第66話 デートの結末
「──僕、元部下を評価してねぎらってやれ、それをお礼の形で、言葉や態度で示せ、って言ったよね。」
エンリツィオが戻るなり、アシルさんに冷たい笑顔で睨んでこられ、エンリツィオが、目だけを見開いてタジタジになる。
「なあんで、お礼って言われて相手を抱いちゃうかなあ?
うちの部下は殆ど男だよ?
君、部下をねぎらったり評価すんのに、いちいちそいつを抱くの?
──違うよね?」
何も言い返せないエンリツィオ。
「て言うか、何でお礼が君の体なのさ?
何かするにしたって、普通食事を奢るとか、飲みに連れてくとか、現役なら休暇を取らせるとか、いくらでもあるでしょ?
愛人にするんだとしても、服とか、アクセサリーとか、物をやるでしょ?
──まあ、君は一度もマリィに物をやったことがないから、発想にすら至らなかったのかも知れないけどね。」
まあ、今までなってたんでしょうねえ、お礼に。
「あ、アイツは護衛の仕事や、諜報活動があっただろ。」
「そうだね。
マリィは元々僕らの部下だったからね。他の愛人と違って、それを続けてたよね。
君が他の愛人を服やアクセサリーで着飾らせて、食事に連れて行ったりしている間にも、彼女は1人で仕事をしてたからね。
だから、そういうことをしてやったことがなかったよね。──1度もね。」
アシルさん、ナイスでーす。
「……他の愛人だって、同伴が必要だったから連れて行ったまでで、俺がソイツとプライベートでデートを楽しんでたって訳じゃねえだろうが。
マリィは他に使い道があったんだ。適材適所ってだけだろ。」
「だから僕もそれはさせてたよ。
だけど、マリィは女の子なんだよ?
好きな相手から物を貰って嬉しくない筈がないでしょ?
おまけに仕事がしたくて組織に入ってくれたのに、君に愛人にさせられた挙げ句、仕事の評価もねぎらいの言葉ひとつ貰えず、愛人としても何もして貰えない。
マリィがそれでも君に尽くしたがるから、僕も目をつぶってたけど、他の部下たち相手なら、別のことをしてやってたよね。」
アシルさんは譲らない。
「──どうしろってんだよ、じゃあ。」
アシルさんはニッコリと微笑んだ。
「デートして来て。
──あ、今まで他の愛人に使った店は、全部駄目だからね。
マリィが警護にあたる際に散々見てきてるから、思い出して悲しくなっちゃうでしょ?
仕事に必要だからとは言え、君が他の愛人を着飾らせて食事を楽しんでた場面を、目の前で何度も見せつけられてきた場所なんだからね。」
組織のボス相手に、アシルさんは見事なまでに容赦がなかった。
「しない方がいいと思うけどなあ……。」
俺はただ1人納得していなかった。
後日、エンリツィオは、着飾らせたマリィさんを伴って、貸し切った高級レストランにやって来ていて、俺はそれを隠密と消音行動で隠れて見ていた。
プライベートとは言え、離れたところで部下たちが警護している状態で、はっきり言ってまったく落ち着く環境じゃない。
マリィさんは緊張した面持ちで、少し顔色が悪い。とてもこの場を楽しんでいるような雰囲気じゃない。
食事が運ばれて来ても、普段とてもキレイな所作で食べるマリィさんが、そりゃあもう、ガッチガチだ。
──好きな男とのデートが初めてなんだもんな。可哀想に。年上だけど妹を心配するような気持ちで涙が出そうになる。
エンリツィオはマリィさんのあいたグラスに、手ずから酒をついでやりながら、鋭い目つきでマリィさんを見た。
「……つまらなそうだな。」
「──え?
そんなことは、ないけど……。」
そう言いながらも、寂しそうに微笑んだ。
マリィさんは、相手の心と関心が欲しい人だ。
いくらでもなることの出来る、エンリツィオの愛人になるよりも、エンリツィオにとって、唯一役に立つ女になることを選んで、気持ちを告げなかった女性。
抱かれて嬉しくない訳じゃないだろうけど、気持ちの伴わない行為よりも、役に立ったと、感謝の言葉ひとつが欲しいのだ。
それを抱いてやることが礼だの、プレゼントをやるだの、それが本当に、マリィさんが一番欲しいものだと思うか?
