第5話 運命の力
「ん……」
セイルが奪われた視界を取り戻した時には、目の前の魔鏡は既に何の変哲もない鏡に戻っていて、鏡面の奥には呆けた顔をした金髪の少年が彼を覗き返していた。
「最初に全部説明するんだったわ……」
溜息をつきながら、少女が頭を抱える。
「あ、あの……」
何が起こったか分からないながら、何かが起こってしまったことを察したセイルは、少女に不安そうな顔を向ける。
「まぁ、使ってしまったものは仕方ないわね……。説明が遅くなって悪かったけど、その鏡は――」
「――くそっ、問答無用かよ!」
少女が改めて説明を始めようとした瞬間、叫び声と慌しい足音、そして金属音が部屋に乱入した。
「あれは……さっきのお兄さん!」
セイルが音の方向を確認すると、そこにはランタン片手に部屋に走り込むウィルの姿があった。
そしてその背後をゆっくりと追いかける、光を鈍く反射する二つの甲冑。
セイルたちの雇い主だ。
ただその姿は、洞窟に入る時と違って返り血に濡れている。
「……っ!? おいガキ! その手に持ってるのが神器か!?」
「は、はい、多分――あっ!」
ウィルはセイルの姿と、その手に持った鏡を認めると、血走った眼で駆け寄って奪い取った。
「おい! お前らの目当てはこいつだろ!」
奪い取った鏡を、二人の騎士に突き付ける。
「こいつと交換だ、俺達を無事に町まで返せ! さもなきゃ、この場で叩き割るぞ!」
「……それは無理ね」
「あ!?」
声の方向を振り返ったウィルは、その時初めて、セイルの傍らにいる少女の存在を認識した。
少女が魔力的な作用で姿を隠していたわけではない。
単純に、それだけウィルが必死だったのだ。
「私の鏡は特別性なの、今の人間の技術や力じゃ、傷もつかないわよ」
こともなげに少女が言い放つ。
その口ぶりは、生きるか死ぬかの交渉であることを理解していないかのように淡々としている。
「……だ、そうだ。残念だったな」
鎧の騎士の一人が、甲冑の奥で嗜虐的な笑みを浮かべながらウィル達に近づく。
「私の鏡……か。お前は奴隷の中には居なかったな……なるほど、神器にはお前のようなものが憑いていると聞いたことがある。さっきの光のことと言い、間違い無いというわけか」
一歩ずつ、踏みしめる様に騎士が近づく。
心の半分では、奴隷の決死の反撃を警戒しながら。
……そしてもう半分では、忍び寄る死の恐怖に震える奴隷の姿を想像しながら。
ゆっくりと腰から抜いた剣は、真新しい返り血で赤く濡れている。
代金を踏み倒すついでに御者を切り捨てたその剣は、更に一人の奴隷の血を舐めていた。
「口封じか……」
吐き捨てるようにウィルが呟く。
強大な力を持つ神器の発掘は、例外なく国家主導で行うものであり、民間での盗掘は重罪に当たる。
万一調べが付いたときには、自分達はトカゲのしっぽとして切られるのだろうと考えていたウィルだったが、それすら覚悟が甘かった。
にじり寄る騎士が、いよいよ剣の間合いに三人を捉える。
「くそっ――」
逃げようとしたウィルの右足を、矢が掠める。
後ろで控えている騎士の右手には、いつの間にかボウガンが握られていた。
「おい、そいつの使い方を聞く必要がある。その女だけは殺すなよ」
「ああ、分かってるさ……」
相方の言葉に短く答えた騎士が、柄を握る手に力を加える。
「――使えないわよ」
少女の言葉が、剣を振りかぶろうとした騎士の機先を制した。
「……何?」
「この鏡は、もうこの子が所有者なの。この子が所有権を失わない以上、あなた達には使えないわ」
少女がセイルの肩に手を置く。
「ぼ、僕が……?」
「言ったでしょ? 鏡を起動したのはあなただって。あなたが死ぬまで、この鏡はずっとあなたのものよ」
「ふん、死ぬまで……か。それなら、お前から先に始末するだけだ!」
「……っ!?」
上段に構えた剣の騎士は、ためらう様子もなく、剣をセイルに振り下ろす。
既に幾人もの血を吸った騎士の太刀筋は、無骨にして無慈悲。
「――なっ!?」
……そして、無謀だった。
「これは……!?」
金髪の少年が、信じられないと言った面持ちで、花咲に迫った切っ先を見つめる。
腰を抜かしてへたり込むセイルの眼前で、騎士の剣は完全に制止していた。
当然騎士が手心を加えたわけではない。
その両腕は、今でも少年を圧し切ろうと、万力のような力を剣に込め続けている。
まるで見えない壁にさえぎられるかのように、剣が先に動かないのだ。
「今日は本当に特例続きね……。それじゃ、実演を兼ねて、話の続きをしてあげる」
少女はウィルを――正確にはウィルが抱える鏡を――指さしながら、話を続ける。
「私の魔鏡『宿命の鏡』は、所有者が今後行き着く未来の可能性を、その人に見せてくれるの。勿論可能性だから、絶対にそうなるわけじゃないわ。ただ……」
「……! 何かまずい、剣を引け!」
不穏な空気を察して、ボウガンを持った騎士の片割れが叫ぶ。
「……鏡面に触れた瞬間、その時見ていた光景だけは、定められた運命として確定する」
「な……!?」
瞬間、騎士の剣が目に見えない力で、後方へ大きくはじき返された。
いつの間にか、少女の体からは、湯気のような光の粒子が立ち上っている。
「この子は既に、数年後の自分の未来に触れているの。この場で殺すことはできないわ。そして……」
少女が騎士達に向かって手をかざすと、光の粒子はその掌へと収束していった。
「あなた達は、今死ぬはずの無い人間の命を奪おうとした。腕力と鉄の塊で運命に歯向かおうだなんて、大それたことだと思わない?」
収束した光の粒は大きな塊となって、その輝きを増していく。
「運命に抗うものは、世界によって修正される。言っておくけど、回り回って殺すことが出来なくなる……なんて器用な話じゃないわよ。運命の女神様は、あなた達が思っているより、ずっと強引で大雑把なの」
「……!? まずい、逃げ――」
「もう遅いわ」
少女が翳した手に力を入れると、光の塊が一気に膨らんで、音もなく目の前の騎士達を呑み込んでいく。
数秒して光が収まると、二人の騎士の姿は忽然と消えており、部屋は元の静寂を取り戻していた。
「……以上。これで、鏡のことは分かったかしら?」
腰を抜かしたままのセイルに、少女が笑いかける。
「は、はい、一応……。あ、でも、それじゃ……」
「良くやったな、ボーズ!」
言葉を途中で遮って、ウィルがセイルの肩を抱く。
「まさか本物の神器を掘り当てるとはな! こいつを闇ルートで売れば、とんでもない稼ぎになる。俺達も一日で大金持ちだ!」
「あ、いや、その……」
「……上機嫌で主語を大きくしてるとこ気の毒だけど、それは難しいと思うわよ」
セイルが言いあぐねていることを察して、少女がそれを代弁する。
「確定した未来が訪れない限り、もう一度その鏡を使うことはできないの。今のそれは、頑丈なだけの只の鏡よ。それに……」
「何だよ、それなら暫く待てば良いだけじゃねぇか。その未来ってのは、いつ来るんだよ?」
「あ、あの、そのことなんですけど、実は……」
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