第78話 王と王女の最後

 地上に落ちてなお、ドラゴンはヨロヨロと立ち上がり、高温のブレスを吐き出し、力強く尻尾を振り払いながら攻撃を続けた。

 死ぬまで戦うよう、王女に操られているのか。それとも、……あんな女であっても、身を挺して一人娘を守ろうとしているのか。

 ドラゴンは諦めることを知らずに、足で警備員たちと、救助を終えて集まって来た兵士たちを踏み付けようとし、何度となくブレスを放ち、近付くことすら難しかった。

「ブレスが途切れた瞬間を狙って!!」

 篠原の言葉に、ブレスを吐き終えた瞬間、ハーレム6人衆がドラゴンの口の中に魔法をぶちこむ。ドラゴンが悲鳴をあげてのけぞった。

 魔法使い組とともに、一斉に近接職組の警備員や、城の兵士たちが攻撃を開始したが、ドラゴンの硬い鱗に阻まれて、一切の刃先が通らず、刃物での攻撃はすべて弾かれた。


「なんつー硬さだよ……。」

 俺たちは嫌な汗をかいた。アシルさんはトドメと言ったけど、まだようやく地上に叩き落とせたと言うだけで、ちっとも弱っちゃなんかない。

 篠原が砕いた箇所以外では、鱗の剥がれた部分すらない。元は人だが伝説の魔物。とても簡単には倒させてくれそうになかった。

 篠原が砕いた部分だけは、血があふれて皮膚がむき出しではあるけど、巨大な体の上のほうにあって、とても近接職組ではそこに届かないのだ。

 魔法使い組の何人かが、むき出しのそこを攻撃した途端、ドラゴンはピエエエエ!!と鳴きながら、尻尾で周囲の人間たちを一度になぎ払った。

 近くで戦っていた近接職組が、地面や植木に吹っ飛んで激突して動かなくなった。動ける人たちが慌てて彼らの救助に向かう。


「ちょっとマズいね。」

 アシルさんは顎に手を当てて、思案しているような顔で言う。そうは言っても、表立って攻撃出来ないからこそ、俺たちは篠原たち魔族に頼んだわけなのだ。

 隠密は魔法を使うととけてしまう。だからこの場で戦線に加われるのは俺だけなわけだけど、あんな耐久力を誇るドラゴンを倒せる近接スキルなんて、正直俺も持っていない。

 魔法スキルばかりをメインに集めてきたから、魔法スキルのレベルは高くても、近接は補助的なものしかないのだ。

 かと言って、知能上昇を使ってレベル7以上の合成魔法を連発したところで、果たして口の中と篠原が傷付けた傷口以外で攻撃が通るのかも怪しかった。

 だってハーレム6人衆は、被弾時の反応を見る限りでは、おそらくそれ以上の魔法攻撃をしている筈なのだ。それなのに、傷付けたのは、篠原の自爆攻撃だけ。

「……せめて腹に近付ければね。

 近接職組の攻撃も、通るようになると思うんだけど。」

 そう言ったアシルさんの言葉に、

「──私、行くわ。」

 マリィさんは決意を秘めた表情でそう言うと、エンリツィオに、おろして?と言った。マリィさんは元々この城の職員だ。確かに戦列に加わったとしても不思議ではないけど。


 エンリツィオもさすがに心配したのか、素直にマリィさんを地面におろそうとはしなかったが、マリィさんは困ったような笑顔を浮かべて、あれを倒さないと、あなたが困るんでしょう?と言った。

 エンリツィオが止めたがる気持ちも分かった。だってマリィさんは、死すらいとわなく見える人なのだ。いくらでも無茶をしそうに見えるのだ。

 ──だってあなたが困るんでしょう?

 ただ、その一言の為に。

 それは有り難いと同時にとても重かった。男なら誰だって、自分の為に他人を死なせたくなんてない。

 ましてや気持ちに応えられないまでも、自分のことを好きだと分かっている相手に、自分の為に命をかけさせるなど。

 エンリツィオはしばらく思案していたが、──分かった、と言って、マリィさんを地面におろした。

「──久しぶりね、全力を出すの。」

 マリィさんはそう言うと、俺たちの目の前からふっと消えたかと思うと、次の瞬間、ドラゴンの鼻先を蹴り上げていた。


 ──これがマリィさんの、本気の神速!!

