第25話 敵襲
少女は一瞬体を震わせると、一歩後退りながらもう一度アズサを見た。
アズサもこの不穏な空気に戸惑っていた。急なこの空気の変化に付いて行けていない。
だが――――――――――
「あ、あの、―――――先程、その少女はお父さんはここにはいないと言っています」
アズサは一歩、二歩踏み出す。そして少女の横に並ぶと、ペトラの方を向きながら答えた。
ペトラが見上げるようにアズサの方を見る。
ただじっと、こちらを見る。
「お、お花を頂いたのですし、他に調査もあります。ここはもう――――」
ペトラが立ち上がる。
それからスカートの裾を数回叩いて埃を払うと、あらあら、と言ってスカートの中から黒い折り畳み傘を取り出した。
アズサは一体彼女のスカートはどういう構造になっているのだろうか、ふと不思議に思ってしまった。
ペトラは傘を開くと、日差しから肌を守る日傘のようにして影の中に体を滑りこませた。
「お嬢ちゃんは運が良いわね。アズサちゃんに感謝しなさい」
そういうとペトラはルースの方を見て、視線を交わした。
ルースは軍服の腕を捲りながら―――――、
「アッちゃん、その子を抱えて店の中に退避。屋内の安全を確保した後ライフルで私たちを援護」
と通りの良い声を出した。
―――――瞬間、隣の靴屋の窓が吹き飛び、ガラスが四方に散らばった。
そして次には、割れた窓から赤い炎と爆風が外に漏れ出てくる。
振動があたり一面を支配して、外に出ていたブリキのバケツが倒れ、花が水とともに地面に転がった。
バン――――――
音は遅れるようにして響き、あたり一面を包んだ。
黒い煙が靴屋の窓から上り、隣の仕立て屋からは驚いた様子で店主が外に出てくる。
アズサは反射的に少女を庇うように抱き抱えると、花屋の店内に走り込み、滑り込むように店舗の奥に入った。店舗の中を進むと花が置いてあるスペースの先に居住スペースだろうか、一枚の壁を隔てた先には小さな居間が見える。無我夢中で走り、居間に飛び込んで壁を背にして息をつく。
「怪我はない!?」
少女の体を組まなく見る。少女は何が起こったか分からない様子で、怯えるように首を縦に振った。
少女の腕を見て、それから足を見る。背中を見て、どこからも出血がないことを確認する。そして次に自身の体を確認する。今のところ自分も怪我をしている箇所は見受けられない。
頭だけを壁から出して後方のルースたちを確認しようとするが、土ぼこりだろうか、白い煙によってあたり一面が覆われ、視界を確保することが出来ない。
「いい、そこの机の下に隠れていて、絶対に動いちゃダメよ、わかった」
少女は手に持っている薔薇を握りしめ、涙目になりながら頷く。
「二階への階段はどこにあるの?」
少女は呆然としていて、薔薇を握りしめるのに精一杯の様子だった。
アズサは少女の肩を掴んで、階段はどこ、ともう一度聞く。
少女は、あ、あああ、と声にならない声を出しながら、恐る恐る自身の左手の方を指さす。
少女にもう一度机の下に隠れるよう伝えて、アズサは二階への階段に走り出した。
階段を登っている隙に肩に下げていたライフルを手に持って、機構を確認する。動作に問題はない。
2階に上がると、広いワンルームの部屋が広がっていて、階段の向かい側の窓がルースたちのいる通りに通じている。
―――フっ―――
と一息吐いて、窓が嵌め込まれている壁まで走る。スライディングするように窓の下の壁に取りつく。
―――フっ、フっ、フはっ―――
自然と息が大きくなる。心臓の鼓動を抑え込むように、息を整える。
確実に敵からの攻撃だった、――――そのはずだ。
だけど、どうして―――?
この街は占領して数日は経過しているはずなのに、敵は複数なんだろうか。窓から頭を出して周囲を確認しなければならないのに、どうしてだか、身体が動かない。
窓から顔を出したら、弾か何かが飛んでくるのだろうか―――――?
