第54話 スピリアの花

「──俺のこと、覚えてんのか!?

 江野沢!

 クラスメートのこと、全然覚えてねえって聞いたけど。」

 江野沢は、食い気味に近付く俺に戸惑うように、

「……ごめんなさい。あなたの名前しか、分からないの。」

 曖昧な笑顔を小さく見せた。

「……でもあなたは、どこか懐かしい感じがする。

 なぜかしら?」

 そう言った江野沢の目は、とても親しげとは言えず、どこか冷え冷えとした距離を感じた。


 ベッドサイドに置かれたチェストの上の、花瓶にさしたスピリアの花。

 まるでその花のように、真っ白で、俺に対する何の感情もない眼差し。

 記憶がないからだろうか。いつも俺を見つめていた、あの優しい眼差しも笑顔も、どこにも存在しなかった。

 いつだって俺の味方でいてくれた。怖がりの癖に何かあると、俺を守ろうとして、前に出ようとする女の子。

 俺の名前を呼んでくれた時は、感動の再会になるかと思っていた。他の誰を忘れても、俺のことだけは覚えていてくれた。──そう、思ったのに。


「……他には何か、覚えてることはあんのか?」

「……いいえ。

 召喚された勇者たちが、みんな私を、エノサワアヤナと呼んだけど、私には、それが自分の名前だとは思えなかった。

 だって私には、産まれたときからの、ここでの記憶があるし、私が彼らの仲間にとてもよく似ているということだけは、会話の中で分かったけど、……ただ、それだけだったもの。」

 江野沢は困ったように笑う。


 俺は違和感が拭えなくて、妙に落ち着かなくなってしまった。目の前の江野沢は、まるで他人だ。

 江野沢に再会したらすると言っていた、告白なんてどこへやら。

 記憶のない江野沢と、これ以上、何を話していいかすら分からなかった。

 これも無理やり大人数を集めようとした、勇者召喚の弊害なのだろうか。

 恭司の言う通り、一度死んで転生したことで、たまたま似た姿の王女の体に入ってしまったとでも言うのだろうか。

 そして自分の記憶を失ってしまった。

 だとしたら、──本当に。

 この国の王様にも、思い知らせてやらなきゃならないかも知れない。


 俺はなんとか会話をつなげようと話題を探す。

「──そういや、体調悪いって聞いたけど、もう大丈夫なのか?」

「ええ。少し病気だった期間が長くて、体がまだ本調子じゃないみたい。

 もう落ち着いたわ。」

「そっか……。」

「……。」

「……。」

「……ちょっと、冷えるわね。」

 江野沢の言葉で、うっすらと感じていた冷気が、俺がきちんと閉めれていなかった窓からだと気付き、慌てて閉めに行った。

「そ、そういや、クラスの奴らはどうしてんだ?勇者としてのレベル上げしてんだろ?」

「ええ、毎日頑張ってるみたいよ?

 中庭で訓練してるわ。」


「但馬とは……会ってんのか?」

 但馬有季たじまゆきは江野沢のクラスメートで、一番仲のよい女子生徒だ。

「名乗りはされたけど……。

 私は覚えていないから。」

「そっか……。

 あんなに仲が良かったのに、寂しがってるだろうな……。」

 俺は困ったような笑顔を浮かべた。

「──あなたはどうしてここへ来たの?

 この国に召喚された勇者の中には、いなかった筈だけど。」

「あ、ああ。

 俺は、別の国の勇者として召喚されて来たんだ。恭司も一緒だぜ?」


「キョウジ?」

「俺の親友──つっても、覚えてねえか。

 俺はニナンガ王国に召喚されたんだ。」

「今、お父様に挨拶にいらしている国ね?」

 お父様、か。

 お前の中では、あれが本当の父親なんだな。

 俺は国王がエンリツィオにしたことについては、江野沢に話さなかった。

 実の父だと思っている相手が、男を無理やり媚薬を使って手込めにしようとしただなんて、まったくもって笑えない話だもんな。


「──最近、国王が変わったと聞いたわ。

 勇者たちが皆裏切って魔族についたことで、王国軍と共に全員滅ぼされたと聞いたけど……。」

 もうこの国にも、その設定は届いてるのか。まあ、王族だもんな。一番に情報が行くか。

 それか、新国王の挨拶に向かう連絡の際に、アシルさんが事情を伝えたのかも知れない。

 国王が急に変わるだなんて、そもそも相手も事情が気になるだろうしな。

「ああ、俺は滅ぼした側なんだ。

 だから今の国王の従者として、一緒にこの国に来たんだ。」

「だったら、まだしばらくは、この国にいるの?」

「まあ、多分、しばらくは。」

 ウソです。住みたいとすら思ってます。


「──だったら、今度は昼間に会いにきて?

 あなたと話してたら、何か思い出せるかも知れないもの。

 ……勇者たちに何を言われても、何一つ実感がわかなかったけれど、知らない筈のあなたの名前を覚えてた。

 ひょっとしたら、私の知らない何かがあるのかも知れないって、そう思ったの。」

「江野沢……。」

 江野沢は今、必死に思い出そうとしてるのかも知れない。

 自分のこと。そして、──俺のこと。


「それに、夜に来られたらびっくりしちゃうし。

 さっきの、隠密スキルでしょう?

 ──姿を消して会いに来れる?

