第60話 かなしい2人
「──って、マリィさん生理中じゃん!!」
ていうか、生理中なのにヤんの?
結構辛そうだったのに?
どんだけ鬼畜なんだよあいつは。
生理激重の母を持つ俺は、一度アシルさんと恭司と共に外に出たものの、すぐに取って返そうとした。だが、
「待った!」
アシルさんが俺の二の腕を掴んで止める。
「……今止めに行ったら、マリィに恨まれるの、君だよ?」
「どういう事ですか?
そりゃ、捨てられてもまだ好きな男に抱かれたら、マリィさんは嬉しいかも知れないけど、何も今じゃなくても……。」
体調が万全の時に改めてすればいいだけの話だと思った。捨てた愛人とはいえ、仮にも長年付き合っていた相手なのだ。
相手に対する配慮ってものがあってもいいだろう。
「う〜〜ん。
マリィの個人的な内容だから、話すの悩むとこなんだけど、僕も彼女に恨まれたくはないし……。
えっと、ね?
マリィのあの様子だと、少なくとも4日目以降なんだよね。
だから、多分、……一番して欲しい時期だと思うよ?」
?????
サッパリ意味が分からない。
「あれじゃね?ホラ、藤木と小松みてえなさ……。」
と恭司が言ってくる。
それを聞いた俺はアッ!と思った。
女性というものは、人によって、生理の前、生理の最中、生理の直後のいずれかに、妙にしたくなる事があるらしい。
生理は排卵した卵を捨てる為のものだと思っていたが、生理の最中に排卵することもあるのだそうで、生理中だからと生で致すのも危険という、本当に個人差のあるものだなと思う。
ちなみに小松英莉がそれで、生理の後半が最もしたくなる時期らしく、かつ、藤木が生理中の女とするのが一番好きという、特殊性癖ラブラブカップルなのだ。
俺たちがやっかみ半分でラブラブさをからかった時に、小松からそれを説明され、ウチら固い絆で結ばれてっから別れねーし。と言われて驚愕したのを思い出す。
ご褒美慣れしている大人との行為にドハマりはしてはいても、あの2人が別れない理由がそこにあるのだ。
そして、多分、アシルさんいわく、マリィさんも小松と同じなのだろう。
エンリツィオが藤木と同じ性癖なのかは分からないが、少なくともそれを分かっていて、わざわざ生理中のマリィさんを押し倒した訳だ。
な、なるほど……。
俺には受け止められる気がしないし、生理中の女は嫌だって男も多いだろうから、それだと自分が一番したい時に、して貰えないということになる。
藤木と小松のように、そういう部分をNGなしで理解して受け止めてくれる相手の方が長続きするし、離れがたくなるというのは分かる。
俗に男が1万人いたら、1万通りの性癖が存在すると言われるくらい、他人の性癖はみんな違うから、そこに口出しすることではないと思ってはいる。
そもそもアイツ自身が普通の人間が受け止められない行為を好きそうだし、濡れてなくても入れやすくていいとか思ってそうだもんな。
ちなみにどうやって時間に対する予想をたてているのかと言うと、サクッとお手軽に行為だけする場合、エンリツィオは殆ど自分自身が脱がないヤツなのだそうだ。
それをわざわざ脱いで見せる時は、愛人に、今からオメェをグズグズになるまで抱くから、という視覚的アピールで、抱かれなれている女程、無意識に、パブロフの犬のように、それを思い出して力が抜けて柔順になってしまうらしい。
時間をかけて女を蕩かす前提での、すぐ、なので、最低3時間、という判断になるんだよ、と説明してくれた。
俺と恭司は、へー、とうなずきながら、知らなくてもいいエンリツィオの扱い方を、日々アシルさんに仕込まれていっているんじゃないかと首を傾げたのだった。
2人の行為に納得した俺は、アシルさんと恭司とレストランで食事をしながら、雑談をしていた。
「けど、マリィさんて、ホントに凄いですよね。
俺、自分が持ってて使ってみたから分かるけど、あの神速ってスキル、使いこなせる気がしないです。
天は二物を与えずって嘘だなって分かりました。」
「──いや?
マリィも最初は持て余してたよ?
あのスキル。」
「そうなんですか?
どうやって習得したんですか?
やり方があるなら教えて欲しいです、俺。
せっかくあるんだから、使えるなら使いたいし。」
「多分、コツとかないと思うよ?
