第二章 ホトトギスの言うとおり

第五話 牡丹の知らせ

牡丹の知らせ 1

 梅雨の終わり。日の出の時間は早まったというのに、ベッドからなかなか抜け出せずにいたひばりは、朝ご飯をせがむレナールの甲高い声に目を覚まし、のそのそとベッドから這い出た。


「おはようレナール。ご飯の前に少し飛んでおいで」


 そう言うとひばりは、鳥籠の入り口を開き、中から出てきたインコを指に乗せて口づけをしてから腕を振りかぶった。

 レナールはひばりの動きに合わせて羽ばたき、空中へ飛び立つ。日光を浴びながら部屋の中を縦横無尽に飛び回り、時々ひばりの肩で休憩し、またひょいっと飛び立つ。その間にひばりは餌の準備をして、レナールが満足して籠に戻るのを待っていた。


「あれ、姉さん、今日は自分で起きられたんだね」


 ノックもなしに扉を開けてひばりの部屋に入ってきた日和は、ちょうど飛んできたレナールのとまり木となった。肩にとまって黒々とした丸い瞳でじっと日和を見ている。


「レナール、おはよう。姉さんもおはよう」

「おはよう日和君。今日はレナールのおかげで起きられました」


 日和の頬に自分の頭を擦り付けながら甘えるレナールは、どこか誇らしげに見える。


「寝坊助の姉さんを起こせて偉いねレナール。今日は粟穂を買ってきてあげよう」

「日和君、今日は朝練ないの?」

「あるよー。もうすぐ出なきゃ。そうだ、テーブルの上に朝ごはん用意してるからちゃんと食べてね」


 日和はカーディガンのボタンをかじって遊んでいるレナールを指に乗せ、ひばりの元へ返した。


「ありがとう日和君……今日も麗しい。学校頑張ってね」

「はいはい。行ってきまーす」


 レナールはピョイと一声あげ日和を見送ると、トコトコと籠に戻りひばりが用意した餌をつまみ始めた。


「ふふ、美味しい? ゆっくり食べてね」


 カチャッと籠の入り口を締め、クローゼットから着替えを取り出し、シャワーを浴びるため部屋を出ていくひばりの後姿を、レナールはまた、黒い瞳でじっと見つめていた。


 *


「しっかり患部を氷水で冷やした後にこの湿布を貼って寝てくださいね」

「冷やさなきゃだめですか? 僕冷え性なんであまり冷たいのは……」

「だめではないですけど、冷やした方が効きがよくなるんです」


 隣町にある進学校の制服を着た青年に湿布の入った紙袋を手渡しながら、ひばりは用法の説明をしていた。

 部活の全国大会を間近に控えているのに足首を捻挫し、一刻も早く治療するためにまじないの力を借りに来たのだという。

 今渡した湿布は、消炎作用のある魔草をすり潰し、ペパーミントとユーカリの葉、更に火山灰から取れた特殊な泥と一緒に練り上げたペーストを油紙に乗せたものだ。

 独特な匂いを放ち、見た目にも怪しいものではあるが、効果は近所のお年寄りからお墨付きをいただくほど。冷せば冷やすほど練り込まれた魔草が活性化するので、ぜひともキンキンに冷やした状態で貼り付けていただきたいものだとひばりは内心で呟いた。


「書道部なのに足首の捻挫ごときで騒ぐなと父には鼻で笑われたんですけどね」


 はは、と照れくさそうに頭を搔く青年だったが、どこか浮かない表情をしている。


「書道部だと、書く時に正座をするのでしょう? 捻挫をしていてはそれも難しいのではないですか」


 カウンターを挟んで少し上目で青年を見るひばりに、思わず頬を紅潮させ目を逸らした青年だったが、また少し浮かない顔でひばりを見た。


「大会には既に書き上げたものを提出するので、作品自体に問題はないんですが……。僕、祖父を会場に連れて行ってあげたいんです。会場が名古屋で、ここからだとかなり距離があるので、祖父の手を引いて歩くために万全の状態でいたいんです」

「まぁ……お祖父様が大好きなんですね」

「は、はい。僕に書道の道を示してくれて、ずっと応援してくれましたから。その祖父がフラン・フルールに行けば必ず良くなると教えてくれたんです」

「お祖父様が……? あの、お名前をお伺いしても?」

「鮎川です。ひばりさんから目薬を処方されていると祖父から聞きました。僕は鮎川はじめと言います。」

「鮎川様!? そうだったんですね。ふふ、嬉しい。大切なお孫さんにも紹介してくださるなんて」

「よく嬉しそうにひばりさんの話をしていますよ。実は僕も何度かお店の前までは来ていたんですけど、ひばりさんずっと接客してるし、僕、人見知りなんでなかなか声をかけられなくて」

