牡丹の知らせ 2

「申し訳ありません。かわいいぬいぐるみだったのでつい……五季いつき君、びっくりさせてごめんなさいね」


 ぐいっと母親に腕を引かれ、その衝撃で肩に痛みが走ったのか、五季の瞳にはじわじわと涙が溜まり、こぼすまいと必死に我慢をしていた。しかしひばりの言葉を聞くと、タガが外れたように大きな声で泣きじゃくり始めてしまった。バクのぬいぐるみを潰れてしまうほどに強く強く抱き嗚咽を漏らす五季の腕を、母親は更に強引に自分の方へ引き、もう一度ひばりをキッと睨んだ。

 ひばりはただ黙って、観察するように真っ直ぐにその様子を見ている。

 頭に血が上っているのか、母親の目はうっすら赤みを持ち、額には血管が浮き出ている。これはただの怒りでは無い。異常なまでの感情の波が彼女を覆っているようだった。


「五季、帰るわよ!」

「あの、お品物は――」

「そんなものいらないわよ! 元々こんな怪しい店来るつもりじゃなかったのよ! ちゃんと歩きなさい五季!」

「あの、そんなに強く引っ張っては五季君の腕が……」


 五季を振り回すようにぐいぐいと腕を引き、扉を乱暴に開けると、そのまま店の外へ出ていってしまった。

 去り際に振り向いた五季は不安そうな目をこちらに向けていたが、その瞳の奥には何か不気味なものがうごめき、ぞわりと背中を撫で上げられるような感覚を覚えた。しかし、その正体がわからないひばりは、成す術なく、ただ二人が去った後の扉を見つめるしかなかった。


「んん?」


 叩かれたひばりの手の甲を擦りながら、カガミが心配そうにひばりの顔を覗き込む。


「大丈夫よカガミ、なんともないわ。ありがとう」

「あの女性、元々横柄な感じでしたが、急に態度が変わりましたね。更に悪意が乗ったような……」


 そう言いながらひばりの手の甲にそっと氷嚢ひょうのうを乗せたリヒトは、カガミの頭をやわやわと撫で始めた。

 リヒトとカガミの間には、どうやら兄弟のような絆が生まれているようだ。さしづめ、ひばりを守るために俊敏に飛び出した弟を褒めてやっているといったところか。リヒトも瞬時にひばりの危機を感じ取ってはいたが、過去にお客様の前では何があっても敵対するような行動はしないよう忠告したことがあったため、静観するほかなかったのだ。

 気持ちよさそうに目を細めているカガミと、柔らかく微笑むリヒト。なんとも微笑ましい。


「明らかに様子が変だったわ。ただの寝不足で情緒不安定ってだけではなさそう。激昂しているのに目が据わっていたもの。それにあのぬいぐるみについていた目玉ボタン……」


 ぬいぐるみの右目から感じた微量の魔力と、最後に五季の瞳から感じた不気味な感覚は同質のものである可能性があった。魔力が放つ”色”のようなものが酷似していたいたのだ。それはエメラルドグリーンのような、淡く怪しい緑色だった。


「あの目玉ボタンが気になりますか」

「あのぬいぐるみ、あまり子供の側に置いておくべきではない気がする」

「私は離れた場所から見ただけですが、魔道具ではなさそうでした。ということは魔術具でしょうか」

「なんとも言えないわね。ただ、睡眠を妨げるような魔術具だった場合、人為的にあの親子を狙って追い詰めようとしているということになるけど、動機がわからないわ。何のためにそんなことをするのかさっぱり。とにかく良くないものだってことしか言えない」

「ひばり様にしては珍しくふんわりしていますね」

「だって、触らせてもらえなかったんだもの」


 ひばりは手を叩かれたことが思いの外ショックだったようで、わずかに口を尖らせ拗ねたように吐露した。リヒトは「おやおや」と困ったような笑顔を浮かべている。


「なんにせよ、あの母親に魔性のものが関わっていることは間違いないわ。あのぬいぐるみが直接関係なかったとしても、人間から睡眠を奪って余裕をなくしたところに寄生する魔草の仕業って線もある」

「また魔草ですか」

「可能性があるってだけの話よ。魔力があったのはたまたまで、本当にただの寝不足かもしれない」


 安眠のおまじない、強引にでも持たせればよかったな、と少しだけ後悔したひばりだったが、そう遠くないうちに、またまじないを頼って来るのではないかと予想していた。

 あの母親の様子を見る限り、通常の睡眠薬を試しても効果がなかったのではないだろうか。

 睡眠不足というのは人の心に深刻な影響を与える。思考力を低下させ、活力や幸福感が低下していく。それは、自らが腕を強く引いたことで我が子が痛がり泣きじゃくっていても、目の前の気に入らない者への威嚇が優先されてしまう程に。


「安眠のおまじないの種類増やしておこうかな。好みじゃないって言われちゃったし。小さなお子さんもいるんだから可愛らしいデザインの方が良いのかしら。そういえば、あの子が持っていたぬぐるみ、バクだったわよね」

「バクというのはアリクイのことでしょうか」

「どちらも鼻が長くて見た目は似ているけど別の生き物ね。そうそう、中国には『ばく』という伝説……というか、想像上の生き物がいてね、響きが同じだから混同されがちなんだけど、それとも全く違う生き物なのよ。ちなみに獏は悪夢を食べる『ユメクイ』とも呼ばれているの」

「ユメクイですか。ナイトメアのようなものでしょうか」


 リヒトは「うーん」と考えるように顎に手を当て、なぜかカガミの顔を見ている。カガミもなぜ自分が見られているのかはわからないので、同じように顎に手を当て首を傾げている。つい先程あった騒動で、心なしか緊張していたひばりの身体は、二人のほのぼのした空気に少しずつほぐされていった。


「ふふ、ナイトメアは悪夢を見せる悪魔。一説では、どこぞの魔術師が精霊召喚の術式を誤って、その時に生み出してしまった魔物とも言われてるみたい。ユメクイはその逆で、悪夢を食べてくれるから易魔えきまだとされて、いろんなまじないに――」


 言いかけて、ひばりの頭に疑問が浮かんだ。

 もしもあのぬいぐるみが動物のバクではなく、ユメクイであるを模して作られた物だとしたら、あれは安眠のまじないの一種なのではないだろうか。他所よその魔女が作ったまじないであれば、ぬいぐるみに魔力が込めれていたことも説明がつく。

 しかし、仮にそうだったとして、なぜ母親ではなく息子の五季が大切そうにぬいぐるみとして持っていたのだろうか。


 本来まじないというのは、製作者である魔女が対象者を決めて魔力を込めることにより、対象者のみに効果をもたらすものである。


 あの親子の場合、不眠で不安定になっている母親がそのまじないを身につけることによって、その力を発揮させるはずだ。それを息子に持たせてしまっては、ほとんど意味を成さず、ただのお飾りになってしまう。そうなると、ただのまじないではなく、何か特別な術式が仕込まれている可能性も出てくる。

 だが、実物もなく、本人達から話を聞けなかったひばりには、ただ持ちうる知識を手繰り寄せ、推測をすることしか出来ない。


 ひばりは五季が持っていた可愛らしいぬいぐるみに思いを馳せながら、徐にスマートフォンを取り出し、純にメッセージを打ち始めた。


 ”裁縫が得意な純ちゃんに、特別なミッションを与えます”




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