 あまりに一瞬過ぎて、ドラゴンはマリィさんの姿をとらえられていなかった。何がおきたのかも分からないまま、潰された鼻から血を吹き上げながら、ピギャァァァ!!と悲鳴をあげてのたうち回る。

 見えない敵を振り払おうと、尻尾をむやみやたらに振り回しはじめて、誰も近付くことが出来なくなる。

 ドラゴンの体の上で、何かが飛び跳ねている残像だけが見えたかと思うと、連続でガガガガガッとドラゴンの右眼に手刀と拳をくりだし、顔を蹴って飛び退き距離を取る。ドラゴンの右眼は完全に潰されていた。

 ドラゴンは右眼から血を流しながら、キョロキョロと敵の姿を探すも、鼻を先に潰されて、今また片眼を潰された状態では、マリィさんの姿をとらえることが出来ない。

 だから先に鼻だったのだ。匂いに気付かれない為に。マリィさんは死角になった右側に移動すると、マリィさんの細腕ではとうてい回りきらない、ドラゴンの右の前脚をガッシリと両腕で掴んだ。

「──ああああああ!!」

 マリィさんの雄叫びとともに、ドラゴンの右の前脚が持ち上がる。振り回すようにぶん投げると、ドラゴンは、ドシイン……という音とともに、その腹を横に向けてひっくり返った。


 篠原もハーレム6人衆も、マリィさんの動きをまともにとらえられていたか分からないが、視認したからこその表情なのか、何が起きたのか分からないからなのか、目を丸くして攻撃の手を止めていた。

 おそらく誰1人、その動きが見えていなかったであろう、警備員や兵士たちも、一瞬何が起きたのか分からない表情をしていたが、すぐさま鱗のない腹に向けて、一斉に攻撃を開始した。

 今まで刃先の通らなかった、警備員や兵士たちの武器が次々にドラゴンの腹に飲み込まれていく。ピギャアピギャア!!とドラゴンが悲鳴を上げて脚をよじる中、気付けばマリィさんは、軽く肩で息をしながら、いつの間にかこちらに戻って来ていた。

「──す、凄いね。

 なんでそこまでやれるのに、今まで僕たちの前でそれを見せて来なかったの?」

 とアシルさんがマリィさんに尋ねる。

「だって……。怖がると思って……。」

 マリィさんは困ったように柳眉を下げながら、チラリとエンリツィオを見る。表情こそ変えていなかったものの、エンリツィオは確かにちょっと引いていた。


 魔法スキルでそこまでの力があった、ってだけなら、別に引かないと思うけど、スキルの特性上仕方がないとはいえ、純粋な力勝負で負けるとなると、どこか男の沽券に関わる気がしてしまうのは、仕方がないと思えた。