「そうだったんですか。でももう見知った仲ですから、これからは気軽に声をかけられるようになりましたね」


 花のように笑うひばりに再び頬を紅潮させた肇は、ぐっと拳を握りしめ、何かを決意したようにひばりに視線を合わせる。


「ひばりさん……あの、僕、実は――」


 チリン――


 肇が何かを言いかけていたが、それを遮るように来客を知らせるベルが鳴った。いらっしゃいませと軽く挨拶をしたひばりは、肇の言葉の続きを待ったが、肇は自らの両頬をぱしっと叩き、涙目になりながらひばりを見た。


「あの、僕帰ります。湿布ありがとうございます」

 くるりと踵を返し、なんとなくぎこちない歩き方をしている肇の背中にひばりは声をかける。

「肇さん、ありがとうございました。あ! ご都合がよろしければ、湿布がなくなる頃にまた見せに来てくれますか? 今回は初めてだし、薬の配合を少し控えめにしたので経過を見させてくだい」

 そう言って首を傾げるひばりに、肇は更に赤面し、コクコクと頷いて足早に店を後にした。


五季いつき! あまりお店のものベタベタ触っちゃだめよ! 壊したら買わなきゃいけなくなっちゃうじゃない!」


 肇と話してる間に来店した客は、30代前半の母親と、5歳くらいの息子の親子だった。母親の目の下にはかなり濃い隈があり、背も丸まっているのがとても気になる。五季と呼ばれた息子の顔にも覇気がなく、子供らしさをあまり感じられない。まるで親子揃って精気を吸い取られたような、とても違和感のある二人だった。


「いらっしゃいませ、何かお探しですか?」

「どうも……。あの、安眠できるおまじないがあったらいただきたいのですけど」

「それでしたら、こちらの壁飾りはいかがでしょう。この真ん中についている鉱石が部屋に漂う悪い空気を吸って、心を穏やかにする香りを放ってくれます」

「飾るだけでいいんですか?」

「はい、できれば寝室の、それもベッドのすぐ側に飾っていただけるとより効果が増します」

「ふうん……」


 訝しむように壁飾りを見る母親は、眉間に皺を寄せ、軽くため息をついた。


「見た目はあまり好みではありませんけど、とりあえず一つください」

「かしこまりました。ご用意いたしますので、店内をご覧になって少々お待ち下さい」

「急いでるんで早くしてね」


 言葉の端々に棘を感じる母親からは、やはり何か違和感を感じる。初めて会う人間に対して、こんなに嫌悪感をむき出しにできるものだろうか。ただ感じの悪い人というわけではない。元々そういう性格だったとしても、ここまで負の感情を叩きつけるように他人をめつけるのは、正常な精神状況とは思えない。体調が悪いというよりも、何かに追い詰められているようにも窺える。不眠が原因であれば、今見せた壁飾りだけでも十分効果はあるだろう。

 だが、本当にそれだけでよいのか? 不眠の原因をなんとかしない限り、本当の解決にならないのでは? でも、そもそも求められていないのに口出しをするなんてただのお節介だ。あまり介入すべきではない気もする。


 そんな事に思いを巡らせつつ、少し多めに魔力を込めながら飾りを袋に詰めていると、すぐ近くに息子の五季がやってきた。五季は自分の頭と同じ大きさ程のぬいぐるみを抱え、ひばりをじっと見ている。

「かわいいぬいぐるみだね。バクかな?」

 五季は首を傾げながらぬいぐるみをぎゅっと強く抱きしめる。上半身が紺色で、下半身が白色の可愛らしいバクのぬいぐるみは、力強く抱きしめられたことでぐにゃりと変形してしまっている。


 バクを抱いた五季を微笑ましく見ていると、ひばりはまた違和感を感じた。バクの目の位置には、目玉ボタンが縫い付けられている。そこに意識を集中させると、右の目玉ボタンから微量の魔力が滲み出していることに気づいた。


「五季君、そのバクさんちょっと見せてくれる?」


 五季はもじもじしながらひばりの顔をちらりと見て、ぎゅっと抱きしめていたバクを遠慮がちにひばりに差し出した。


「ありがとう」

 そう言ってひばりが手を近づけたその時。


「触らないで!」


 突然、母親が金切り声を上げ、物凄い剣幕で走り寄りひばりの手をバシッと払った。反射的にどこかに控えていたカガミが飛び出し、ひばりを庇うように間に割入ると、母親は五季を腕を掴み強引に引き寄せ、ひばりを睨んだ。

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