強いて言うなら、──執念、かな。」
アシルさんが、何やら恐ろしげな事を言ってくる。
「マリィはそもそも、僕が組織に連れて来たんだ。
強くて頭がキレてオマケに美人でスタイルもいい。潜入工作員にも護衛にも、うってつけだと思ったよ。
最初は僕が釘をさしてあったこともあって、エンリツィオも手を出さなかったんだよね。
あくまでも幹部候補生として育てるつもりだったし。
マリィはさ、出会った頃は、神速を使いこなせていなかった。
それでも、身体強化と頭の良さで、じゅうぶん戦力になる子だったんだ。
それがある日、僕らを待ち伏せしてた奴らに、護衛が全員倒されて、僕とエンリツィオが戦おうとする前に、マリィが瞬殺しちゃったことがあってね。
いつの間にか彼女、神速を使いこなせるようになってたんだ。
言ってくれたらボディーガード兼秘書に即抜擢したのに、半年も黙ってたんだよ?
神速って、凄く特殊なスキルでね。与えられたからって、誰でも使いこなせるものじゃない。
ブレーキの踏めないF1カーに乗ってるようなもんで、使いこなせるようになる前に死ぬことだって多い。
どちらかというと、両極端過ぎて、ハズレスキル扱いされてるくらいなんだ。だから持ってても扱えない人が殆どなんだよね。
それをさ、黙って習得した理由、なんだと思う?」
「……ちょっと、分からないです。」
「彼女はこう言ったよ。
“私は貴方に守られるより、貴方の背中を守れる女でいたい”って。
彼女はあの見た目だから、その気になれば、いくらでも愛人になれただろうけど、エンリツィオは女の本気にこたえたりはしない。
……だから、自分だけの特別が欲しかったんだと思う。
彼女のその言葉は、──どんな愛の言葉より、愛してるって言ってるように見えたよ。
エンリツィオの横に立てる人間でいたいっていう、彼女の強い意志を感じたし、知らない間にそんなにも、エンリツィオを愛していただなんて、思いもしなかった。
だって一度だって、彼女はエンリツィオに迫ったことがなかったんだ。
だから、それでも、エンリツィオが気持ちにこたえなきゃ、優秀な部下が手に入ったのに、悪りぃ、抱いちまった、って言われた時は殺意を覚えたよね。
エンリツィオを守る必要のある場面がなければ、彼女は一生だって、自分の気持ちも含めて、黙ってただろうから。
自分一人の為だけに、習得の過程で命の危険もあるようなスキルを、コッソリ極めておいて、いざという場面までそれを黙ってるような、マリィの気持ちにほだされちゃったってのは、分からないでもないけどさ。」
マリィさんの、執念すら感じる愛。だけどそれをエンリツィオにぶつけることなく、彼女は胸に秘めていた。
だけどもし、俺が、江野沢以外の相手にそんなことまでされたとしたら、ちょっと怖いと思うのと同時に、その控えめさに惹かれてしまうかも知れない。
俺の為に自分が出来る最大限のことを、やれるように努力して、なおかつ自分の気持ちすらも、言っても来ない女性。
それも、そんなことをしなくたって、付き合ってと迫って来られて、ノーと言う男が存在しないであろう美人が、だ。
俺にとって一番には出来なくても、本当に俺のことが好きで、俺のことしか考えてないんだって分かるから。
そこまでの思いを、もし仮に堂々とぶつけてこられたら怖いけど、いつ使うかも分からない場面の為だけに、裏でそんな努力をして、なおかつ全然アピールもして来なかったのを知ってしまったら。
2人きりになった時、キスくらいはしてしまうかも知れない。キスで盛り上がってしまったら、そのまま流れでヤらないとは正直言えない。
というよりも、俺にその時、他に好きな相手がいなかったら、多分積極的にヤっている。
──だってそんなの、健気でいじらし過ぎるじゃないか。
エンリツィオもそこまでされて、気持ちを無視出来なくなったんだろう。たとえ特別に、愛してやることは出来なくても。
エンリツィオの為だけに生きてるようなマリィさんは、きっとまたエンリツィオの役に立とうとするだろう。
だけど、そんなマリィさんだからこそ、危ない目にあって欲しくないという、アシルさんの気持ちも分かる。
「……正直にかかわるなって、理由も合わせて伝えるのじゃ、駄目だったんですか?
手紙に返事をしてたら、マリィさんも納得してくれたんじゃ?
