい痛めつけてやる必要がある。


 こいつはそのタイプだ。絡むとヤベエ人種だと思わない限り、今謝ってても後でまた来るクソ野郎だ。俺は既に戦意を喪失しているランドルを殴り続けた。


「ボ……ボス……助けて……。もうやめて下さい。俺、死んじまう。」

 俺は恭司ほど、悪い奴なら死んでもいいとは思っていない。

 だがこうなってしまうと、俺は自分でやめ時が分からなくなる。いつもそんな俺を止めるのは江野沢だった。


 俺に一切の物怖じをしない江野沢が、「もー、やり過ぎ!」と言いながら後ろから俺をはたいてくることで、まるでスイッチが切られたように、俺の攻撃性はナリを潜める。

 叱ってくれて。背中を押してくれて。無条件に味方でいてくれる。そんな江野沢に甘えてると言われたらそれまでだけど。


 この世界に俺を呼んだ奴らが、唯一それを後悔するとしたら、俺から江野沢というストッパーを奪ったことが理由になるだろう。

 俺の姿に引いたボスが、アンナから手を離す。だが、俺の拳は止まらなかった。


「なんでもあり、なんだろ?

 負けた奴はどうされても文句言えねえんだろ?

 ──じゃあ、このまま死んでも文句はねえよな。

 てめえは俺たちを、変態のところに送り込もうとしてんだからな!!」

「た……すけ……。」


 ドンッ!!と後ろから急に何かにぶつかられて、思わず前のめりによろめいた俺は、後ろを振り返ってそいつを睨みつける。

 ──ユニフェイが、可愛い顔で俺を見上げていた。


「今飛び込んだ魔物は、匡宏選手の使い魔だそうです。ルール上、乱入しても問題ありませんが、何故か使役者に体当たりをした?

 ……一体どういうことでしょうか?」

「江野沢……。」


 俺はランドルの体からどくと、床にしゃがみ込んで江野沢を見つめた。落ち着こ?とでも言うかのように、体を擦り寄せてくる。

「ああ……そうだな。このへんにしとく。」

 俺は目を伏せて江野沢を抱き寄せると、オデコにオデコをつけて、穏やかな表情になった。


「ランドル動きません!

 戦意喪失で、匡宏選手の勝利です!!」

 失神したまま、血まみれのランドルが、担架に乗せて運ばれていく様を、途中から、殺せ!と叫んでいた観客たちが、大興奮で見送る。

「はっ。クソッタレ野郎どもが。」

 俺は頬についた血を袖で拭いながら、観客席に侮蔑の笑みを送った。


「アニキ、そういやさっき、ここに戻って来る途中、裏の通路でアシルさんを見たぜ。

 横にさっきと同じエンリツィオ一家の幹部がいた。──間違いねえよ。」

「……そうか。分かった。」

 恭司がエンリツィオの横でそう言う。最後の対戦相手は、やはりアシルさんということか。


 だが俺はそれを待つつもりはなかった。

「──空中浮遊。」

「な、なんだお前は!?」

 俺はルドマスに近寄って行く。アンナは無意識のまま、俺をその目に映さなかった。

 俺は拳を痛いくらい握った。


「じいちゃんが言ってたんだ。

 てめえにとって聞こえのいい言葉を言ってくる奴は、基本お前を騙して利用しようとしてると思え。

 お前にとって耳の痛いことを言ってくる奴ほど大事にしろって。

 そいつが生きてるってだけで泣きたくなるくらいただ幸せで、そいつが楽しそうにしてんの見んのが、ただ嬉しくてどうしょもなくて。

 ──そんなのが愛なんだよ。

 お前の為とか、心配だとか、全部てめえの為の聞こえのいい嘘と言い訳だろ。

 ……てめえの為になんかしなきゃ返せねえもんなら、──ハナから愛じゃねえよクソッタレ!!!!!」


 俺はルドマスに飛びかかると、馬乗りで殴りかかってボコボコにする。

「あーっと、場外乱闘、場外乱闘です!

 先程勝利したばかりの匡宏選手、出場選手ではないルドマス一家のボス、ルドマスを殴り付けています!