 沽券に関わることは股間に関わる。おっかない女を抱きたがる男はあまりいない。俺だってハーレム6人衆は全員可愛いと思ってはいるけど、おっかないので勃つ気がしない。

 それでも、エンリツィオが困る、のキーワード1つで動いてしまうのが、マリィさんがマリィさんたる所以ではあるが。

 ビビられようが引かれようが、それが何よりの第一優先なのだから。

 エンリツィオと自宅のベッドの上で、マウント合戦をしていた時の、マリィさんの余裕の表情を思い出す。

 相手がエンリツィオじゃなく、単に同じくらいの力を持つだけの相手であれば、絶対負けなかったんだろうなあ……。

 まあ、自然界じゃ、メスの方がデカかったり強かったりすることも多いっていうから、これも自然なことなんだろう、ウン。

 そこに、こちらにゆっくりと向かってくる2つの背の高い人影と、その横に小さな影が動いているのが見えた。


 あれは……。

「──恭司!!」

 ドメール王子を支えながら、こちらに歩いてくるジルベスタの横で、羽ばたきながら同じ速度でこちらに向かって来ていていた恭司に、俺は思わず駆け寄った。

「──この子、ほんとにフェニックスだったのね。

 ドメール王子を助ける為に、召喚魔法で不死と再生を司るフェニックスを呼び出して治療しようとしたら、治療後にフェニックスからフクロウに変化してびっくりしたわ。

 そのまま元に戻しても良かったんだけど、この子が護衛してくれるというから、一緒に連れて来たの。」

 つまりだ。あの時、恭司の体が急に薄くなったのは、ジルベスタの召喚魔法に呼ばれたからだというわけだ。

 召喚魔法に呼ばれた魔物は、あんな風に体が消えるものだなんて、誰も知らない。だって神獣の棲みかなんて分からないから、目の前で見ることなどないのだから。

 伝説でしか聞いたことのない神獣が、普通街中をウロウロなんてしてないもんな。


 俺はこの世界で初めて、それを目の当たりにした人間ということになる。

 ジルベスタいわく、召喚魔法に呼び出されると、魔物は一時的に魔法の一部に取り込まれ、概念のような存在になるのだという。

 だから千里眼の検索にもヒットしなかったのだ。肉体が概念になっていたから。理由が分かって、俺はとりあえずホッとした。

 だが逆に言えば、俺が召喚士のスキルを手に入れたら、恭司の力を使えるということでもあり、同時に他の召喚士に、勝手に恭司が呼び出される可能性もあるわけだ。

 それを防ぐ方法はないのかと、ジルベスタに尋ねたが、ごめんなさい、分からないわ、と申し訳なさそうに謝られてしまった。

 ドメール王子も、俺も分からないな、すまん、と言ってきた。

 合成魔法の専門家であるジルベスタと、共同研究をしていたドメール王子は、この世界の魔法にかなり詳しい第一人者の1人だ。

 その2人が分からないのであれば、現時点でこの世でその方法について、知っている人間は、世界中を探してもいないのかも知れなかった。


 可能性があるとすれば、魔法研究棟の人たちであれば、すべての魔法を研究しているから、知っている可能性があるかも知れないけれど……とジルベスタが補足を加えてきた。

 けど、頻繁に呼び出されて迷惑するわけでもなければ、そこまでする必要はないと思えたので、別にいいよ、ありがと、と断った。

 その必要がある時に聞いてからでも、別に遅くはないし、ただの一回限りの魔法の為に呼び出されてるわけだから、その後ずっと使役されてるわけでもないわけだしな。

 それにしても、恭司は現時点で俺にテイムされている魔物だ。普通、テイマーにテイムされている状態の魔物を、他のテイマーがあとからテイムすることなど、かなわない。

 フェニックスが現時点で他にいなかったということかも知れないけど、それなのに、それを強制的に横から奪える召喚魔法は、なかなかに凄い干渉力だといえた。

 けど、医師のスキルがなくても、死にかけている人を、恭司の力で治せるというのが知れたのはデカかった。

 もちろんフェニックスの姿になっていたということだから、このフクロウの姿のままでは治せないわけだけど。


 ドラゴンはまだ途切れ途切れに短くブレスを吐いていたけど、かなり弱っていた。多分もう、ドラゴンではいられなくなるだろう。

「──俺も……、行ってくる。」

 俺がそう告げると、アシルさんが俺を見つめてコクリとうなずいてみせ、エンリツィオが、ああ、と俺を見据えながら言った。

 これは最初から、この世界の王族すべてを滅ぼそうとしている、エンリツィオ一家みんなの復讐に、俺も加わりたいのだと言い出した時に、──俺から2人と約束していた、俺の覚悟を示す、最後の役目だった。

 俺は隠密と消音行動と空間転移を使い、ドラゴンを攻撃している人たちの中に混じって静かにその時を待った。

 ドラゴンは一瞬大きく光ったかと思うと、その姿を保っていられなくなり、その身を縮めて、アプリティオの王様の姿へと戻った。

 ──俺はその喉元に刃を突き立てた。

 右目と鼻を潰されて、腹から背中から、大量の血を流していたアプリティオの王様は、ゴフッ!と口から血を吐いて、どこか分からない場所を左目で見つめながら絶命した。

 殺すなら、人間に戻ってからにすると決めて、それを2人に宣言していた。……ドラゴンのままじゃ、罪悪感が薄れるから。

 人の命を奪うのだと、復讐の為に王族の命を奪うというのはこういうことだと、俺自身に実感させる為に。


 ──加害者を許してやれって言葉は、被害者のみが言える言葉だ。自分の為に、自分をこれ以上苦しめて、犯罪被害にしばられないよう、自分に言い聞かせる為の言葉。

 本人以外は誰一人、それを口にする権利はない。言った時点でソイツは被害者に石を投げた加害者になる。

 だから、俺は被害者に何かを言うことは出来ない。やがて被害者が加害者へと変わった時、新たな悲しみの連鎖を生んでしまったことを、ただ、他の方法を選ぶ道がなかったことを悲しく思うだけ。

 命を奪うまでの復讐なんて、誰より被害者本人を苦しめる、くだらないことだと、ずっと思って生きてきた。

 殺すことで、被害者と加害者が、強い絆で結ばれて、それでも生涯忘れることの出来ない苦しみに、とらわれるだけだと思うから。

 生きて苦しめて、加害者が、どれだけ被害者が苦しんだのかを理解して、加害者たちに心からの後悔の涙を流させてこそ、初めて被害者は救われるものだと思ってた。


 けど、新たな被害者を生み続ける王族たちは、いったいそれを理解出来るまでに、どれだけの時間がかかるのだろう?