エンリツィオがそれをしないのなら、せめてアシルさんがするとか……。」
「マリィはすぐに顔に出るから、どんな内容であれ、エンリツィオから返事を貰えたってだけで、それが周囲に即バレる。
それが僕からだろうと、エンリツィオ絡みな時点でそれは同じだ。エンリツィオにつながる細い糸に、希望を持ってしまう。
何せ出会った頃は使いこなせてなかった神速を、エンリツィオの為だけに極めたような子だからね。
エンリツィオとの関係を知っていて、こちらに悪意を持つ奴らが相手なら、切れた筈の女に連絡を取ってるエンリツィオが、こっちで何かしようとしてると、探ってきかねない。
──結果、マリィが狙われる。
アプリティオに来たら、マリィが動かない筈はないと思ったけど、僕らが無視していれば、その可能性は減る。
僕が何かを進言しても、どうせエンリツィオは何も手を打たないだろうとは思ってた。
それをするくらいなら、愛人をしてた時だって、護衛をつけていただろうしね。
挨拶でこっちに来ることで僕たちの存在が知られるまで、少なくともかかわりたくはなかった。
だから何も言えなかったんだよ。」
アシルさんは困ったように笑った。
「というか、2人とも、変装しないんですね?普通にウロついててびっくりしましたよ。」
そう言う俺に恭司がうんうんとうなずく。
「そもそもエンリツィオ一家の名前自体、聞いたことがあるのなんて、裏社会の奴らか、冒険者の一部か、王宮関係の仕事をしてる一部の奴らに限られるからね。
ニナンガでだって、元魔法師団長が王宮を奪ったって事実は知られてても、元魔法師団長の顔なんて、王宮勤めの奴らしか知らない訳だし。
エンリツィオ一家の名前を聞いたことがある奴らでも、ボスの顔なんて当然知らないし、ニナンガから来た新しい王様が、そのボスだなんてことも、普通の人は知らないよ。
こっちじゃ歓迎式典の参加者だって、王宮勤めの奴らに限定されてたわけだしね。
護衛を連れて歩くと嫌でも目立つから、僕らだけで動いた方がいい場合もあるのさ。」
なるほどね。
「──そろそろ行こうか。さすがに終わってるでしょ。」
そう言ったアシルさんに促されて店を出たものの、エンリツィオはそこから1時間近くも、マリィさんの家から出て来なかった。
気温の高いアプリティオの外気にさらされながら、俺の出した水魔法で全員涼を取りながら待っていると、マリィさんを伴って、エンリツィオが部屋から出て来た。
「オウ、待たせたな。
オンナひとり躾けるのに、ちょっと手間どっちまってよ?
新しいベッドを1つ手配してくれ。
駄目にしちまったもんでな。」
いつものようにニヤニヤしながら言ってくるエンリツィオに、アシルさんは慣れた様子だったが、待ちくたびれた俺と恭司は、何も返す気力がなかった。
ていうか、マリィさん、めっちゃツヤツヤしてて、赤く染まった首筋とか耳元とか、さっきより色っぽいです。
「マリィ、いい加減諦めろ。
俺とお前は、とっくに終わってんだ。」
エンリツィオはマリィさんに振り返りもせずに言う。
「……分かってないのね。
私はね。
あなたを知らずに生きる幸せよりも。
──あなたを愛して苦しむ地獄の方がいい。」
愛しいという言葉は、“かなしい”とも読むことが出来る。
マリィさんの表情は、まさにそれだった。
俺はその日、江野沢に会いに王宮に行くのを諦めた。
帰り道、エンリツィオとアシルさんの後ろを、恭司と歩きながら、俺はポツリと呟いた。
「すげえ、重いな、マリィさんの愛情って。
忘れるなんて、出来ねえくらいに。
多分、人生のすべてなんだな。
あの人にとって。」
エンリツィオは足を止めて俺を振り返った。
「──本気の愛は、重いモンだ。
簡単に次にいけたり、忘れられるくらいなら、ソイツは元々相手を愛しちゃなんかいねえよ。
マリィは俺と似てるんだ。
だから気持ちは痛いくらい分かる。
……分かるが、どうもしてやれねえ。
こればっかりは……な。
いっそ、マリィを愛してやれたらと、思ったことが、ねえわけじゃねえよ。」
仕方のないこと、だと思った。
お互いに、仕方のないことだけれど。
お互いがお互いに気持ちが向いていれば、きっと幸せになれる2人なのに、自分の気持ちに正直で、互いが思う相手に対して本気だからこそ、向き合う事が出来ない、かなしい2人だと思った。
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