 このままでは反則負けの可能性がありますが、エンリツィオ一家は止める気配がまったくありませーん!」


 司会者の言葉が聞こえたが、俺は止まらなかった。

「開放しろ!アンナを!今すぐ!」

「ソ、ソドルフィー!虫を使うんだ!」

 ルドマスが合図をすると、奥の通路につながる場所に控えていた男が手をかざし、どこかから集まって来た羽を持つ虫たちが、一斉に俺に襲いかかる。


 だが俺はそれを、瞬時に火魔法で焼き尽くした。火の粉をまとって、虫たちが次々と地面に落ちる。それを見たソドルフィーは、アンナの体の中の虫を操りだした。

 アンナが両手で椅子を持ち上げると、俺にそのまま振り下ろそうとした。だがそれが直前でピタッと止まる。


「ぐっ!?

 バッジオ……、お前……!

 ボスを裏切る気か……!?」

 蟲使いのソドルフィーが、裸締めで男に首を決められている。それはチムチに初めて来た時、ランドルの横にいた男だった。

 アンナがハッとして俺に気付き、慌てて椅子を床に置く。


「アンナ……、俺にも優しい。

 ホントにいい子。

 アンナにそういうことする。

 ……いくらボスでも許さない。

 ──アンナ、俺が守る。」

「バッジオさん!!」

 アンナが涙目でバッジオを見つめる。


「くっ……!」

 ルドマスが壁に立てかけていたボウガンのような武器に手をのばそうと足掻く。

 ──奪う、奪う、奪う。

 ルドマスに触れた俺の右手が3回光る。

「う……動かないで下さい!」

 アンナがボウガンを取ると、父親に向けて構えた。


「……お母さんが死んで、お姉ちゃんがいなくなって、私にはもうお父さんしかいなかった。

 だから仲良くしたくて我慢してたの。

 だけどお父さんは違った。

 私を1人で育ててくれたのも、名前をつけてくれたのも、全部お母さん。お母さんは私のすべてだった。

 なのに突然目の前に現れて、お父さんは、自分のいいなりにならないお母さんを、私の目の前で殺した。

 そして、今日から私が代わりだと言った。

 私はお母さんじゃないのよ?お母さんの代わりなんて出来ない。」


「ア……、アンナ……、すまない、愛しているんだ。」

「──気安くその名を呼ばないで!!!」

 アンナは怒りに燃える瞳でルドマスを睨み、その目から大粒の涙をこぼした。

「死んで下さい、あなたはもう、私の父親なんかじゃない。」

「ア……、アンナ……。」


 アンナがボウガンの矢を発射する。だがそれより先に、どこかから飛んできた矢が、1本がアンナのボウガンの矢を弾き飛ばし、もう1本がルドマスの胸を貫通する。

 近距離で放ったボウガンの矢に追いつくなど、スキル持ちじゃないと出来ない。この矢を放ったのは、あの時ユニフェイを貫いた、アシルさんの部下なのか?


 一発で心臓を射抜かれたルドマスは、ゆっくりと命の灯火が消えていく。俺は蟲使いのソドルフィーに近付くと、その頭に右手で触れた。

 奪う、奪う、奪う。俺の右手が2回光る。


「──はい、これでアンタも、タダの人。

 バッジオさん、もう離してもいいですよ。

 コイツに虫を操る力はもうありません。

 アンナも、もうその武器をおろすんだ。

 君の手は、人殺しの為にあるんじゃない。

 ……そうだろう?」


「わ、私……、私……。」

 俺は力の抜けたアンナの手から、ボウガンを奪い取る。アンナの手は、まだボウガンを握っていた時の形で震えていた。

 俺は奪ったばかりの蟲使いのスキルで、アンナの体からチュラブルを取り出すと、回復魔法で傷を治した。


「バッジオさん、アンナを任せてもいいですか?

