第4話 鏡の少女
「……やっぱり、説明書きの一つくらい、残していても良かったかもしれないわね」
瞼の裏から強烈な光が収まったのを感じてセイルが目を開くと、その前に居たのは、呆れ顔をした一人の少女だった。
白のワンピースに身を包んだ少女は、表情はそのままに、白銀の長髪を靡かせながら、ぐるりと周囲を見やる。
その背はセイルより少し低く、歳の程も少しだけ幼く見えた。
「あ~でも、見つけた時代に判読できる言語で書いてなかったら、結局無駄か……。やっぱり、これが一番……」
「……あ、あの、君は?」
半ば呆けたような顔をして、セイルが少女に話しかける。
目の前の少女はどう見ても普通の人間だが、急にこの場に現れたという一点だけは、どう考えても異常である。
日頃他人の悪意には鈍感なセイルであるが、それは単に人柄の問題であって、決して愚鈍であるからというわけではない。
この少女がただ者でないことを弁える程度の了見は持ち合わせている。
「……ん?」
声に気付いて、少女が床にへたり込んだままのセイルに目を向ける。
「あ、あなたが鏡の所有者なのね」
少女がセイルの目の前で腰を落とし、少年と視線の高さを合わせた。
「って、当たり前か、周りは皆生きてないしね……」
趣味の悪い冗談に聞こえたかな……と少女が苦笑する。
「あの、君は一体……?」
「……え、あなた、もしかして何も知らずに起動したの?」
セイルが同じ質問を繰り返すと、今度は少女の目の方が丸くなった。
「起動……?」
質問を意味の分からない質問で返されたところで、セイルには相手の言葉を反復することしかできない。
「……なるほど」
目の前の少年の様子を見て、おおよその事態を悟った少女は、小さく頷いた。
「何も知らないみたいだから、説明してあげる。私は、その鏡に付けられた疑似人格よ」
「疑似……? えっと、鏡の精霊さん……みたいな?」
「違うけど、可愛いからその解釈でも許してあげる」
目の前で微笑む少女が精霊であったとして、非現実的な出来事であることに変わりはない。
しかしそう解釈すれば、目の前の不可思議な出来事に一応の説明が付く。
未知で頭がパンクしそうになっていたセイルは、ひとまず少女を精霊と考えて、この事態を呑み込むことを優先することにした。
「私の仕事は、鏡の所有者の手助け。具体的には、あなたにその鏡の使い方を教えてあげることね」
「なるほど……」
その仕事内容も、セイルの考える精霊像とそう離れてはいない。
「あの、それじゃ、この沢山の骨は……?」
「ん? あ、あぁ……それね~……」
差し迫った疑問が一応解決したセイルが、次の異常について問いかけると、少女の方は難しい顔をして唸り始めた。
「どう説明したら良いんだろう……悪気は全くなかったんだけど、私にもちょっとは責任あるしなぁ……」
「まさか、君が殺し……」
「違う違う! 私は何もしてないの!」
責任という言葉で早とちりしかけたセイルに向かって、少女が勢いよく頭を振って見せる。
「……まぁ、一言でいえば、この人たちは自殺したのよ。集団自決……ってやつ?」
「自殺? どうしてそんなことを……?」
「……多分、起動条件を勘違いしたんだと思う」
きまり悪そうに、うつむき気味に話す少女の声は、先程より相当小さい。
「起動……」
先ほど少女が口にしていた意味の分からない言葉の中に、そのような単語があったことをセイルは思い出していた。
「この鏡は、拾っただけじゃ使えないの。起動条件があるのよ」
条件を満たした時、鏡を手に持っていた人間が、所有者として扱われるルールなのだと少女が付け加えた。
「ちゃんと分かるように情報を残しておかなかった私も悪いんだけど、いつの間にか、その起動条件が大量の生き血みたいな、物騒な話にすり替わってたんじゃないかしら」
神話の時代から、今に伝わる神器の伝説。
どこで齟齬があったかなど、今更辿りようもない。
とにかく途方も無く長い伝言ゲームの中で、神聖な神器は生贄を望む魔鏡へと姿を変えられていたのであろう。
「本当の起動条件は、百人の人間の体液を鏡にかけること。もちろん血でもいいけど、その必要は無いの。少し汚い話だけど、鼻水でも涎でも、何でも良かったのよ」
「体液……」
話を聞いたセイルが抱えていた鏡に視線を移すと、先ほどこぼれた冷汗の雫が、重力に惹かれて鏡面に筋を作っていた。
「あなたの体液で丁度百人目。おかげで鏡は起動して、私も完全に顕現できたけど……まぁ、時すでに遅しというか……」
少女はバツの悪そうな表情のまま両手の指を組み合わせて額にあて、部屋中の骸骨にお辞儀をして見せた。
セイルにとっては見慣れない仕草であったが、いかにも丁重そうなその様子から、恐らく死者を弔うためのものなのだろうと解釈することができた。
「……はぁ、気を取り直して、肝心の鏡のことを説明しないとね。元々そのための疑似人格だし」
簡単な弔いを済ませると、少女は真面目な表情に直って鏡を指さした。
指に釣られたセイルの視線も、鏡面に戻る。
「まぁ説明って言っても、使い方自体は簡単なんだけどね。君、その鏡の前で、ゆっくりと目を瞑ってみて」
「ん……」
少女に言われるがまま、セイルは目を閉じた。
鏡に映る自分の瞼が少しずつ下がるのを見ているうち、少年の視界は黒に染まった。
「うん、目を開けてみて」
「え……うわっ!」
鏡の前で目を開けば、そこにあるのは、当然先ほどまで見ていた自分の顔。
……そう思っていたセイルの思惑は、鮮やかな風景に裏切られた。
鏡の中に映っていたのは、夕日に照らされた小麦畑を、馬にまたがって眺める壮年の紳士の姿であった。
それは鳥が空から見下ろしているかのような俯瞰の風景で、馬に乗る金髪の紳士の面影は、セイルが幼い日に見た父の姿を彼に連想させたが、どこか別人のようでもあった。
「これは……」
「未来のあなたの姿よ」
「未来……?」
「正確には、有り得るかも知れない、未来のあなたの姿」
現実味の無い言葉と不可思議な景色に混乱しかけるセイルを宥める様に、少女はゆっくりと話しかけた。
「……もう一度、目を瞑ってみて」
「……」
再びセイルが目を閉じる。
「……え!?」
セイルが目を開くと、鏡に映っていたのは、また先ほどとは全く違う景色であった。
今度映っていたのは、木漏れ日の差す森の風景。
呆然と立ち尽くす、鎧を着た金髪の少年の後ろ姿。
その足元には、男性が一人横たわっている。
男性の胸には諸刃の剣が深々と突き刺さっており、倒れたままピクリとも動いていない。
「これも、未来の僕……?」
「ええ、今度は現在に近いわね。これは……何年後かしら」
「……あ!」
非現実的な景色に一時目を奪われていた少年だったが、次の瞬間には、それら些末な事柄の一切が、少年の頭から吹き飛んでいた。
代わりに少年の頭を埋め尽くしたのは、猛烈な既視感であった。
鏡の中で、剣に貫かれて横たわる男性。
その少し癖のついた茶髪に、見覚えがあったのである。
「この人、さっきまで一緒にいた、あのお兄さん……」
「え!? あ、ちょっと待ちなさい!」
少年が鏡面に手を伸ばすのと、少女がそれを制止したのは、まったくの同時であった。
「……うわっ!?」
伸ばした指先が鏡に触れた瞬間、先ほどと同じように、眩い光が部屋を覆った。
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