第70話 浮気ダメ、絶対
「オイ、アニキたちに声をかけなくていいのか?ジルベスタを助けに行くんだろ?」
恭司が慌てて俺について来ながらそう聞いてくる。
「……いや、無理だと思う。」
俺はそう言って、エンリツィオのいる上の階ではなく、下の階行きのエレベーターに乗った。
既に聞きたい情報を全部聞き出した、用済みのジルベスタを、果たしてエンリツィオが守ってくれるのか。
今だってジルベスタの隠れ家を、自主的にマリィさんが巡回をしてくれてはいるけど、エンリツィオが何か部下に指示をしたという話は聞かない。
用が済めばポイ。愛人でも何でもだ。その愛人にすら警護をつけていなかったエンリツィオが、今まで警護を付けて来なかったジルベスタを、守る気があるとは到底思えなかった。
俺や恭司には金を出してくれても、そういう事には人も金も使わない。ジルベスタやマリィさんに何かしてやるような奴なら、俺だって頼みに行きたいけど。
俺はホテルのエレベーターの中で、ジルベスタが言っていた、通信具の宝石部分を押してみた。それと同時に千里眼でジルベスタを検索する。
宝石部分にざっくりとしたこの国の地図が表示され、2度目に押すとそれが拡大されて表示される。地図の上の位置は、千里眼で検索した場所と大体同じだ。
ここから大分遠い。あの様子じゃかなり危険で、今すぐたどり着かなければ、殺されるか、さらわれるか、してしまうかも知れなかった。
ジルベスタは化粧師であると同時に、召喚魔法使いだ。高位の魔物を呼び出して使役出来るから、かなり強いし、簡単にはやられない。
夜寝てる時に襲われたらさすがに、とは本人も言っていたけれど、それがこんな明るい時間に?相手は果たして一体何人いるというのか。
なかなか捕まえられないジルベスタに、マガの王様が本腰を入れて刺客を放って来たのかも知れなかった。
「……俺、人が減るとこまで出たら、神速使ってみる。
ついて来れるか?恭司、ユニフェイ。」
「ああ、見失わねえようにするけど、大体の位置を教えといてくれ。
万が一ついて行けなそうなら、俺とユニフェイは後から追いかける。」
「……分かった。」
俺たちは人気がなくなり、神速を使ったとしても人にぶつからなそうなところまで走った。
俺は神速をコントロール出来ない。万が一ぶつかりでもしたら、相手も俺もぐしゃぐしゃに潰れてしまう可能性がある。
「……そろそろやってみる。」
「ああ。」
俺は神速を使って地面を蹴った。
──なんだこれ、目が……!!
目が開けていられない……!!
怖い怖い怖い怖い!!!
以前一瞬だけ使ってみた時と違い、ちゃんと神速を使うと、とんでもないスピードで動く俺の体に重圧と風圧がかかり、それがまともに目を刺激する。
まるで水平に移動しているのに、重力がおかしくなって、前に落っこちてゆく。そんな感じ。
スキーでボーゲンで滑っているのに、ブレーキがかからず、前にすすんで落ち続けて止まれない感じの高速版。
だから進むのがたまらなく怖いし、感覚がついていかない。自分の足がまともに動かせているという実感もない。
マリィさんはこんなものをよく使いこなそうと思ったものだ。使いこなせれば確かに物凄く使えるスキルだけど、改めてこんなの習得出来る気がしない。
──執念。アシルさんの言葉が蘇る。
エンリツィオを守りたいという、ただそれだけの気持ちで、マリィさんはこの恐怖に人知れず耐えたのだ。
スピードに体がついてこれないのも、もちろんだけど、この恐怖に勝てなきゃ、神速は使いこなせないスキルだ。
俺だってジルベスタを助けたい。早く移動出来る手段があるのだから、使わない手はないんだ。
チクショウ怖ええ!!怖くねえ!!
もっと早く、早く……!!