俺は正直思わない。
複雑そうで悲しげな微笑みをたたえているのは、そういうことなんだろう。デートに誘われること自体は嬉しくても。
俺はエンリツィオとマリィさんがデートに至るまでの間に、日々隠密と消音行動で、マリィさんのプライベートを監視していた。
それはとてもシンプルで、毎朝朝食を自炊して、朝からガッツリ食べる。家でもきっちり服を着ていて、部屋も常に整頓されてて、乱れる様子もない。
昼は王宮での仕事に追われて、何も食べられないことも多い。
夜はまた自炊したり、外食に行ったりする。食事の仕方がとてもキレイで、料理の腕前も凄かった。
王宮の仕事をしながら、王宮の中で調査をしたり、仕事のあとにも日々、ジルベスタに新しく与えた隠れ家の様子を確認したり、どこかを訪ねたりして、何やら調べ物をしていた。
そして夜になると、お風呂に入って──これが毎回目の毒なんだが──ダイナマイトバディにバスタオルを巻いた格好で上がってくると、化粧台の前で肌を整えて、横の引き出しをあけて宝石箱を取り出し、その蓋をあけて中を見つめる。
中には宝石なんてひとつもなくて、男物のネクタイとカフス。
再会した日にエンリツィオが身に付けていて、帰り際に忘れて行った──というか、そのまま捨てて行ったゴミ。
あいつにとって、そんなゴミみたいな抜け殻を、大切そうに、愛おしげに眺めては、その蓋を閉じてまた引き出しにしまい、就寝する。その繰り返し。
マリィさんは、こんな風にこの先も、思い出だけを抱きしめて、1人で生きていく覚悟をしてる。
これまでだって、きっとそうで、これからだって、きっとそうなのだ。
だから、どうせ彼女の求めるものをやることが出来ないなら、下手に関わらないで欲しかった。きっと悲しくなるだけだから。
そして俺は、マリィさんを見つめながら、いつもこう思う。
──ねえ、マリィさん。
会ったばっかだけど。アシルさんじゃないけど。
俺、あんたに幸せになって欲しいです。
多分、他の人となら、あんたはそれが出来る人です。
何でも出来るあんたにとって、それが唯一、無理な事だとしても。
エンリツィオに恋人が出来る前なら、きっともう少し喜んだし期待もしたと思う。
けど、マリィさんはエンリツィオの一番の理解者だ。
これが気まぐれで、次がないことを分かってる。
ヨリを戻せと言ったのだって、一度愛人になってしまった女が、今更組織に戻れないからだ。
愛人の立場でしか、エンリツィオの為に動くことも、役に立つことも出来ないから。ただそれだけ。
マリィさんは、エンリツィオの気持ちが自分に向くわけがないことを知ってる。
だって自分と同じだから。
エンリツィオが死んでも、エンリツィオだけが好きだから。
だから一緒に過ごしてるこの時間すら、宝石箱の中の宝物みたいに、時折取り出して眺めては、何度も何度も、味がしなくなってもしがんでは、1人で生きていく為のものだ。
期待しないように自分をセーブしているのがありありと分かる。エンリツィオの仕草をじっと見つめて、覚えておこうとしているんだろう。
好きな男とのデートで、こんなにも寂しそうな笑顔をさせるくらいなら、何もしてやらない方が良かったんじゃないかと、俺なんかは思ってしまう。
俺がどうしてそう思うのかというと、彼女がとても、記憶を失う前の江野沢に似ているからだ。
思春期に突入したばかりの俺は、彼女との距離をうまくはかれないでいた。
急に下の名前で呼べなくなって、大好きなのに見るのが恥ずかしくて、ちょっとカッコ悪いところを見られそうになっただけで、水に飛び込んで逃げ込むカバみたいに、怯えて目の前から逃げ出す。
性変化によるデリケートな部分を、女の子ばかりが気遣われるけど、男だって男に成長していく過程はナイーブなのだ。
精通で下着を汚せば恥ずかしいし、親にもなかなか相談出来ない。
江野沢は、いつでもそんな俺の、一番の理解者でいようとしてくれた。
マリィさんはこじらせた大人だけど、俺が江野沢を好きでなければ、彼女もマリィさんみたくなったかも知れないと思わせる程に。
俺がどうして欲しいのかばかりを考えて、俺の好きな料理をコッソリうちの親と練習して、怖がりのくせに、何かあれば俺の前に出て守ろうとする。
うまく接することの出来ないワガママな俺を、彼女はいつだって受けとめて、諦めるということを知らなかった。
見た目は大事な入口だけど、その先その子と結婚したいとか思うには、その子がどんな風に俺を思ってくれるかが、凄く大事な事だと思う。
だから俺にとっては、どんなにかわいい子よりも、江野沢が大切で特別だ。
そんな江野沢に似ているマリィさんが、俺のいないところでいつも頑張ってくれていた江野沢に見えて、ほっとけなくてたまらない。
江野沢にうまく接することが出来ない分、マリィさんに一番いいように、取り計らってやりたくなるのだ。
本人にしろよって話なんだけど、まだそこまで素直になるには、好きな女の子の前というのは恥ずかし過ぎるのだ。
まったく無神経な男だよな、と思いながら、エンリツィオに下唇を突き出してイラついてしまう。
すると瞬間エンリツィオが、ギラッとした目でこちらを見据えてくる。
こえー……。
隠密に気付く筈もないのに、野生のカンか?
