第35話 悪の巣窟

「……来たか。」

 振り返りもせずにエンリツィオが言う。

 昨日とは異なるスーツに中折れ帽姿のエンリツィオは、しゃがんで誰かの墓に花を備えていた。

 ソルボ岬は、他に何もない開けた切り立った崖で、強い海風が俺の髪を揺らす。

「捕まってたせいで来るのが遅くなってな。

 ……待たせてすまなかった。」

 これは俺ではなく、墓の主に言っているのだろう。

 聞いたことのない優しげな声だった。


「コイツも、こんな世界に連れて来られずに、俺と知り合うこともなきゃ、今頃普通に暮らしてたんだろうにな。」

 転生者の一人だと言うことか。

「……恋人……だったのか?」

「まあ、そんなところだ。」

 立ち上がり振り返ったエンリツィオが、目線を下に落として言う。その表情は恋人を思い出しているのか、愛おしげでさみしげに揺れていた。

「キレイなひとだったんだろうな……。」

「いや?あいつは男だ。」

 !???

 さっき恋人って言わなかったっけか?


「──あいつは男で、キレイでもなきゃ、何なら俺よりも年上だった。

 俺もあいつも女が好きだし、他の男をそんな目で見たこともなかった。

 けど……なんでだろうな。

 気付いたら、人間に惚れて、あいつ自身にも惚れて、そんな風になっちまった。」

 この男がそんな風に人を好きになることも、そこまで思わせた相手が男だということも、何となく俺には実感がわかなかった。


「俺のそばに置いたら、危ねえことは分かってたんだが、手放せなくてな。

 敵対組織に連れ去られて、拷問された挙げ句死んじまった。

 奴らに協力すれば生きてはいたのかも知れねえが、最後まで俺の隠れ家を吐かず、協力も拒んだらしい。

 それでちょっとヤケになっちまってな。

 単身乗り込んで、……何なら殺せるだけ殺して、そのままおっ死んじまおうとすら思ってた。

 そしたら捕まってこのザマさ。

 ……間抜けな話だ。」

 エンリツィオは深く帽子を被り直した。


「──いたか?」

「いえ、追跡者も含め、周囲には誰もいませんでした。」

 いつの間に立っていたのか、俺の後ろにいた部下にエンリツィオが話しかける。俺は驚いて部下の方を振り返った。

「聞いた通りだ。お前には追手も何もついちゃいねえ。

 安心してアジトに案内してやるぜ。」

 その為にこんなところに呼び出したのか。恋人との思い出話を聞かせる為に、呼び出した訳じゃないとは思っていたが。


 エンリツィオの馬車に揺られて着いたのは、どう見てもニナンガ国王がいる場所よりも立派な王宮だった。

「お前……、こんな派手なもん作って堂々と住んでんのかよ?

 普通悪モンのアジトって、人に分からないとこに置くもんだろ?」

「そういうのもあるが、ここは商売に使ってんのさ。

 地下はカジノ、一階から上は娼館、俺らのスペースはその上だ。

 こんだけ派手にやると、俺がここにいたとしても、大勢の部下たちや、色んな国のお偉方を突破してまで、そうそう攻めてこようとはしねえもんさ。」


「は〜……。そういうもんかねえ。」

「それにここを建てたのは俺じゃねえぜ?」

「どういう事だ?」

「お前、なんでこの国の王様が、あんな田舎に城を建てて暮らしてるんだと思う?

 それも、ここよりもずっと見すぼらしい城だ。」

「まさか……。」

「──そういう事だ。」

 エンリツィオは肘をついた拳に顎を乗せてニヤリと笑う。

 コイツ……ニナンガ王宮を奪いやがったのか……!!! 


「「「お帰りなさいませ、ボス!!!」」」

 屈強な男たちが頭を下げてエンリツィオを出迎える。

「ナルガラの宰相は?」

 エンリツィオが歩きながら脱いだ帽子を部下に手渡す。

「息子が上級役人の娘の拉致事件に関与していたことが分かりました。

 陥落するのも時間の問題かと。」

「俺がいなかった間の売上は?」

「ヘイオスのカジノが少し下がっていますが長い目で見れば誤差の範囲内です。

 チムチの娼館に、ルドマス一家がちょっかいをかけて来てます。増援が必要かと。」

「……ハバキアとニルダのとこを向かわせろ。」

「──承知しました。」


 歩きながら部下に指示を出すエンリツィオを、俺はオマケのようにくっいて歩きながらポカンと眺める。

 コイツやっぱりボスなんだなあ……。

 赤い絨毯の先の通路の正面のデカい扉を、扉のそばに立っていた二人の部下が開ける。

「──おかえりなさい。」

 そこは執務室になっていて、机のそばには優しげな笑顔を浮かべたアシルが立っていた。

 側近レベルだったのか。どうりで他の奴らと違う訳だ。


「──やれやれ、やっと一段落ついたぜ。

 例のモン、出来てるか?」

 エンリツィオは高そうな椅子にドッカと腰を下ろすと、机の上に足を投げ出した。

「もちろん。

 ──はい、これ。」

 エンリツィオに返事をしたアシルが、俺の前に立って何やら畳んだ布地のような物を差し出す。

「えと、これ……は?」

 それが何だか分からず問いかける。


「対魔法加工を施した服だ。

 お前も火魔法使うんだろ?

 だったら着といて損はねえ。

 相手の魔法攻撃や、自分の魔法が跳ね返された時、特に服が駄目になるのが火魔法だからな。

 カッコつけて戦ってる最中、股間が破れでもしてみろ、カッコ悪いこと、この上ねえだろ。」

 くれるのは有り難いが貰う理由がないので困惑してしまう。

 すぐには手を伸ばさずに、エンリツィオの方を向いて問いかける。

「え……?てことは、人前で丸出しになったことがあんのか?」

 こんな涼しげに無敵ですってツラして何でもこなすような男が?


 それを聞いてアシルが拳を口元に当ててクスクスと笑う。

「──ばっか。

 俺がそんな間抜けな事になるわけねえだろ?

 部下だよ。

 ただ、部下であっても、俺が戦ってる後ろでそんなん丸出しでぶら下げてるとこ人に見られてみろ、カッコわりいにも程があるぜ。」

「あの時はおかしかったよね。

 エンリツィオがめちゃくちゃカッコつけてる後ろで、部下が二人も丸出しだったんだから。」

「何でもねえフリすんのに苦労したぜ。」


 思い出したように、少し恥ずかしそうな表情を浮かべてふてくされるエンリツィオ。

 この二人仲がいいんだな。

「……何でこれを俺に?

 お前の部下になれってことか?」

「……いや?

 お前は商売仲間さ、兄弟。

 お前の秘密を俺にくれ。

 その代わり、俺も俺のこと、俺の知ってることを全部話す。

 ──対等といこうじゃないか。」


 ──俺の、秘密?

 何をどこまで知ってると言うのか。

 肘をついた手の甲に顎を置き、不敵な笑みを浮かべながら、エンリツィオが俺の目の奥を覗き込んでくる。

 俺はノコノコと闇社会のボスのアジトの中枢まで着いて来てしまったことを、今更ながらに後悔したのだった。

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