 ジルベスタやドメール王子が生まれる遥か昔から勇者召喚は続いていて、むしろもっと効率的に被害者を生み出す為に、大量勇者召喚の方法は生まれた。

 誰かが止めるまで終わらない。だったら、それをするべきで、止める為に復讐する権利があるのは、被害者の俺たちだけだ。

 勇者召喚の実態が、ただの金儲けの侵略戦争であることを国民が知ったら、反対する人も現れるかも知れない。

 けど、召喚されて来た勇者たちがどうなったのか、この世界の人たちは、考えようともしてこなかった。

 魔族の国に定期的に勇者が送り込まれて、それでもずっと魔王が倒されないのは、勇者たちが魔族にかなわなかったからだ。

 ──全員命を落としているからだ。


 ちょっと考えたら、そんなことはすぐに分かる筈で、だけど自国民の血が流れないことで、その被害に目をつむっている。

 魔王は倒さなくちゃならないものだから。

 ──ただ、その一言だけで。

 その時点でこの世界の人たちは、すべからく裁かれなくてはならない、王族たちと同じ罪を背負っているのだ。

 自分たちの代わりに血を流し、戦っている異世界人たちの死に、目を向けず当たり前のこととしていることで。

 俺たちはそれに反旗を翻した。これはその戦いの、始まりの第一歩に過ぎないのだ。勇者が自由を勝ち取る為の、復讐の物語の。

 光が消えてドラゴンの姿が消失したあと、その場に横たわるアプリティオの王様の亡骸に、警備員や兵士たちは、初めてそこで、自分たちが攻撃していたものが、なんであったのかを知った。

「……父上。」

 人々の間をかき分けながら、ドメール王子がアプリティオの王様に近付くと、義理の父親の苦悶を浮かべたまま開いたまぶたを、眉間にシワを寄せながら、そっと閉じた。

 

「ヤクリディア……。」

 ドメール王子が、地面に手をついてしゃがんでいる、ヤクリディア王女の前に、片膝をついてしゃがみ込む。

 ヤクリディア王女は、まだ往生際が悪く、ドメール王子に水魔法を放とうとし、その腕をドメール王子に掴まれ、水魔法はあさっての方向へと飛んでいって被弾した。

「俺を殺すのに失敗し、また、これだけの甚大な被害を国にもたらした。

 お前は必ず死刑だ。

 ……それは分かるな?」

 ヤクリディア王女が憎々しげにドメール王子を睨む。

「……国王は、その権限で、死刑囚をいつ殺すのか、決めることが出来る。

 裁判を待たずとも、死刑が確定の罪を背負った人間に対しても、その権限は発動する。

 俺は名前だけは国王代理だが、既に国王の身だ。裁判を待つはずの国王も死んだ。

 今この瞬間から、アプリティオの国王の座は、正式に俺のものとなった。」


 舌打ちしながら、ヤクリディア王女がそっぽを向いた。ドメール王子は、それを切なげに見ながら、

「お前には信じらんねえかも知れねえが、俺は俺なりに、妹のお前を──愛していたんだぜ?

 せめてもの情けだ。

 俺がお前の死刑を執行する。

 母親のいねえお前が可哀想だと、俺はちょっと、お前を甘やかし過ぎたみたいだ。

 育て方を間違っちまって、ごめんな。

 今度また、兄妹に生まれ変わることがあったら、……もう少し、懐いてくれや。」

「──なに、」

「──合成魔法、エアリアルバレット。」

 エアリアルスラッシュと合成されたアースバレットが、無数の弾丸となって、切り刻むようにヤクリディア王女の体を貫いた。

 ヤクリディア王女は体中から血を吹き出し、前のめりにグラリと倒れた。それを地面に付く前に、ドメール王子が抱きとめる。

「ヤクリディア……!!

 馬鹿な……馬鹿な女だ……!」

 ドメール王子は声を震わせながら、目に涙をためてヤクリディア王女の亡骸を強く抱き締めた。

 彼女は最後に何を言おうとしたのだろう。きっとまた何か暴言を吐くつもりだったのだろうけど、それを、妹を愛していたドメール王子が、聞かずに済んだことだけが、彼にとっての唯一の救いに思えた。

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