牡丹の知らせ 3

 翌日、いつもより少しだけ早起きをしたひばりは、工房で1人、作業をしていた。

 カンターブという魔草の葉をじっくり炙り、純度の高い砂糖と混ぜ合わせたものを型に詰め、魔力を流し込みながらプレスし固めてやれば、カンターブ入り角砂糖のできあがりである。

 カンターブが深みのある赤茶色をしているため、角砂糖もほんのり赤く色づいている。

 魔力を含んだカンターブは、体内に入ると血液に反応しわずかに発熱するため、温かい飲み物に溶かし飲用することで体の隅々まで熱が行き渡る。冷え性対策に最適なアイテムなのだ。寒い地域でしか発芽しない貴重な素材だが、冬はもちろん、夏の冷房による冷え対策にももってこいだ。


「ちょっと作りすぎちゃったかしら。純ちゃんとモーリーさんにもおすそ分けしようかな」


 おすそ分け用に角砂糖を小さな袋に詰め替えていると、壁に掛けられた振り子時計がカーンカーンという高い金属音を小さく鳴らし、定刻を知らせた。


「あら、もう10時。リヒト、ちょっとお店頼める?」


 流れるような華麗な動作で開店準備をしていたリヒトは一度手を止め、ひばりの元に駆け寄った。


「かしこまりました。ひばり様、くれぐれもお気をつけて」

「ありがとう。2時間位で戻るわ。カガミ、ガラジ、よろしくね」


 ひばりに声を掛けられ振り向いたカガミの手の中には、ピカピカに光り輝くガラジがいた。カガミが一生懸命磨いたのだろう。まるで新品のようにツヤを取り戻している。


「ん!」

「ひばり様、どうぞ、お気をつけて行ってらっしゃいませ」


 ひばりは照りつける太陽を避けるため、日傘をバッと広げ、颯爽とフラン・フルールを出て行った。


 *


 それから2時間後。ひばりが汗で体を湿らせながら店に戻ると、中では森岡とカガミが五季とじゃれ合っていた。

 カガミが四つん這いになり、その上に五季が乗ってバクのぬいぐるみをブンブンと振り回している。それを「ガオー」と叫びながら追いかけ回す森岡。どうやらガラジが3人の周りに薄い結界を張り、商品や棚に傷がつかないように見守っているようだ。


「ひばり様、おかえりなさいませ」


 リヒトが冷たい麦茶を差し出しながら、主人を出迎える。その声にバッと振り向いた3人は、急いで姿勢を正し、綺麗に横並びで整列した。


「お、おかえりなさいひばりさん!」

「んんい!」


 ひばりはじとりと2人を見る。店内ではしゃぎ回っていた事を叱られると思ったのか、誤魔化すように目を逸らす2人。五季はそんな2人の後ろに隠れ、森岡の膝の辺りをギュッと抱きながら半分だけ顔を覗かせている。


「2人共、お店の中で騒がないこと。ガラジが心配して結界まで張ってくれてたわよ。おやつは抜きにしようかしら」

「ごめんなさい」

「んんぅ」


 しょんぼりした様子の2人は放置して、気まずそうに隠れている五季に視線を合わせるようにしゃがみ込んだ。


「五季君よね? また来てくれてありがとう。今日はママは?」


 ふんわり微笑みながら話しかけるひばりに緊張し、もじもじしながら何も言えずにいる五季を支えるように、森岡もすぐ横にしゃがみ込んだ。


「私が1時間くらい前にこちらに来たら、お店の前を1人でウロウロしていたんです。今日暑いし、熱中症になったらいけないと思って連れて来ちゃいました」

「そうでしたか。お昼だし、お腹すいたでしょう? 坂の下のお店でサンドイッチ買ってきたんだけど、一緒に食べる?」


 五季はこくりと頷き、ひばりに微笑んでみせた。


 ひばりと森岡と五季の3人は、店の端に置かれたテーブルを囲んでランチを楽しんでいた。

 五季が座る長椅子にはバクが置かれ、ひときわ存在感を放っている。

 サンドイッチを食べ終え、グラスに入った冷たい麦茶をコクコクと喉を鳴らしながら流し込む五季の額には、ほんの少し青い痣がある。


「五季君、1人でここまできたの?」


 五季は口を付けていたコップをテーブルに置き、顔を伏せた。ギュッと拳を握り、口をきつく結んでいるようだ。そんな五季をバクがじっと見ている。


「何か事情がありそうですね」


 森岡が五季の頭をそっと撫でながら、ひばりにだけ聞こえる声で言った。ひばりは頷き、机に頬杖をついて五季に語りかける。


「五季君、お姉さんたちは五季君の味方だよ。何か困ってることがあったら教えてほしいな」


 高窓から差す日光がふわりと部屋を包み、古い木板から微かに温かい香りを感じる。熱を遮断する魔術が施された店内は、外に比べるとだいぶ涼しいが、キンキンに冷えた麦茶が入っていたグラスは汗をかき、底に敷かれたコルクのコースターに染み込んでいく。