進む先に廃屋のような屋根の崩れかけた家があった。風圧に腕が上がらなくて通信具の地図が見れない。
俺はステータス画面を開いて千里眼で検索する。触れなくても出来るから、視界は半分塞がれるけど、今はこれしかない。ジルベスタの位置は間違いなく廃屋の中を示していた。
地面を蹴って、崩れかけた屋根の上に飛び上がる。勢いが止められない。俺の体は神速に加速されたまま、廃屋の屋根に着地した瞬間、それをぶち抜いて突き破った。
廃屋の地面に、ダンッとぶち当たり、俺の体が床に弾かれて転がる。クソッ……動かねえ……!!痛え……!!多分どっかしら折れてる。
スピードから言うと、交通事故にあったのと変わらない。もしかしたらそれよりヤバいかも知れない。屋根が勢いを殺してくれたから、まだマシなほうだったのだ。
俺は知能上昇を使い、回復魔法をマックスで一気にかける。生きてただけラッキーなのだ。俺はまだ戦える。
「なんだコイツ、急に!!」
俺を振り返った体格のいい男の体の両脇から、裸の足が伸びていた。男が両手でふくらはぎを掴んで、無理やり誰かの足を開いている。
俺を振り返った男の向かい側にいる、別の男は、誰かの手首を掴んで持ち上げていて、その右手首に俺とおそろいの通信具がつけられていた。
──血が沸騰した。
回復に時間のかかっている俺に、体格のいい男が、ふくらはぎから手を離して、床に置かれていた鞭を掴んだ。
立ち上がり、こちらにやって来ると、それを思い切り俺に振るった。俺に鞭が当たった瞬間、強い電撃が俺の全身を貫いた。
電撃鞭……!!
俺は目の前が真っ暗になり、そのまま気を失った。
「くそっ、なんだこのフクロウ!!」
「おい、早く叩き落とせ!」
「そんなこと言ったって、やけにすばしっこい上に、鞭が届かねえんだよ!」
俺が目を覚ますと、ユニフェイが心配そうに俺の顔を舐めていた。どうやらユニフェイが聖魔法で俺を回復させてくれたらしい。
おそらくあれは魔石を使った魔道具の武器なのだろう。回復魔法をかけっぱなしだった俺が、気絶までさせられたということは、何らかのステータス異常が起きていた筈だ。
床に倒れた状態のまま顔だけを動かすと、恭司が廃屋の中を飛び回りながら、パラライザーと雷魔法を、交互に男たちに放っているのが見えた。
あの電撃鞭は鞭型の違法改造スタンガンのようなものだ。いきなりあれで後ろから襲われるか何かして、気絶させられ、ジルベスタはさらわれて来たのだろう。
俺は男2人が恭司に気を取られている間に立ち上がり、両手のひらを、何度か、グッ、パッと、握ったり開いたりしてみる。うん、いけそうだ。
「……よくもやってくれたな……。
今度はこっちの番だ!!
合成魔法、スティングシェイドエクスプロージョン!!」
男たちの影から、一斉に槍が突き出し、それが被弾爆発する。
「ぐああああっ!?」
「かっは……。」
すっかり恭司に気を取られてこっちを見ていなかった男たちは、俺の合成魔法をまともにくらって倒れた。
俺はアイテムボックスから縄を取り出して男たちを縛り上げた。
以前アシルさんがお店でいちいち買っているのを見て、せっかくあるのだから何かの時の為に、入れておこうと持っておいたものだが、まさかこんなにも早く使用することになるとは思わなかった。
ジルベスタは下だけ服を脱がされた状態で気絶していた。俺と通信している最中に、再度電撃鞭を使われたのかも知れなかった。
おそらくさっきの俺と同じく、状態異常になっているのかも知れない。俺は聖魔法と回復魔法をそれぞれ両手にためて、ジルベスタにかけた。
ジルベスタがうっすらと目を開ける。そして自分の状況を思い出して、さっと体育座りみたくして体を丸めて、俺の視界から下半身を隠すと、目に涙をためて目をそらした。
「見ないで……。
こんな、不完全な体……。
あなたにガッカリされたくない……!!」
ジルベスタの目から涙がこぼれた。
ジルベスタの体はいわゆる両性具有というやつで、男の子のものと女の子のものが、両方ついている状態だった。
俺は優しくジルベスタを抱きしめて、その目元にそっとキスをした。
「何言ってんのさ、──あんたはいつだってキレイだよ、ジルベスタ。」
これは俺の本音だった。女の子がこんな恐ろしい目にあったのに、そんなことより、俺に体を見られてガッカリされることの方が怖いだなんて。
ジルベスタ可愛いたまらん。そして俺という男は、可哀想でいじらしい女の子というものに、とにかく弱いんである。
以前恭司と美人ニューハーフ特集なんてものがテレビでやっているのを見た時、でも竿あんの見たら萎えちまうよなあ、なんてお互い話していたのに、実際顔と体が女の子なとこにそれがついていると、チ●ポって何だっけな?と言う気持ちになっていた。