ここは刑務所と違って風もなければ、周囲に大勢部下の人たちだっているから、気付く要素はない筈なんだがな。
こういう事にはすぐに気付く癖にな、まったく。
盛り上がらないのを、抱いてどうにかしようと思ったんだろう、エンリツィオはマリィさんを家に送ると、そのまま家の中に消えて行った。
さすがに中に侵入するような、野暮な真似はしない。俺はホテルに戻ると、ユニフェイを構い倒した。
前からだけど、江野沢の態度が、なんかおかしくなってからというもの、精神安定剤かのように、ユニフェイを触っている。
思えば、マリィさんも江野沢も、犬みたいだよな、と思う。主人が大好きで、忠実で、主人の為を思って行動する。
犬はまだ、他の主人に飼われることも出来るけど、あの2人はそれすら無理な人種なのだ。
俺もエンリツィオも、あの2人をテイムした記憶はないのだが、行動原理が、ほぼテイマーにテイムされた魔物に近い。
まるでハチ公みたく、死んだ主人を待ち続けて、雪の中で殉死したとしても、決して不思議じゃないと思う。
今の江野沢はそうじゃないけど、記憶をなくす以前の江野沢なら、俺が先に死んだら、確実にそうした気がする。
俺の独りよがりとかではなく、うちの母親も恭司も、あの子はそういう子だと言っていたから、多分そうなんだと思う。
うちのひいばあちゃんも、
やめて?今から葬式って何?俺まだ結婚すらしてねんだけど?
嫁確定として家族が受け入れてくれてるのはありがたいけど、家族揃って重いわ。
──まあ、ユニフェイは狼の魔物なんだけどさ。
ユニフェイより、確実に俺は先に死ぬ。そうなった時にひとり残されたユニフェイはどうするんだろう?
ハチ公みたく、あの2人みたく、ずっと俺だけを慕い続けるのだろうか。
いや、テイムしている魔物は、テイマーが死ねばその呪縛から解放される。きっと自由に生きる事だろう。
だってこれは、嘘の愛情だ。テイムしてるから向けられているもので、そうじゃなけりゃあ、出会った時から俺を守ったりなどしない。
分かっているけど、俺は生涯、死ぬまでユニフェイを手放さないだろう。何があっても俺を優先して慕ってくれる、この世界での唯一の味方。
今は恭司がいるけど、恭司は対等で、甘えたり、甘えられたりはしない。
フェンリルは千年をこえて生きるという。きっと俺といた時間なんて、ユニフェイからしたら一瞬のことだ。
だからそれまでは、一緒にいてくれよな、ユニフェイ。
翌朝ホテルのレストランに、恭司とユニフェイと共に朝食を取りに行くと、先に来ていたエンリツィオとアシルさんが食事をとっていた。
アシルさんの前には料理があるけど、エンリツィオの前には紅茶しかない。
「──アイツ、俺に薬でも盛ったんじゃねえだろうな。
なんで急に人が泊まることになって、あんな朝から色々飯が出せんだよ。」
「普通、毎日自炊してるなら、そんなもんでしょ?
うちだって急に帰っても、普通にしっかりとした食事が出てくるよ。」
どうやらマリィさんの家に泊まって、そのまま朝食までご馳走になって帰って来たらしかった。
マリィさん、毎日朝からガッツリ食べるもんなあ。1人分増えたところで問題なさそうだ。
「ていうか、泊まったにしては、やけにスッキリした顔してるね?君。
いつも相方が先に寝ても、君ずっと起きてて、帰って来てから寝てるのに。」
アシルさんが、珍しいものを見たといった、驚いた顔をする。
「──いや。昨日はなんでか、そのまま寝ちまってな。
人生で初だぜ。
ここまで動揺させられたのは。
だから薬でも盛られたのかと……。」
いや、ないだろ。天地がひっくり返っても、マリィさんがお前にだけは、危害を加えることはねーだろ。
「不覚だったぜ、護衛もいない女の家で寝るとか。
女の家に泊まったことは、何度もあるが、家で寝たのは初めてだと言ったら、スゲエ見たこともない顔しやがってよ。
なんでそんなことがそんなに嬉しいんだ?
レストラン連れてって服買ってやってアクセサリー揃えても、ずっと暗い顔してた女がよ。」
ずっと自分だけの特別が欲しくて努力してた人が、ようやく1つだけでもそれを手に入れたんだから、当たり前だと思う。
……でも、多分、それも宝石箱の一番奥に、しまっちゃうんだろうけどさ……。
それでも、ずっと暗い表情をしていたマリィさんが、今頃嬉しさがあふれでて止まらない顔をしてるんだろうなと思った俺は、良かったね、と心の中で呟いた。
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