 小さな深呼吸が一つ聞こえ、五季は意を決し顔を上げた。


「お姉さんはお医者さん?」


 空になった五季のグラスに麦茶を注いでいたひばりに、恐る恐る問いかけた五季。その目には昨日見た怪しい気配は見当たらない。


「ん? お医者さん?」

「昨日、お兄さんにお薬あげてた」

「あぁ、肇さんのことかな。そうね。お薬はお渡ししたけど、お医者さん……ではないかな」

「そっかぁ……」


 がっくりとうなだれる五季は、隣に鎮座していたバクを手に取りギュッと抱きしめた。どうやら不安になると何かを抱きしめるのが五季の癖らしい。


「五季君、どこか痛いところがあるの?」


 無意識に五季の額の痣に目をやったまま森岡がたずねると、五季はぶんぶんと頭を振った。


「ううん。僕は元気」

「五季君は元気なんだね。よかった。じゃあ家族で誰か具合が悪い人がいるのかな?」


 森岡に問いかけられ、五季は口を開いて何か言おうとしたが、ハッとした表情をした後また顔を伏せてしまった。肩が少し震えているように見える。恐らく涙が溢れ出すのを必死でこらえているのだろう。


「お母さんかな?」


 ビクッとまた肩を震わせると、すんすんと鼻をすする音が聞こえてきた。


「あの、あのねっ、マ、ママは誰にも言うなって」


 嗚咽を漏らしながら話す五季に、森岡はあわあわとハンカチを渡そうとバッグを漁り始めたが、それはひばりの無言の制止によって止められた。


「五季君、誰にも言わないよ。約束する。だからママがどんな風に具合が悪いのか教えて? 私達、五季君のママと五季君を助けたいの」


 五季の頭にぽんと優しく掌を乗せ、撫でるように五季の目元に指を当てるひばり。その穏やかな様子に、五季は少しだけ落ち着きを取り戻し、次第に涙の流れは収まっていった。


「ママね、ずっと元気ないの」

「何か悲しいことがあったのかな」

「わかんない。でも、ずーっと元気ない」

「そう。ママ、ちゃんと夜寝てる?」


 ひばりが昨日の母親の様子を思い出しながら五季に問いかける。


「ママ、僕がおやすみなさいして、おはようございますするまでずっと僕の隣で座ってるの」

「ずっと?」

「うん。おやすみなさいの時とおはようの時、おんなじ座り方してる」

「それは……」


 森岡はその異常性に驚き、ひばりの顔を思わず見た。ひばりは何も言わずに五季の話を聞いている。


「それじゃあ、ママは夜中ずっと五季君のお隣に座ってるのかな」

「うーん、わかんない」

「わかんないかぁ」


 人差し指で頭をポリポリ掻きながら、森岡は困った笑顔を浮かべた。ひばりはまだ五季の様子を見ている。森岡はひばりが五季を観察していることに気づき、もう少し質問をしてみることにした。


「五季君のママ、寝たら元気になるかなぁ」

「ママ、寝るお薬飲んでも寝られないみたい」

「お薬……睡眠薬のことですかねひばりさん」

「恐らく……」


「ママはさーちゃんのことが心配みたい」

「さーちゃん?」

「うん! さーちゃんは僕の妹!」


 どうやら五季には妹がいるらしい。1歳になったばかりで、最近つかまり立ちができるようになったという。1歳というと、まだまだ夜泣きのある子もいて育児ノイローゼになる母親が多い頃だ。それによって不眠をきたしているのだろうかと、顎に手を当てながら考え込む森岡。

 その時、徐にひばりが立ち上がった。


「五季君、そのバクさん、ちょっと見せてくれる?」


 五季が抱きしめていたぬいぐるみを指差し、ひばりが微笑んだ。


「これ、ママが誰にも触らせちゃいけないって言ってた。だから昨日も怒ったんだ」

「大丈夫。ここにママはいないし、内緒にするから」


 五季はどうしようか悩んだ素振りを見せたが、そっとひばりに差し出した。


「ママには内緒ね?」

「ふふ。うん、内緒。ありがとう五季君」


 そう言ってひばりがぬいぐるみを受け取り、じっくり見ようと顔の高さまで持ち上げたその時、ぬいぐるみが急に熱を持ち、緑色の光を放ち始めた。

 森岡は驚き、ぎょっと目を開いている。異常を察知したリヒトとカガミがひばりのすぐ側に現れ臨戦態勢をとる。

 それとほぼ同時に、バタンという大きな音をたて、五季が床に倒れた。


「え! い、五季君?!」

「触らないで!」


 駆け寄ろうとした森岡を止めたひばりはバクのぬいぐるみに鋭い視線を送る。

 そして、ひばりはこれまで森岡が見たことの無いような黒い微笑みを浮かべた。


「ふふ、だいたいのことは把握しました」

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