俺よりデッカイのがついていたのには、さすがにびっくりしたけども。
というか、3秒前まで口にキスする気満々でいた。ガッツリ舌入れて。恭司がいなかったら、多分、ジルベスタが襲われたばかりなのも頭から吹っ飛んで、押し倒そうとしていたと思う。それくらいジルベスタが可愛くて愛おしくてたまらなかった。
この状況って、凄く腹が立って相手に対する殺意がわくのと同時に、凄くチ●ポが立ってエロい気持ちにもなってしまう。
俺ので上書きしてやりたくてたまらない気持ちになる。暴力と性欲って脳の近いとこにあるとたまに思う。
その直前で、何故か頭に、悲しそうな江野沢の顔が浮かんで、慌てて目元に切り替えたのである。
なんか自分史上最もクサいセリフを吐いたような気もするが、テンパり過ぎてよく覚えていない。
世の中の男はこうして浮気に耐えているんだな。俺はデートも一緒に飯を食うのも浮気と思っていないが、さすがに身体的接触はアウトだと思っている。
というか、押し倒す気満々からの我慢ってめっちゃ辛い。俺の金玉が重くなっている。てゆーか寸止めに近い状態でマジ痛い。
世の中の女性は我慢するのが当たり前とか言わず、耐えた男を褒めて欲しい。
可愛い女の子が自分を好きと言ってくれてるのだ。出さなくても平気な女性とは体の作りからして違うのだ。それを耐えるってマジで地獄。
当たり前の愛などないと、心に刻んで欲しい。
──あ、これ、ばあちゃんのカラオケの十八番の歌詞だ。
ジルベスタの脱がされた服を見つけ、ジルベスタに手渡すと、後ろを向いた。
「こっちを向いてもいいわよ。」
言われて振り返ると、服を着終わったジルベスタが微笑んでいた。
「街を歩いていたら、突然後ろから襲われて気を失って……。
気付いたらここに寝かされていたわ。
連れて行く前に、味見をしようと突然彼らが言い出したのを聞いてしまったの……。
あなたに急いで連絡したけど、また気絶させられてしまって。
……本当にもう、駄目かと思ったわ。
助けに来てくれて、──ありがと。」
ジルベスタの唇が一瞬さまよってから、頬にキスしてくれる。多分、ホントは口にしようとしたんだろう。
でも、ジルベスタは、俺に他に好きな女の子がいることを知っている。何度も通信具でやり取りするうちに、江野沢のことを話したから。そんなとこもまた、いじらしかった。
神速使って死にかけたけど、やっぱり使って良かったと思う。普通に走って駆け付けてたら、今頃取り返しのつかないことになってたかも知れない。
そんなことになるくらいなら、自分の体の痛みや恐怖なんてなんだ、と思う。
マリィさんが神速を極めた時の気持ちが、分かるような気がした。
ホテルに戻ると、アシルさんの部屋に行ってことの顛末を伝えた。アシルさんは部下を手配して、ジルベスタを襲った犯人を引き取ると言ってくれた。
恭司とユニフェイとレストランで食事をし、風呂に入って、さて寝ようというタイミングで、ジルベスタから通信が入った。
1人で怖いから、眠くなるまで、少しこうして話しててもいい?と言われて了承した。
通信具を貰った日から、こうして時々話をしていた。たわいもない話ばかりで、俺の子どもの頃のこと、ジルベスタの祖国のこと。
江野沢と気まずくなってからは、俺のほうから連絡することも多くなっていき、毎日ジルベスタとの思い出が増えていった。
ジルベスタは、俺に直接好きだとか言ってくるわけじゃない。俺も気持ちを確かめたりはしない。
でも、憎からず思ってくれているのは分かっていたし、今日でそれ以上の気持ちなんだってことも分かった。
多分、江野沢のことがなくても、自分が大分年上なことや、体のことがあって、遠慮してる部分もあると思う。
ジルベスタは、俺に隠れ家についてきて欲しいとは言わなかった。
異国の地で、独りぼっちのジルベスタ。こんな恐ろしい目にあった日くらい、誰かと一緒に眠りたいだろうに。
俺のほうから、隠れ家に泊まりに行ってやれば良かったかな、と思ったけど、たとえ恭司やユニフェイが一緒についてきてくれたとしても、今の俺はジルベスタに何もしない自信がなかった。
ジルベスタと話す俺を、恭司がチラリと眺めてから、自分のベッドの上で眠るユニフェイの脇に身を寄せ、ユニフェイの体毛を毛布代わりに眠りについた。
ユニフェイが埋められない部分を、いつしかジルベスタが埋めてくれていることには気付いていた。
俺たちはどちらともなく眠りにつくまで、ずっとジルベスタと話しをしていた。
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