 コイツは俺が引き取ります。」

「わ、分かった。任せて。

 アンナ俺が守る。大丈夫。

 ……アンナ、よく頑張った。

 勇気出して気持ち言えた。

 もう怖くない。偉かった。」


 バッジオさんに背中を撫でられた途端、糸が切れたように、アンナはバッジオさんに縋り付いてワアワア泣いた。

 バッジオさんはそれを優しく慰めていた。


「え、ええと、今入った情報によりますと……。

 ルドマス一家のボス死亡により、ルドマス一家の5人目は棄権するとのことです。

 エンリツィオ一家の完全勝利です!!」


 高らかに俺たちの勝ちを宣言する司会者に会場がわくのを、俺は廊下の壁越しに聞いていた。歓声が遠く小さく聞こえる。

 ソドルフィーをアイテムボックスに入れ、立ち去ろうとすると、俺の前にライアーが立ちはだかった。


「俺はまだ負けてねえ。

 お前の姿は、俺がいただく。」

「しつっけんだよ、テメエ。」

 俺はライアーを睨んだ。

「抜かせ!!!」


 互いに隙を伺いながら、ジリジリと間合いを詰める。ライアーが俺に右手をのばす。左手には魔法禁止の魔道具を持っていた。魔道具が発動して光るのが見える。


「うば──!!」

「奪う、奪う、奪う。」

 俺とライアーが同時に互いの体に触れる。

 ライアーが俺の姿に変わり、ニヤリと笑った。だが次の瞬間、腹から口から血を吹き出した。


「姿が変わって運命のルーレットがどちらかを選ぶまでは数秒時間があった。死ぬまでの間にスキルを奪っちまえば、死ぬことはないと思っていたが……。

 まさか激運が先に奪えるとはな。

 今までのツケが回って来たんじゃねえか?

 残念だったな。」


 ライアーは膝から崩れ落ちながら、俺の姿から本来の姿へと戻ってゆく。

「は……。

 それがお前の本来の姿か。

 どうりでキレイな見た目にこだわるわけだ。」

 俺はライアーを見て、呆れたようにため息をつくと、その場から離れた。


 エンリツィオたちの元へと戻ると、会場はまだ興奮冷めやらぬといった状態だった。

「蟲使いを捕らえてきた。

 扱いを任せてもいいか?

 スキルはもう奪ってある。」

「いいだろう。

 こっちも、裏切り者が誰か分かったぜ。」

 エンリツィオがニヤリと笑った。


「さて、じゃあ、俺も俺の仕事をするか。」

 まだ妖精の姿のままのアスタロト王子は、そう言うと、レビテーションで宙に舞い上がった。

「お集まりの紳士諸君。

 俺がただ戦う為にここに来たと思うか?」

 ザワつく会場。


「ここは完全に包囲されてる。

 違法な競技に上限無視の賭博。拉致監禁。

 罪状はいくらでもあるぜ?

 大人しく捕まりな。抵抗するだけ、罪が重くなるぜ。

 大体お前らに俺をどうにか出来ると思ってんのか?お前らに俺はもったいねえよ。」


 アスタロト王子は、自分の体を欲しがる貴族たちに、見せつけるようにちょっと服をはだけてみせる。

 最初アスタロト王子の言葉にキョトンとしていた貴族たちは、一斉に脱〜げ!脱〜げ!とコールを始める。


「あ、もうちょっと見たい?

 どうしよっかなあ?」

 とニヤついて言いながら、アスタロト王子が脱ぎ始める。おいこら!

「あんまり犯罪者を挑発すんな、──あと人前で脱ぐな!女の子がいんだぞ!」


「お前がそう言うんならやめとくか。」

 アスタロト王子が、途中まで脱いでいた手を止める。

 俺が止めなきゃ、人前でフルチン見せつけんのが大好きな恭司と同じで、今頃全部脱いでんぞあいつ。


 恭司は特に女子がいると、わざと人前でそれをする。相手が反応すんのが面白くて仕方がないらしい。だから女子が引くんだが。


 急に脱ぎだしたアスタロト王子に、観客は王子の言葉などスッポリ抜けて大興奮で煽っていたが、俺が止めたことでブーイングが起きた。やかましい!変態ジジイども!


「余興はこんなもんだろ。

 ──確保。」

 アスタロト王子が手を上げた瞬間、地下闘技場の扉が一斉に開き、外から王宮の兵士たちがなだれ込んで来る。

 抵抗するなと言われて抵抗しない犯罪者はいない。みんな我先に押しのけて逃げようと、観客席は大パニックになった。


 アスタロト王子がゆっくりと空中から地上に降り立つ。

「さあ、アンナを迎えに行こうぜ。

 目的も果たした事だしな。」

「ああ。──裏切り者の始末をつけよう。」

 アスタロト王子の言葉に、エンリツィオが笑った。

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