 多分、その方がいいわ。

 王女の部屋に頻繁に出入りしてるところを目撃されたら、あなた、この国の国王にされちゃうかもよ?」

 江野沢がいたずらっぽく微笑む。

「あ、ああ、構わないぜ。

 毎日でも、江野沢に会いに来るよ。」


「ええ、待ってるわ。」

 さっきまで他人に向けるような表情をしていた江野沢が、俺に向けて微笑んでいる。

 俺は江野沢のベッドサイドに飾られたスピリアの花を見た。きっと今の江野沢がこの花に触れたら、何の色にも変わらないのだろう。

 俺の知ってる、──俺を知ってる、江野沢は今、ここにはいない。

 いつか、来るのだろうか。

 江野沢が俺を、思い出してくれる日が。

 そして、──俺が江野沢に気持ちを伝えることが出来る日が。


 俺はホテルへと戻り、恭司に事の顛末を伝えた。

「そうか……。やっぱり覚えてなかったのか。」

「ああ。お前の言った通り、王女の体に入ったことで、もともとの記憶を失ってるのかも知れねえ。」

「でも、お前のことは覚えてたんだろ?」

「……名前だけな。

 それもなんか、覚えてる親しい人間を呼ぶ感じじゃなかったよ。

 まったく知らない奴と話してるみてーな気分だった。」

 俺は江野沢との会話を反芻しながら考える。


「──向こうは実際、なんもわかんねーんだろ?

 江野沢にとって、知らない人間だよ、間違いなく。

 残念だったな……。ここまで来たってのによ……。」

「もう2度と会えないと思ってたから、生きててくれただけでも、マシだけどな。」

「……そうだな。

 まあ、そんなに落ち込むなって!

 お前の名前だけは、出会ってすぐに思い出せたんだろ? 

 いつか思い出さねえとも限らねえだろ?」

「そうだな。」

 口ではそう言ったが、期待値の分、やはり気持ちは上がらなかった。明日から江野沢に会いに行くことで、何か変わるのだろうか。

 また前みたく、笑い会える日が来るとは、今の俺には思えなかった。


「──そういや、エンリツィオはどうしたんだ?」

「いや、知らねえ。部屋から追い出されちまったし、行って最中だったら、また怒らせちまうしな。」

「そうは言っても、さっきまであんな苦しそうだったんだぜ?

 アシルさんが戻ってたら、状態だけでも教えて貰おうぜ。」

「そうだな、行くか。」

 俺と恭司は連れ立ってアシルさんの部屋へと向かった。

 アシルさんはちょうど自分の部屋から出て、鍵をかけているところだった。


「君たちどうしたの?」

「エンリツィオの様子が心配になって……。どんなでした?」

「僕もこれから様子を見に行くから、まだ分からないんだよ。

 部下が鑑定師と役人を連れて来るから、媚薬によるステータス異常を鑑定師に確認して貰って、それを役人に証言して貰うんだ。

 ──気になるなら、一緒に来る?

 鍵は預かってるしね。」

 俺たちはうなずいて、アシルさんについてエンリツィオの部屋へと向かった。

「変わりはない?」

「──はい。」

 扉の前で護衛に当たっていたエンリツィオの部下が答える。

 アシルさんが扉を何度もノックするが、反応はなかった。少しの間逡巡したのち、アシルさんが鍵を差し込んで回す。

 扉を開けた瞬間、俺たちは強い風に頬を撫でられる。


 さすがにアシルさんは部屋に入ってくると思っていたのだろう、シャツは脱いでいたが、下は履いたままの姿だった。

 ベッドルームにたどり着く気力がなかったのだろうか。

 エンリツィオは全開になった窓から入る風がカーテンをはためかせる下で、ソファで小さく丸くなっていた。

 寝てるのか、気絶しているのか、俺たちが部屋に入ってきた気配にも、目を覚ますことなく、その目は閉じられたままだ。

 トイレで処理をしたのか、別に匂いとかはなかったが、俺たちは変わり果てた部屋の様子に驚いた。

 両サイドの壁に作り置かれた棚の上に、敷き詰めるように花瓶に入れられ並べられた、たくさんのスピリアの花束たち。

 そのすべてが、……愛していると囁くように、真っ赤に染まっていた。


 アシルさんが、スピリアの木の前で、触れもしないのに、一斉に赤く花が色付く瞬間を見たことがあるというのは、おそらくエンリツィオのことなのだろう。

 漏れ出すように溢れ出た恋人への想いが、触れもしないのにすべての花を色付かせる程に、この部屋は、エンリツィオの心で埋め尽くされていた。

「……全部捨ててくるよ。

 見られるの、嫌だろうから。」

「──はい。」

 アシルさんは花瓶を抱えて、部屋の外へと出て行った。


 俺もアシルさんも、からかう気にはなれなかった。

 そのまま死んでもいいと思ったくらい、ヤケになって単身敵地に乗り込んだという、エンリツィオの言葉の意味を、俺は初めて言葉ではなく、心で実感した気がした。

 いつも飄々として、余裕タップリで、本心を見せないこの男が、誰にも救いを求めず、自分で自分を慰めなくてはならない時に、思い浮かべる相手。

 こんなにもコイツが、心から愛して求めた恋人を亡くしたという、ただ悲しい事実が、そこにはあるだけだった。

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