ゆっくりと頭を動かして、窓枠に頭を入れようとする。だが次の瞬間、窓の縁が小さな衝撃音とともに震え、破片が周囲に飛び散った。
「ひっ、、――――!!」
急いで頭を壁のところまで戻す。今、銃弾か何かがこの窓目掛けて当たった。
歯を食いしばり、もう一度息を整える。
狩の時は遠距離からこちらが危害を加えられることはなかった。
狩りではいつも獲物の跡を着いていき、発見した後距離を取って狙い撃ちするだけだったのだ。
ここ数日の戦地での生活で、まるで自分が戦っているかのように錯覚したが、そんなことはまるでなかったと、そのときアズサは思い知った。
先程から耳には遠くから何かが凄まじいスピードでこちらに近づいてくる、切り裂くような破裂音が耳に響いている。
狙われている、という感覚はどこかアズサの感情のタガを外しそうになっていた。突然叫び出したい感覚に囚われ、身につけているものをほっぽり出して、この場から走り出したかった。
だが、―――――ぎゅっと目を瞑る。それから意識して深呼吸を行う。頭の中で何度も、吸って、吐く、という動作を繰り返す。
アズサは深呼吸を数度繰り返すと、意を決したように目を開き、ライフルを持っている手に力を込めて、頭を上げ2階の窓から頭を出した。
目の前には自身のいる建物と同様の高さの建物が周囲に立ち並んでいる。どの建物も2階の窓は閉じらていて、視界を左右に見渡した限り狙撃可能な窓はなさそうだ。
それから下に視界を向ける。花屋の前ではペトラが立っていて、傘を自身の目の前に開いて、自身の姿を隠すように前に掲げている。
爆発のあった隣の靴屋からは黒い煙が立ち込め、風とともにこちらとは逆方向に流れている。目だけを左右に動かすが、ルースの姿が見当たらない。ライフルを窓の縁に立てかけ、射撃体制をとる。
呼吸の音が、大きく聞こえるようになっていく。
それから呼吸するたびに身体が僅かに上下するのだが、途端に煩わしくなる。視界の中は次第に固まっていく油絵のように、徐々に全てのものが停止していき、生きているものだけが絵の中で動く異物として知覚されていく。
今絵の中で動いているのは下にいるペトラのみだ。彼女はくるくると傘を回転させる。
「アズサはん。生きてますか?」
ペトラは大きな声を出してその場で叫んだ。アズサは脊髄反射ままに声が出たかの如く、はい!、と答えた。
「女の子も生きてますかい?」
その問いに対しても同様に、はい!、と答える。
「0時の方向は私でなんとか出来ます。3時、9時方向はルースがなんとかしてくれます。あんたは取り敢えず生きることだけ考えたらええ」
ペトラのその機械的な問いに、アズサも、はい!、と答える。
すると急に9時の方向から、ドン――――、という爆音が響く。衝撃で周囲の建物も震え、窓ガラスにヒビが入る。
音の方に目を向ける。土埃が2階の建物と同様の高さまで登り、そのまま風に乗ってこちらの方に流れてくる。
視界が砂埃で覆われると同時に、正面の通りから数回小さな閃光が瞬いたかと思うと、ペトラの傘に火花が飛び散り、ペトラの後ろの建物の一部が破片となって飛び散った。
――跳弾だ―――!?
周囲に狙撃手がいないのに関わらず、2階の窓に銃撃があったかのように感じた理由はこれだった。
「―――っ……」
視界はまだ土埃で晴れておらず、前方は全くと言って良いほど見えない。
だが、閃光の方に向けて二発発砲する。
ドン――――
引き金を引いてから即座に次弾を装填する。そのままの勢いでもう一度引き金を引く。
ドン――――
ペトラはこちらを振り返ることなく、変わらずそのままの体制で傘をくるくると回している。
土埃が一通り過ぎると、通りの向こう側に深緑色の軍服を着た数人の男性が、頭と手に持っている銃を建物の陰から乗り出すように出していて、ペトラに向けて狙いを定めている。
「アズサ!そこから向こうが撃てるかい?」
ペトラの声はこちらまでよく響く。
アズサは、当てるのは容易いと感じた。それは今まで培った直感とでも言えば良いのか、経験と命名すれば良いのか、不思議な感覚だった。
そういえば狩では父がいなくなってから、対象を仕留められるかどうかなど聞かれたことがなかった。いつも取捨選択は自身で行っていたのだ。
―――ただ、向こう側にいるのは、――――人間だ。
「……は、い。ですが、敵かどうかは分かりません。住民の方々かも――――しれないです」
「………?」
「あの、それか味方が誤射してこちらを撃っているということは、ありませんか………?」
「――――――あんたさんは、――――――兵士に向いてないなぁ」
そういうとペトラは腰から鞭を取り出すと、あんたは何もせんといてええどす、後ろから味方に撃たれる方が怖いわぁ、と言って鞭の軌道を確認するように数回腕を振り、鞭をしならせた。
鞭はまるで知能を持った新種の蛇のように、上下に立体的な軌道を描くと、ペトラは腕の動きを止め、その静止させた腕の動きと連動するように、鞭も地面に横たわった。
先程の爆音で気づかなかったが、周囲からは断続的に何某かの戦闘音が聞こえてきており、人の怒鳴り声などもどこかから聞こえてくる。空を見るがまだミストリたちの班から救援の信号弾は上がっていない。
「おそらく作戦やろが、まあ挑んだ相手が悪すぎるなぁ」
ペトラは右手に傘を構えたまま、左手で鞭を持ち、つぶやくように言った。
―――――安心しとき、後悔させるような暇は与えんから、――――な!
ペトラは傘を構えたまま0時の方向に走り始めた。
アズサは通りの向こう側にいる、銃を構えた敵兵数人が何かを叫びながらペトラに向かって繰り返し発砲するのを見た。
敵はおそらく数人だろう。弾が尽きるたびに交代で建物の影から顔を出し、ペトラに向けて発砲している。
だがペトラの傘は特別なのか、一発たりとて彼女に銃弾が届くことはない。
アズサは反射的に撃たなければ、とは思うものの、体は指一本たりとてピクリとも動いてくれなかった。
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