第20話 シンラ・レーカ参上

イゾルダともう1人が部屋に入ると、それまで部屋の中のことに無関心だった者たちもその場で立ち上がり、まるで何かに警戒するように彼女らに視線を向けた。


先程まで悪戯する子供のように笑っていたルースも急に真面目な顔になって横を通り過ぎたイゾルダたちを見ている。


イゾルダが円卓の近くにあった椅子を自身の方に引き寄せ、座面部分を胸から取り出したハンカチで二、三度埃を払い、どうぞ、と言って後ろにいたもう1人に恭しく差し出す。


白い軍服を着て目深に軍帽を被ったその人物は、ありがとう、と声を出すと、手に持っていたサーベルをイゾルダに預け、椅子に座った。


身体をそれとなく観察する。

胸があり、それに腰まで届くであろう長い髪、おそらく女性であることは間違いない。

声に関しても男性のように低くはなかった。


軍服の襟章は昔見た上級士官のそれだった。

まず間違いなく司令部に近い存在であるはずだ。


それにこの部屋の雰囲気を一変させたところから見て、まず間違いなくこのエースの部隊にも何らかの影響力を持つ人物。

そして、―――――白い軍服に金色のサーベル。アズサは胸ポケットに入れた新聞記事を服の上からそれとなく触った。


―――――――まさか、そんなはずは、、、。


アズサはなんだか、恐怖を感じた。

正直、ここまで出来すぎている。

いや、杞憂だろうか。疑っても仕方がないが、何かが自分の進む道を操っているように感じる。

そう考えてしまう程に、自身の目の前に佇んでいる人物の正体が信じられなかった。


「ドッグズのみんなは半年ぶりかしら、どう、元気にしてた?」


椅子に座った白い軍服の人物が周囲に声をかけながら、目深に被った軍帽をとる。

足を組み、首を左右に軽く振り、抑えられていた髪を右手で軽くほぐす。


吐息を二、三度漏らしながら周囲を見渡して、視界に入った人物へ、やあ、とか、はい、とか声をかけながら小さく手を振る。


それからグレンを視界に収めると、声を出さずに口の動きだけで挨拶をして、右の手の指先だけを軽く上下に動かした。


アズサは彼女の顔を見知っていた。


彼女こそ、このボルビアのエースオブエース。


戦局の中心点。

戦場の女神。

そして敵国からはサンタ・ムエルテ、死の聖母と呼ばれている。


黄金の髪に、赤い瞳、それぞれのパーツは怜悧と言えるこの世の全てを詰め込んだかのように美しい。


以前新聞記事で、人体の骨格学者と対談している記事が掲載されていて、なんでも彼女は左右の顔の骨が左右対称であるのだという。

それゆえに顔のバランスは誰よりも美しく、整っているという話だった。


そんな人間は人類という種の中でも数十万人に1人という確率らしい。


肌は白く、シミ一つ見当たらない。

髪はまるで一本一本に薄い透明の光を反射する何か透明な液体が貼られているかのように艶めいている。


目の前にいる彼女こそ、自身が入りたいと願った隊の隊長。

ボルビアの女性の生ける憧れ。


正式名称、ボルビア国家統制参謀本部直轄特殊作戦部隊OSSA第一番隊隊長。

国からの正式コールサインは「クラニウム」。

世間での通称は「W」のエース部隊隊長。


シンラ・レーカ少佐、その人である。


「今のところ前回会った時と顔ぶれが変わってないところを見ると、上手くやってるのね」


そう言って、先程イゾルダに預けていたサーベルを受け取り、そのまま床に杖のように突き立てて、左の手のひらで柄の底を遊ぶように抑える。

杖はシンラが体制を変えるたびに左右に多少揺れる。


「レーカさん、今日は少し早いんですね。もう少し遅れるものだと思っていました」


グレンが地図から目を離さずに声をかける。


「そうね。珍しいかも。でも今日はそういう気分だったの。それにルダちゃんから面白い話も聞いていたしね」


そう言うと、シンラはイゾルダに目配せする。


イゾルダは目だけでシンラに了解した旨を伝えると、ブラウン・エンリケスこちらに来い、と声をかけた。


―――――ルースが隣で密かに笑う。


先程女性だと告げはしたが、新しくこの場に来た彼女らは知らない。

それにアズサはどのタイミングでそれらを訂正すれば良いのかも分からなかった。


アズサはシンラの前まで来ると姿勢を正してから敬礼した。

おそらく、国の中で目の前の彼女を知らない人間はいないだろう。

都から離れた田舎の村出身の自分でさえ知っているのだ、その存在は言わずもがなだった。

今ではどのような社交界のスターよりも人気がある。


アズサの心臓は今にも張り裂けんばかりに脈打っていた。

もしも彼女に会ったならばなんと言おうか、夢に見た光景が唐突に目の前に訪れ、その機会に我を忘れて自身の胸の内を曝け出したくなった。


だが、この場の雰囲気がそれを押し留めた。

アズサがイゾルダたちの前に立つと、シンラは足のつま先から頭の天辺までを眼球の動きだけで見渡した。

まるでアズサの身体に小さい蟻のような虫が1匹這っていて、その虫を刺激しないようにと、慎重に観察しているかのようだった。


「それで、君は射撃が得意らしいね。その能力で特技兵の資格を持っているのに前線に来たのだと」


「っ、、はい。その通りです」

自然と両足の踵に力が入る。


「しかし、候補のもう1人も能力的には申し分なかったはず。それをルダちゃんが覆して君を選んだと聞いている。その能力はどこで習得したの?」


「は、父とその、山で狩をしている時に習得しました」 


カツカツとサーベルの先で床を叩く音が響く。


「狩――――か、何を狩っていたの?」

「多くは鳥です。それに兎。あとは鹿も時々狩ります」


「捕らえた獲物は、解体も自分で行うの?」

「自身で行います。私の村では獲物に止めを指したものが、解体するのが慣わしとしてありました」


シンラは軍帽のツバに触れるとそれを指先で少し押し下げ、目深に被り何かを考えるように数秒沈黙した。


その体制のまま、――――それで年齢と隊への志望動機を教えて、と告げる。

シンラの声はやたらと耳障りが良い。声を一本の線で表現すると綺麗な放物線を描いているかのように滑らかだろうと思った。


「年齢は17歳です。ただあと数か月で18になります。志望動機は、戦場で武勲を上げて、国に尽くしたいと思ったからです。それからこの部隊に志願したのは、、、」


アズサは沈黙してしまった。口から出そうになった言葉が適切かどうか判断が出来なかったからだ。


ただ何が正しいか分からないこの環境で、戸惑うこと自体、どこかに逃げ出したいと願ってしまう。

沈黙したことで目深に被った軍帽の隙間から、シンラがチラリとこちらに視線を向けてくる。

彼女の目にせかされたようにアズサは言葉を繋げた。


「その、なぜこの部隊に志願したかは、自分でも分からないんです。あの時、志願者は手を上げろ、と言われて咄嗟に、その、手を挙げてしまったんです」


ふむ、とシンラは右手の親指と人差し指で耳たぶを軽く摘んでは、離しを繰り返す。


「それは、直感でチャンスだと思ったんでしょう。そう言った感覚は大切よ。特に戦場ではね。それだけに頼るのは危険だけど、往々にして生死の境ではその一瞬の判断で生死が分かれるから。貴方はどの場面が大切かを自然と分かっているのかもしれないわね。ただ―――――」


―――――それが良いか悪いかは分からないのだけれど、と言ってシンラはアズサの目を見た。


アズサはシンラの目から視線を外すことが出来なかった。

目の表面に白いハイライトが載っていて、それを頼りに見据えれば、彼女の目の奥まで見渡せそうだ。

だが少し意識を外すとそのハイライトは真っ白なミルクのような液体に姿を変えて、輪郭だけがその液体の上を生きているように蠢き、その奥にあるものを覆い隠して、色は急激に濁っていく。


「―――――貴方、女性ね」


唐突にシンラはアズサに向けて言った。

アズサはびくりと体を震わせると、助けを求めるようにルースとグロリアの方を見た。


ルースはまるで悪戯がバレてしまった子供のように残念そうに笑い、グロリアは何かに諦めたかのように、目を伏せた。


それから、すみません、それは先程私たちもどうしようかと話していたところです、とグロリアはシンラに告げた。

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